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美しいくらし
ジョージア旅暮らし日記 モデル・定住旅行家
ERIKO
第4回 敵には剣、友にはワインを
 ジョージア人女性のティスマリに初めて会ったのは、日本でジョージア定住旅行の準備をしているときだった。情報提供や協力のお願いで訪ねた東京のジョージア政府観光局に勤務していた女性の一人で、東京大学で博士号を取得するために勉学に励む学生でもあった。
 彼女はそれ以外にも、舞台映えする華やかな顔立ちの美貌と、日本人なのかと疑ってしまうほど流暢な日本語を生かして、日本のドラマやバラエティー番組にも出演していた。


 日本での留学を終えてジョージアに帰国した彼女と、トビリシで再会した。いくらかふくよかになっていたが、その派手やかな雰囲気はそのままだった。教会やモニュメント、広場の噴水がライトアップされる夜のトビリシの街を歩きながらお互いの近状報告をしていると、彼女は女優としてのキャリアを積むためにカリフォルニアへ移住し、ハリウッドの映画学校へ通う予定だと教えてくれた。そしてため息をつきながら、ハリウッド行きを父親にひどく反対され、資金もないことを嘆いた。

 いつでも新しいことに挑戦し、世界中を駆け回る彼女に、私はどこかで自分を重ねずにはいられなかった。彼女の生き方はまるで自分の人生を客観的に見るようで、さまざまなことを語りかけてきた。夜のトビリシはあちこちで照らされている建造物が陰影をつくって、幻想的な姿を浮かび上がらせている。

ソビエト占領博物館

 ティスマリに会う数日前に訪ねたジョージア国立博物館内にあるソビエト占領博物館の話題から、2008年に勃発した南オセチア戦争の話へ発展した。
 「南オセチアでロシアの攻撃が始まったとき、トビリシも攻撃されるというニュースが流れたの。それを聞いた住民は、その噂の信憑性を確かめることもなく、一斉に慌ててトビリシから逃げたわ。私の実家はカヘティっていう東ジョージア地方にあるんだけど、私たちはそこへ避難しようとしたの。でも、見たことのないほどの渋滞と混乱で酷かったことを覚えてるわ」

 恥ずかしながら、南オセチア自治州やアプハジア自治共和国のことをちゃんと知ったのは、ジョージアへ来てからだった。この2つの自治は独立を求めており、ジョージアの実効支配が及んでいない地域である。オセチアは1920年代前半に南と北に分けられ、ソ連崩壊後に北部は北オセチア共和国としてロシアに吸収され、南部はジョージアの自治州となった。
 

南オセチア難民居住区

 南オセチア戦争は、この南オセチアでジョージア軍と南オセチア軍が軍事衝突し、翌日にロシア軍が介入した戦争である。図らずもこの戦争が勃発した日は、平和の祭典の象徴である2008年8月7日の北京オリンピック開会式だった。
 このときロシア軍が攻撃したのは、ジョージア西部のゴリという都市。この空爆で多くの犠牲者を出したゴリは、ソビエト連邦の最高指導者で“剛鉄の男”と名づけられたスターリンの生誕地である。在ジョージア日本大使館を訪れたとき、日本政府はこの戦争により難⺠となった人びとへ、総額100万ドルの無償資金協力を行い、テン トや毛布などを提供していたことを知った。

 「私には南オセチアに住んでいる親戚がいたの。彼らも慌てて家を飛び出して避難したんだけど、家から持ち出した唯一のものが、そのとき奥さんが手に持っていた毛抜きだったのよ。ちょうど鏡の前で顔の毛を抜いていたら戦争が始まっちゃって。突然のことすぎて、何も考える暇もなくそれを手に持ったまま逃げてきちゃったってわけ。少し時間が経った後に、どうしてお金とか貴重品を持って来なかったのだろうって後悔してたけど。毛抜きを握りしめたまま逃げてきたなんて、ねぇ、笑えるでしょう?」

 ティスマリの親戚は、この戦争によってジョージア国内に避難した10万人のうちの数人だったのだ。戦争という重々しい話題に対して笑ってしまうことをどこかうしろめたく感じたが、彼女の明るい話し声に釣られて思わず笑い声を漏らしてしまった。命の危険が迫るような一大事と毛抜きのちっぽけさが、あまりにも不釣り合いすぎた。
 命からがら南オセチアから逃げてきた彼女の親戚は、のちにこれを笑い話にできたことによって、彼らが運びきれなかった物や思いに対するぽっかり空いた穴を埋められたのかもしれない。こんなときでもユーモアを忘れない彼らの人間の器に、精いっぱいの拍手を贈りたい気持ちだった。

ティスマリさん家族(赤いドレスを着ているのが彼女)

 私の隣で一緒に歩く20代後半のティスマリの存在が、急に遠く感じられた。彼女のほうがもっと切実に生や死や人生にかかわっているように見えたのだ。彼女が日本で生活していたころ、繭に包まれたような平和な日本をどのようなまなざしで見つめていただろうか。

 ティスマリが話してくれた南オセチアの戦争だけではく、ジョージアは過去から現代に至るまで、数えきれないほど敵からの侵略にさいなまれ、戦いを強いられた土地である。その歴史は過去50年以上平和が持続されたことがないことにも表されている。その歴史が大きく映し出されていると感じたことが、ジョージアの街で見かけるシンボリックな像や彼らの生活の一片にあった。

 トビリシの観光名所であり、ナリカラ要塞がそびえるソロラキの丘にある「カルトリスデダ」と呼ばれるジョージアの母の像もその一つである。トビリシの町を見下ろすようにして立つこの女性像は、ジョージア王朝の民族衣装を身につけ、右手に剣、左手にはワインの杯を肩に添えるように支えている。緑が茂る丘の背景に浮かび上がる高さ20メートルの像は、重々しくただならぬ存在感を与える。ジョージア人彫刻家のエルグアアマシュケリによってデザインされ、1958年にトビリシ市の1500周年を記念して建てられた。

ジョージアの母の像「カルトリスデダ」

  母の像の右手には人を攻撃し、味方を守る象徴である「剣」、左手には仲間として歓迎し、絆を深めるワインの入った「盃」。この相反する2つの象徴が一人の女性の手中に収められている。それは「敵には剣で戦い、友にはワインの杯で迎える」というジョージアのことわざにあるように、ジョージア人の精神性が見事なまでに集約されているように思えた。

 戦いを重ねてきた歴史の面影は、彼らが日常生活で使うジョージア語にも感じられる。滞在当初は、言葉の持つ深い意味など考えずに覚えて使っていたジョージア語だったが、しばらく経ったとき、ふと、それぞれの言葉がどういう意味を持っているのか気になるようになった。
 日本語の「こんにちは」という言葉は、「今日様」と呼ばれていた太陽への呼びかけだったということをラフカディオ・ハーンの本の中で読んだことがあった。さりげないあいさつの中にも太陽や自然を敬う日本人の精神的背景を感じた小さな発見だった。

 ジョージア語のあいさつはどうだろう。「こんにちは」と同様のあいさつの言葉として使われる「ガマルジョバ」は、直訳すると「あなたに勝利を」を意味する。「おはようございます」に値する「ディラムシュビドビザ」は「平和な朝」。短いあいさつの中に、ジョージアが経験してきた歴史に反映された彼らの思想が包括されている気がしてならない。

 歴史のさまざまな帰路に立ち合ってきた人たち。この夜のトビリシの街を照らすあかりの中に、悲しみを大切に持ち続け、その答えを生活文化の中に紡ぐジョージア人が生きている。(つづく)

(写真:ERIKO)

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【エリコ】
鳥取県米子市生まれ。東京コレクションでモデルデビュー。「定住旅行家」として、世界のさまざまな地域で現地の人々の家庭に入り、生活を共にし、その暮らしや生き方を伝えている。これまで定住旅行した国は、ラテンアメリカ全般(25カ国)、ネパール、フィンランド、ロシア、サハ共和国、ジョージア、イタリア、イラン、スペイン、パラオ、カルムイク共和国、タタールスタン共和国など。とっとりふるさと大使。米子市観光大使。独立行政法人 国際協力機構JICA「なんとかしなきゃ!プロジェクト」著名人メンバー。著書に『暮らす旅びと』(かまくら春秋社)、『世界の家、世界の暮らし①~③』(汐文社)など。※写真:KATUMI ITO
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