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美しいくらし
昭和モダンの家を建てる 日本モダンガール協會 × 音楽史研究家
淺井カヨ × 郡 修彦
第3回 昭和モダンの家を建てようと思つた理由③  淺井カヨ
 地元の大學を出た私は、愛知から東京へ引越した。東京の街を描き、樣々な人と出會ひたいと思つたからである。平成14年の春だつた。西武新宿線の上井草驛近くに住みながら、新宿の畫材店で額裝をする仕事を始めた。畫家の卵、演劇をしてゐる人、何かを作つてゐる人が多い職場だつた。額裝の仕事は、繪畫、ポスター、立體物など色々あつたが、笠松紫浪の昭和初期に作られた新版畫の博覽會を主題にした作品が、和洋折衷で最も印象に殘つた。新宿の畫材店は、1ヶ月チュニジアへ旅に出る爲、辭めてしまつた。1ヶ月は休めなかつたのだ。

 平成16年からは、住宅補修に關する仕事をした。戸建よりもマンションの建設現場での作業が多く、マンションが出來上がつていく過程をよく觀察することが出來た。時々、何億圓もするといふ高級マンションで作業をしてゐたが、その部屋に憧れを持つことは、全くなかつた。大きな窓から灣岸の景色が一望出來て、確かに見事な夜景だつた。しかし、ここで生活をしたら私は全く落ち着かないだらう。

昭和30年代に建てられた狭山の小さな一軒家
 住宅補修の仕事を始めた年に、大正時代風の恰好をしなければ參加が出來ないといふ、風變はりな花見會へ出ることになつて、その時にモダンガール風の洋裝を必死に探した。高圓寺の古着屋で水色のワンピースを見つけて、モダンガール風のファッションでその花見會へ出たことが轉機となつた樣に思ふ。繪を描くよりも、大正・昭和を追ひ掛けることばかりに夢中になつた。
 それまで暮らした上井草のコーポを引越して、狭山市の昭和30年代に建てられた小さな一軒家を一人で借りた。當時、一緒に暮らしてゐた人が居たが、轉職をして引越をした。一緒に暮らすことは、もう限界だつた。生活を共にして氣持ちが離れること程、辛いことはない。私は一人になつたのだ。6疉と4疉半、臺所、手洗所、浴室の平屋で、家賃は3萬5千圓だつた。

 ここで平成21年2月まで、2年間一人暮らしをしたのである。これまでに生活した家の中で最も過酷な環境だつた。眞冬に引越したのだが、勝手口の隙間から外が見えた。臺所に調味料を置くと、液體の殆どが凍つてしまふ。吐く息は室内でも白く、氣温は外氣と同じで、カーテンは常に風で搖れてゐる。相當な底冷で6疉間に布團を敷くと凍るかと思つた。布團の中も吐く息は白く、引越の初日から眠れず、夜中に家を出て國道16號線沿にある「ネットカフェ」で、一晩を明かした。そこは本當に暖かい所だつた。その冬は、炬燵の中で乘り切つた。(つづく)

(寫眞提供:淺井カヨ)

【日本モダンガール協會の「週刊モガ」】
http://moderngirlkayo.blog.shinobi.jp
【郡修彦東奔西走記】
http://blog.livedoor.jp/kohri0705/

 結婚を機に、大正から昭和にかけて建てられた和洋折衷住宅の新築を計画した淺井カヨさんと郡修彦さんご夫婦。新居となる「小平新文化住宅」を昨秋完成させました。古きよき時代の家を現代によみがえらせた家づくり秘話を語る、日本モダンガール協會・淺井カヨさんのインタビュー「ようこそ、小平新文化住宅へ」はコチラをご覧ください。
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【あさい・かよ × こおり・はるひこ】
◆淺井カヨ◆大正65年(昭和51年)名古屋市生まれ。平成19年に日本モダンガール協會を設立。大正末期から昭和初期を生きた日本のモダンガールと、その時代の調査や研究、講演を行うだけでなく、ファッションから生活様式まで当時のスタイルを追求し実践する。著書に『モダンガールのスヽメ』(原書房)がある。
◆郡 修彦◆昭和37年東京都生まれ。音楽史研究家。拓殖大学大学院修了(修士)。作曲家・音楽評論家の故・森一也氏に師事。SPレコード時代の音楽史を一次資料の徹底した調査により解明し、CD解説書・新聞・雑誌・同人誌に発表。SPレコードの再生・復刻で世界最高水準の技量を有し、200枚以上を世に送り出した。企画・構成・復刻を手がけた『SP音源復刻盤 信時潔作品集成』で文化庁芸術祭大賞を受賞。
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