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美しいくらし
昭和モダンの家を建てる 日本モダンガール協會 × 音楽史研究家
淺井カヨ × 郡 修彦
第1回 我が居住記-小平新文化住宅までの遙けき道のり㊤ 郡 修彦
 大正から昭和初期に流行した和洋折衷の「文化住宅」を、平成の世に新築した日本モダンガール協會の淺井カヨさんと音楽史研究家の郡修彦さんご夫婦。新築といえば大手ハウスメーカーによる画一的な家が一般的な現代、ここ30年ぐらいの間に建築方法は激変し、日本の伝統的な工法やそれを支えてきた職人さんが失われていっています。そんな状況下にあって、「大正末期から昭和初期までの家を新築する」という二人の願いをどのように叶えていったのでしょうか? その顛末記を淺井さんと郡さんに交代で綴ってもらいます。まずは郡さんの「我が居住記」からお届けします。


郡さんと淺井さん(撮影:永田まさお)
 新居に関する未来像は長い間漠然としたものであった。十代では当時の建売住宅の平均的な仕様を高級化した物、二十代は都心のマンション、三十代では在来工法による伝統的な住宅を希望していたが、住宅建築の推移は生き馬の目を抜くが如く急速であり、昨今流行の簡易工法へと移行して久しい。即ち集成材による柱、壁面と天井は石膏板にビニールクロスを接着し、床は化粧合板か樹脂床畳であり、かつての標準仕様であった無垢材柱、漆喰・聚楽壁(京都を代表する仕上用の土壁)、木材天井板、板張床・藁床畳は瞬く間に高級仕様と化してしまった。

 合成材料・合成塗料・合成接着材に起因するシックハウス症候群は昨今では周知の現象となったが、一時期までは原因が特定出来ず一部の人々の戯言の如く扱われて来た。私は昭和53年に購入した本棚により初めてシックハウス症候群となり、咳に大いに苦しみ遂には自室から本棚を撤去する方法で克服した初期体験を有している。故に長じて様々な場所にてシックハウス症候群に苦しみ、因果関係が明白になった昨今にては、在来工法に依る標準仕様の家が生活に最も快適であるとの結論に到達したのであった。

 これ即ち「昭和モダンの家」建設の淵源であり、大正末期から昭和初期(1920年~30年代)の音楽・服装・建築・交通機関等に幼少時より並々ならぬ興味を抱いて趣味と本業を両立して来た事も大いに影響している。そもそも、この様な感性が如何にして育まれたかを詳述する事が、読者諸兄の理解を助けると考え以下に順を追って記す。

昭和43年1月、旧宅前での記念撮影風景。手前の子どもが幼少期の郡さん。後ろに立っている着物姿の男性が父親(写真提供:郡 修彦)
 当家が戦後に東京進出の拠点としたのが現在地(小平市内)の都営住宅であり、それは戦災者や引揚げ者用に終戦直後から郊外に大量に建設された簡易建築物である。毎年毎に形が異なり、当家が入居したのは昭和25年型で、南側に6畳間と半畳の押入、北側に4畳半間と1畳の押入、西側に1畳の南玄関、1畳弱の便所、3畳の台所と裏口の以上であり、現在の災害地の簡易住宅とほぼ同一の間取りである。簡易工法ながら無垢柱(集成材の登場以前の最下級品)、土壁に漆喰仕上げ、棹縁天井の仕様であり、この居住空間が私の原点となった。

 入居当時は電気有り、上下水道無し(井戸)であり、買物から入浴まで私鉄で2駅移動しての国分寺で行う生活を、当時40代後半の祖父母と高校生の父が始めたのであった。祖父が他界し父が結婚してから私が小学校入学までに様々な増築が行われたが、増築は居住者の自由故に各世帯が風呂場・台所・部屋を増やし、竣工当時の姿は15年程で皆無となった。上水道は比較的早く、下水道も完備され、都市ガスも通り一通りが完備されたのは昭和40年代前半であった。当家では昭和36年から43年にかけて、石炭風呂用の風呂場、プロパンガス仕様の台所、4畳半の父親書斎、3畳の子供部屋が増築され、祖母・父・母・私・弟の5人の生活が続けられた。

昨年秋に完成した「小平新文化住宅」(撮影:永田まさお)
 この間の昭和41年4月から44年3月まで通園した「自由学園」の生活団(幼稚園法に準拠しない週1日の幼児教育施設、現在は幼稚園)の校舎も幼い私に大きな影響を与えている。最初の1年は竣工当初の漆喰壁に腰板の洋館で、次の年に遠藤楽設計の新校舎に移転したが、私には竣工当初の洋館の風情の方が好みであった。また、時折利用する上級学校の校舎や寄宿舎の竣工当初の風情も忘れられなかった。更に42年からは必修のピアノの稽古に「自由学園」界隈の個人(卒業生)宅に週1回通ったが、最初のT先生の洋館に魅了され、また同級生で近所に居住のM嬢の洋館(小宮宅として有名)にも風情を感じた。

 さて、昭和50年には西荻窪の建売住宅を購入し、小平の都営住宅に祖母を残して父・母・私・弟の4人の生活が始まった。これは建売りながら現在からすると中々の高級仕様で、節皆無の無垢柱に長押付き・聚楽壁の和室3室と板壁・板床の書斎から成り、台所・便所・風呂場は当時の平均的な仕様であったが、シックハウス症候群とは無縁の材質で出来ており、生まれて初めての新築住宅に私は大いに感動し、材料や仕上げ等に興味を抱いた。そして、住宅設計の面白さに魅了され、中学の授業中にノートの端々に架空の住宅を描いては面白からざる授業を受け流したが、この時の熱病とも言える様な住宅設計が今回の新築の原動力のひとつとなったのである。(つづく)


【郡修彦東奔西走記】
http://blog.livedoor.jp/kohri0705/
【日本モダンガール協會の「週刊モガ」】
http://moderngirlkayo.blog.shinobi.jp

 結婚を機に、大正から昭和にかけて建てられた和洋折衷住宅の新築を計画した淺井カヨさんと郡修彦さんご夫婦。新居となる「小平新文化住宅」を昨秋完成させました。古きよき時代の家を現代によみがえらせた家づくり秘話を語る、日本モダンガール協會・淺井カヨさんのインタビュー「ようこそ、小平新文化住宅へ」はコチラをご覧ください。
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【あさい・かよ × こおり・はるひこ】
◆淺井カヨ◆大正65年(昭和51年)名古屋市生まれ。平成19年に日本モダンガール協會を設立。大正末期から昭和初期を生きた日本のモダンガールと、その時代の調査や研究、講演を行うだけでなく、ファッションから生活様式まで当時のスタイルを追求し実践する。著書に『モダンガールのスヽメ』(原書房)がある。
◆郡 修彦◆昭和37年東京都生まれ。音楽史研究家。拓殖大学大学院修了(修士)。作曲家・音楽評論家の故・森一也氏に師事。SPレコード時代の音楽史を一次資料の徹底した調査により解明し、CD解説書・新聞・雑誌・同人誌に発表。SPレコードの再生・復刻で世界最高水準の技量を有し、200枚以上を世に送り出した。企画・構成・復刻を手がけた『SP音源復刻盤 信時潔作品集成』で文化庁芸術祭大賞を受賞。
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