
最近はもっぱら一カ所にとどまる「滞在型」の旅が多くなったが、若い頃はひたすら「放浪型」の旅だった。忙しくない作曲家というのは究極の〈自由〉業で、金はないがヒマだけは佃煮にするほどあったので、気が向くと(というより作曲に煮詰まると)ふらっと旅に出てばかりいた。
行く先は「北」とか「西」とか曖昧なもので、出かける当日までどこに行くかなど考えてもいない。玄関を出るとき「行き先」が決まっていることは滅多になく、文字通り足の向くまま気の向くまま。ひどいときは駅に行って最初に来た電車(あるいはバス)に乗って着いたところが目的地になったくらいだ。もちろん泊まるところも決めていない。
常に〈シーズンオフの平日の旅〉なので、旅館やホテルは空いている(はず)なのだが、大きなホテルが立ち並ぶような有名観光地や温泉ほど「お一人さま」に冷たい。軽装かつ手ぶらで何しに来たんだか不明な風体だと(空き部屋はあっても)「お一人様はちょっと」とけんもほろろに断られることが多かった。今でこそ女性の一人旅も可能になったが、むかしは絶対NG。初冬の寒い空の下、某有名温泉地に辿り着き、タクシーの運転手さんに「この辺にどこか宿は……」と聞いたところ「一人で手ぶらじゃ(自殺志願者と思われるので)絶対無理!」と断言され、以来、カメラやスケッチブックをこれ見よがしに持ち「どこか景色のいいところを探して写真あるいは絵を描きに来ました」というポーズを取るようになった。
そのうち自分の曲がコンサートなどで演奏されるようになると、(別に呼ばれもしないのに)地方のホールまで聴きに行くようになった。目的はコンサートそのものでなく、その帰りに寄り道する「近くの温泉」や「静かな名所」。有名な観光地や名所旧跡より、人影のない閑散とした場所や街ほどいい。夜は、そんな場末っぽい街の安酒場で地元の酒をちびちび飲みながらカウンターで推理小説を読む。これがもう(人生でこれほど至高の悦楽があるのだろうか、と思うほどの)楽しみだった。
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その頃はまっていたのが「ご当地殺人事件」のミステリー本だ。地方の駅に着くと必ず駅の売店や駅前の書店で、その土地の名前がタイトルに付いた殺人事件本を買う。佐渡なら「佐渡殺人事件」、津和野なら「津和野殺人事件」と言った具合だが、タイトルに地名はなくともその街が舞台という作品もある。

イラスト:古知屋恵子
最初のきっかけは、○○に言ったときに読んだ「○○殺人事件」(ネタバレになってしまうので以下地名は内緒)。駅前で買って街から離れたひなびた小さな村の民宿で読んでいたら、なんと物語の舞台が「そこ」。当然ながら殺人現場もそこ。おかげで臨場感たっぷりというか、その周辺の見所(曰くありげなおどろおどろしい名所や死体が転がっていそうな場所)まで知ることができ、ぞくぞくしたのが始まりだった。
さらに「××殺人事件」では、本を読んでいたローカル線のまさにその車両の網棚の上に生首が載っていたという話でギョッとし、旅館でこたつにくるまりながら読んでいた「△△殺人事件」では、殺人現場がまさにその旅館の玄関の目の前という偶然。「何読んでますのん?」と聞く女将さんに「実は」と話したところ大喜び(?)され、帰り際にその本を進呈していったこともある。
ちなみに「犯人は誰か?」とか「トリックは?」という点への興味はあまりない。テレビの旅情ミステリーや2時間ドラマでもそうなのだが、事件を追ってあちこちの場所を訪ねることの方がポイント。つまるところ一種の「観光ガイド」として読んでいると言った方がいいのかも知れない。なので、現地でしか知り得ないことがトリックの核だったりすると、あっさり解けてしまって鼻白むこともたまにある。「◎◎殺人事件」では犯人の鉄壁のアリバイを作る電車のトリックが最初の最初に分かってしまい(現地に行ったことのない人には絶対分からないが、その場に行って電車と駅と路線図を見るとすぐに分かるネタだったのだ)、一所懸命に現地取材をして執筆した作家サンには気の毒だったり残念だったり。
逆に怖かったのは、地名のない「▽▽▽」というホラー小説。東京で買って旅の行く途中で読んでいたら、行く先が偶然にも「そこ」。もちろん本の中では架空の場所だがモデルにしたのは明らか。しかも夜に到着して続きを読み進むと、なんと泊まっている山荘の地下に死体が埋まっている展開になり、うわわわ……。これは相当怖かった。
ただし、何かのきっかけで音楽のインスピレーションを得ると、頭がぱちんと音楽の方に切り替わる。そうなるともう居ても立っても居られず、山の中だろうが湖のほとりだろうが「すぐに東京の仕事部屋に戻る」ということしか考えられなくなるのが難点。昔から「避暑地で(自然に囲まれてのんびり)交響曲を書く」というのが夢だったのだが、どうも旅先で作曲(と殺人)だけは出来ない体なのらしい。
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