仕事柄、「シナリオハンティング(略してシナハン)」という名の旅に出ることがあります。脚本を書く前に舞台となる場所を訪ねたり、地元の皆さんにお話をうかがって、作品のイメージをふくらませるための旅です。

(c)あさみあやこ
近年では『八日目の蝉』(2011)の小豆島、『バンクーバーの朝日』(2014)のカナダ・バンクーバーを訪ねました。時間の許すかぎり、自分の足でてくてくと町を歩いてみます。大通りを行き、細い路地に入り、食べ物の匂いが漂ってくれば立ち止まってその匂いを嗅ぎます。道端のバス停の時刻表で1時間あたり何台のバスがやってくるかを確かめたり、写真館の前に飾られてある家族写真を眺めたり、日ごろなじみのない花や樹木や慣習があればそれはなにかを地元の人に尋ねます。町全体の距離感をつかみ、海や山はどちらの方向にあって、空気は湿っているのか乾いているのかを確かめます。歩く速度で見聞きすることで、現代の東京で暮らす自分の価値観をいったん忘れ、劇中の登場人物たちの価値観をつかんでいきます。彼/彼女たちがどんな行動半径を持って、日ごろどんな暮らしをしているのかをわずかでもつかむこと。それが脚本を書くとき、とても大きな助けになります。
旅に出る理由は人によってそれぞれですが、「ある小説が好きでたまらないから」という理由をよくわからずにいました。シャーロック・ホームズが好きだからロンドンにとか、三国志が好きだから中国にとか。「時代も違うし、行ってもしょうがないのでは?」などと軽々に考えていました。シナハンに出かけるようになって、その土地に行くと行かないとではまるで違う、ということが理解できてきました。時代が違っていても、その土地の匂いを嗅ぐこと、本の中に出て来る人物と同じ光を見ること。それを感じた時の喜びはささやかかではありますが、忘れられない喜びに違いありません。
独身のころの旅には本を持って行きませんでした。ほとんどが海外への行き当たりばったりな旅で、読むのはせいぜい行き帰りの飛行機の中で1冊。現地に着いたら海でしこたま泳いだり、すさまじく揺れるバスに1日中乗り続けたり、安宿を探して歩いたり、夜は同行の友人や現地で知り合った人と飲みに繰り出したり、というあんばいで、本を読む暇がありません。

イラスト:古知屋恵子
いくつかのホテルのロビーで、古本専用の本棚や箱が置かれてあるのを目にしました。誰かが置いていった本を、誰でも自由に持っていけるのです。和書は旅行記と推理小説とエッセイが多く、日本人が旅に持っていく本の傾向が分かりました。そこに自分が読み終えた本を置き、帰りの機内で読む本をもらったこともあります。金子光晴『にしひがし』、壇一雄『壇流クッキング』、松本清張『点と線』、村上春樹『遠い太鼓』などなど。置いていってくれた人、面白い本をありがとう。
結婚して子どもができてから、行き当たりばったりで移動の多い旅はしなくなりました。宿は前もって予約し、1箇所に滞在します。旅の形が変わってから、荷物に何冊も本を詰め込むようになりました。休暇中は読めるだけ読んでやる、とガツガツした気分でいっぱいです。子どもがプールで遊んでいる間、本のページをめくります。持っていった本と行き先の国の相性は、その土地に到着するまで分かりません。暑い国に暑い国の小説を持っていってもフィットするとはかぎらない。それなら行き先のムードを考慮せず、剣豪小説などを持っていくのはどうか。それでしっくりくる場合もあるし、「やっぱり日本で読めばよかった」と思う場合もある。なかなか予測が立たない、難しい問題です。

『カラマーゾフの兄弟』全4巻(岩波文庫)
なぜかサイパンで『カラマーゾフの兄弟』を読んだらしっくりきました。登場人物たちがフロックコートを着込んだり、ピロシキを食べたりする国の話ですが、彼らの行く末が気になって気になって、物語の強いうねりに翻弄されて、自分の周りの環境がどうかはまったく気になりません。1冊読み終わってページから目をあげると、本の世界とは違う、まぶしい日射しと青い海が目に入ってくる。本の世界から現実に戻って来たんだという実感がしみじみとこみあげてくる。どっぷりと本の世界にひたったという喜びがわいてくる。よい読書体験でした。
10月から、脚本を担当した『Nのために』(TBS系 金曜夜10時)が始まります。原作・湊かなえさんおなじみのスリリングな人間関係が見どころですが、瀬戸内海の美しい風景も見どころです。シナハンにも行ってきましたよ。