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美しいくらし
忘れられないイタリアの美しい村 トスカーナ自由自在
中山久美子
第12回 アドリア海の秘密のオアシス【グロッタンマーレ】

丘の上にある旧市街には中世の建物が残っている


 「グロッタンマーレにそんな場所があったの?」

 私が歴史的な建物が立ち並ぶグロッタンマーレの写真をSNSに投稿したとき、イタリア人の友人からびっくりしたというようなメッセージがいくつか届きました。グロッタンマーレは中部マルケ州の南、アドリア海沿岸の「ヤシのリヴィエラ」と呼ばれるビーチエリアの真ん中にある村です。約15キロも続くリヴィエラ(海岸線)には1万本近くのヤシの木が植えられ、南国ムードたっぷり。海が美しく設備も整ったビーチに与えられるヨーロッパの認証「ブルーフラッグ」を毎年のように授与されているだけあって、サラサラの砂の広いビーチと遠浅の海があるエリアは、バカンスを楽しむ家族連れを中心にとても人気があります。一方、旧市街に当たる古の村は海と反対側の丘の上にあるため、海沿いを訪れていた友人たちはその存在にまったく気がつかなかったというわけです。

 私が村を訪ねたのは3月半ば。電車から降りると、オフシーズンだったこともあり駅前は人通りが少なくとても静かでした。ここから中世の町並みが残る古の村までは上り坂を徒歩15分ほど歩くので、できれば荷物を預けていきたいところですが、予想通り駅にはそんなサービスはありません。そこで、荷物を抱えたまま駅前のバールにエスプレッソを飲みに入ったところ、バールのおばさんが「見ててあげるから村歩き楽しんでおいで」と言ってくれました。その言葉に甘えて、荷物を彼女の店に置かせてもらうことに。夏のバカンスシーズン以外は外部の人が滅多に足を運ばないような村に外国人がやってきたことがうれしかったのか、彼女の優しい気遣いに気持ちが和みます。

 この日は観光案内所が閉まっていたので、現地で地図を調達することができませんでしたが、端から端まで200メートル程度の区域で道に迷うこともないだろうと、まずは城があったという高台まで行ってみることにしました。そこで目にしたのは、鐘が縦に2つ並んだ塔。それは16世紀後半のローマ教皇シクトゥス5世が彼の生家があった場所に建設したサンタ・ルチア教会でした。
 シクトゥス5世といえばたった5年の短い在位期間にさまざまな公共事業でローマを再建し、教皇庁の財政を立て直した人物。歴史の中でも際立った敏腕教皇だった彼が、こんな小さな村の貧しい家庭出身だったとはちょっと信じられません。

 残念ながら修復中のために中を見学することは叶わなかったので、それならばと向かった先は、シクトゥス5世の本名フェリーチェ・ペレッティから名付けられた、旧市街の中心にある「ペレッティ広場」です。両脇から建物が覆いかぶさってきそうな狭い路地を抜けてきたからか、装飾の少ない薄茶色のすっきりとした建物に囲まれているせいか、たどり着いた広場は実際の面積以上に広々としています。清々しい開放感を感じさせるのは視界だけではありません。東側にあるオレンジ劇場と呼ばれる建物の1階は、奥まで吹き抜けのロッジア(開廊)となっており、海からの風を広場に運んでくるのです。誘われるようにその中へ入ると、3連アーチの向こうに広がるのは、空との境が分からないほど溶け込んだ青い海、白い砂浜、新市街の景色。それらが層となって南へ果てしなく伸びています。柵に身を乗り出して瞼を閉じ、胸いっぱいに吸い込んだ空気をゆっくりと吐き出すと、そのままふわりと海風に乗って飛んでいけそうな軽やかな気分になりました。


 ロッジアのあるこの劇場、広場に戻ってその外観を改めて見てみると、2階の壁の真ん中に等身大程度のシクトゥス5世の像が置かれていました。9歳で近郊の修道院に入り、その後聖職者としてのキャリアをつき進んだ彼は、この地に再び暮らすことはありませんでしたが、400年以上経った今も、偉大な教皇であることを住民が誇りに思っているのは想像に難くありません。
 カトリック教会と教皇領の長を任されるまでになっても、生まれ故郷であるこの村をきっと愛していたのでしょう。ローマ教皇になってから68歳でサンタ・ルチア教会の建設を開始しただけでなく、レリーフが見事な金の杯も村に捧げたのでした。

 さて、散策していた広場で気になったことがありました。それは「Teatro dell’Arancio(オレンジ劇場)」「Osteria dell’Arancio(オレンジ食堂)」と、建物や店にオレンジの名が付いていること。そういえば古の村に入る前、民家の庭や城壁の端っこにオレンジの木が植えられていたのを思い出しました。イタリアではオレンジは南部のイメージしかなかったので調べてみたところ、14世紀にシチリアの船員が温暖な気候のこの地にオレンジの木を持ち込んことがきっかけで定着。18世紀半ばには司教が中心となって植林し、栽培を広げたのだとか。現在は生産自体は少なくなったものの、市章に2本のオレンジの木が入っているほど村を代表する特産物として大事にされているようです。

 丘を下りて線路の高架をくぐり、最後にビーチにも寄ってみました。オフシーズンなので観光客はいないものの、海沿いのメーンストリートではジョギングや犬の散歩をする人、海辺では延々と波打ち際を歩く人や裸足になってフリスビーで遊ぶ家族など、地元の人が思い思いに過ごしています。それはバカンス客が押し寄せてくる前の今のうちに、自分たちの海をゆっくり楽しんでおこうというように……。
 さっき歩いたところがどこにあるのか、ビーチから丘が見える西のほうを探してみると、ホテルやアパートが立ち並ぶ奥にひょっこりと見える程度。カラフルなパラソルと人で埋め尽くされたハイシーズンの様子を想像すると、友人たちが古の村の存在に気がつかなかったのも無理はありません。

 イタリアの海のバカンスは楽しいけれど、どこへ行ってもいつもにぎやかで落ち着かず、ちょっと一息つきたくなるときもあります。丘の上に佇む古の村は、そんな人たちにぴったりの秘密のオアシス。素朴な雰囲気とゆったりと流れる時間、そして海風に吹かれて見渡すその景色が、疲れた心を癒してくれそうです。(つづく)

★グロッタンマーレへのアクセス
ボロ―ニャまたはローマから電車でアンコーナで乗り換えて約4時間~5時間30分。

【トスカーナ自由自在】https://toscanajiyujizai.com/
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【なかやま・くみこ】
兵庫県出身。28歳でフィレンツェ留学、のち現地で結婚。現在はフィレンツェ北部の田舎で、夫・息子2人の4人暮らし。さまざまな分野の取材・視察・ビジネスのコーディネイトと通訳を一貫して行う。趣味の個人旅行とトスカーナ愛が高じて、ウェブサイト「トスカーナ自由自在」を2015年に開設。ありのままの日常生活を紹介するとともに、郷土料理や祭り、生産者、小さな村などイタリア各地の魅力を発信している。
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