× close

お問い合せ

かもめの本棚に関するお問い合せは、下記メールアドレスで受けつけております。
kamome@tokaiedu.co.jp

かもめの本棚 online
トップページ かもめの本棚とは コンテンツ一覧 イベント・キャンペーン 新刊・既刊案内 お問い合せ
美しいくらし
トーベ・ヤンソンの秋の面影を追いかけて ライター
内山さつき
第2回 おとぎ話の壁画を辿る旅(下)

街路樹の美しいコトカの町

翌朝も空はぴかぴかに晴れていた。8時半過ぎにホテルを出て、コトカの町を歩く。小さな町だが、道は広く整備されていて、街の中心部を走る街路樹が美しい。通勤や通学の時間は過ぎていたのか、やはりあまり人影はなかったが、どこかで工事をしている音が小さく響いていた。
オフィスのある建物は、角を曲がって通りを2、3本過ぎたところにすぐあった。約束の時間になったのでドアを叩くと、メールでやりとりをしたリーッカさんが出てきてくれた。彼女は「寒かったでしょう」と言いながら、建物入口から入ってすぐの奥行きのある小さな会議室に通してくれた。そしてそこに、あっさりとトーベの壁画があった。あまりに当たり前のようにあるので、驚いて絵を見つめていると、リーッカさんは、壁画の解説を記した紙を持ってきてくれて、こう言った。

「私はあちらで仕事の準備をしているから、どうぞゆっくり観ていってくださいね」
白く塗られた簡素な会議室の壁に、柱を挟んで2枚の絵が描かれている。左側の一枚には、森の中の小道を抜け、白馬に乗ってやってきた愛らしい少女が、さまざまな生きものたちに囲まれている。この少女はトーベ自身なのだそうだ。画面の右側で赤いドレスを着た女性が、階段を並んで降りる子猫たちと一緒に少女を出迎える。その建物の円柱の上部に、小さなムーミントロールとスニフ、スナフキンが描かれている。
右側のもう一枚は、よりスケールの大きさを感じさせる絵だ。ライオンとユニーコーンに挟まれて、王冠を手にし、赤いローブをまとった女性が描かれ、その後ろに続くようにたくさんの生きものたちが行進している。よく見ると、スノークのおじょうさんにニョロニョロ、トフスランとビフスランにムーミンママもいる。背景には山がそびえ、滝が水しぶきを上げている。遠くの空に雷光がきらめいている。

会議室の「フェアリーテイル・パノラマ」©Moomin Characters™


会議室の窓から朝の白い光が差し込むと、部屋はふっと明るくなった。壁画は輝きを増し、今にも動き出しそうだ。私がこの壁画を直接見たかった理由のひとつに、トーベがこの作品にイミテーションの宝石や真珠を埋め込んでいたことがある。彼女は当時堅実なテーマで描かれることの多かった壁画を「おとぎ話」や「楽園」のモチーフで描き、こんな遊び心も加えた。実際、宝箱の中の宝石や王冠、ネックレスなどの装飾に色ガラスや真珠があしらわれ、朝日に照らされてキラキラと輝いていた。画面のいたるところでキャラクターたちによる小さな物語が展開されていて、ここにもあそこにも、と目が離せない。気づけば私はすっかりその世界に入り込み、不思議な影の揺らめくおとぎの森を抜け、少女の乗る気品ある馬に見とれ、激しく流れ落ちる滝の上を気球に乗って、空から雄大な風景を眺めていた。
……はっと我に返ると、いつの間にかリーッカさんが戻ってきて微笑みを浮かべながら立っていた。いつもこんなに美しい絵の前でミーティングをしているなんて羨ましいです、と話しかけると、彼女はにっこりと頷いた。
「多くのフィンランド人と同じように、私も小さい頃からムーミンを読んで育ったんです。だから、自分が働く場所にトーベのこんなに素晴らしい壁画があると知ったときには、まるで夢みたいって思いました」
実は子どもの頃、トーベに会ったことがあるんですよ、と彼女は続けた。それは1990年代で、トーベは70後半〜80代、リーッカさんは6、7歳のときのこと。スウェーデン語をうまく話せなかった彼女は、フィンランド語でトーベに「あなたの本が大好きなんです」と懸命に伝えた。するとトーベは微笑んで頷き、「ありがとう、ありがとう」と言って、ムーミンの絵を描いてくれたのだという。「なんて言ったらいいのかうまく表現できないのだけど、トーベには何か特別な雰囲気があったの。とにかく、とても素敵な人だったんですよ」
幼い頃の宝物を見せてくれるように、リーッカさんは誇らしげに、にこやかに、大切な思い出を語ってくれた。
 
週末の忙しい日に時間を取ってくれたリーッカさんに改めてお礼を言い、オフィスを後にした。午前9時を回ったところで、一日はこれからまだまだ、たっぷりある。朝の光に美しく輝く街路樹に目を奪われながら、もう私はコトカの町が好きになっていた。(つづく)

白い霜に縁取られた落ち葉たち。
朝のわずかな時間にだけ見られる、美しい自然の姿


(写真提供:内山さつき)

【内山さつきさんのInstagram】https://www.instagram.com/satsuki_uchiyama/?hl=ja

トーベとムーミン展
~とっておきのものを探しに~

[長野会場]


[会場]長野県立美術館 (長野市箱清水1-4-4 城山公園内・善光寺東隣)
[会期]2026年2月7日(土)~4月12日(日)
※休館日:水曜日、2/11(水・祝)は開館、翌2/12(木)休館
[開館時間]9:00~17:00(展示室入場は16:30まで)


[公式サイト]https://tove-moomins.exhibit.jp/(最新情報をご確認ください)

◆長野会場にて、書籍『トーベ・ヤンソンの夏の記憶を追いかけて』を販売しています。この機会にぜひお買い求めください。

好評既刊『トーベ・ヤンソンの夏の記憶を追いかけて』
内山さつき 著


定価2420円(税込)

「ムーミン」シリーズの生みの親で、芸術家としても知られるトーベ・ヤンソン。彼女が26年間、ほぼ毎年の夏を過ごした場所は、フィンランド湾に浮かぶ小さな島クルーヴハルでした。今なお水道も電気もないその島に滞在した忘れがたい日々と、トーベの友人たちが語った色褪せることのない思い出――。この二つの記憶を重ねるように綴られる旅のエッセイです。アトリエや幼少期を過ごした家など、ゆかりのスポットも収録。ページをめくるたびにトーベが見つめていた世界に出会えます。

●書籍の詳細・購入は⇒

こちら

ページの先頭へもどる
【うちやま・さつき】
東京都生まれ。月刊誌の編集執筆に携わった後、フリーランスのライター、編集者として独立。「旅・物語・北欧」をテーマに取材を続ける。2019年から全国を巡回した「ムーミン展 the art and the story」の展示監修&図録執筆を担当するほか、朝日新聞デジタルの連載「フィンランドで見つけた“幸せ”」や「地球の歩き方 webサイト」のラトビア紀行を執筆する。2014 年夏、「ムーミン」シリーズの作者トーベ・ヤンソンが夏に暮らした島、クルーヴハルに滞在したことをきっかけに、友人のイラストレーター・新谷麻佐子さんと北欧や旅をテーマに発信するクリエイティブユニットkukkameri(クッカメリ)を結成。ユニットとしての著書に『とっておきの フィンランド』『フィンランドでかなえる100の夢』(ともにGakken)。2023年に開設したwebサイト「kukkameri Magazine」では、フィンランドのアーティストたちを紹介している。
新刊案内