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美しいくらし
トーベ・ヤンソンの秋の面影を追いかけて ライター
内山さつき
第2回 おとぎ話の壁画を辿る旅(上)
今回の旅で、私はフィンランド東南部の小さな港町、コトカに足を伸ばした。その町には、トーベが1949年、保育園のために描いた美しい壁画があるからだ。この壁画「フェアリーテイル・パノラマ」は2枚で一つの作品で、どちらにもおとぎ話の登場人物たちと共に、ムーミンのキャラクターが描かれている。やわらかな色彩で描かれ、たくさんのキャラクターたちが画面を躍動するこの一大パノラマは、現在日本各地を巡回している「トーベとムーミン展」でも、アニメーションによる複製が紹介されている。
昨年「トーベとムーミン展」の仕事に携わっていた間、私はこの壁画についての論文や解説とずっと向き合っていた。そしていつか一目でもいいから、本物の壁画を見てみたいと思うようになった。壁画は現在、あるオフィスの中にあり、普段は一般公開されていない。私は関係者に、少しだけでも壁画を見せてもらえないだろうかと連絡を取ってみることにした。するとなんと、「金曜日の8時45分にオフィスの前に来られるなら、ミーティングの後に案内できますよ」と快い返事が届いたのだ。この旅でコトカに行くことが決まった瞬間だった。
コトカはヘルシンキからバスで2時間ほど。朝8時45分に訪問するのなら、前日入りが安心だ。調べてみると、そのオフィスから歩いてすぐのところに、フィンランドの大型チェーンのホテルがあった。その系列のホテルには、これまで取材のため、各地で何度も泊まったことがある。しっかりした、いいホテルだ。私は迷わずそこに宿を取り、前日の夕方、バスでコトカに向かうことにした。

出発の日、空はよく晴れていた。バスに乗り込んだのは、傾き始めた日が街路樹の紅葉をきらきらと照らし出す頃。バスはヘルシンキ北部にある老舗遊園地、リンナンマキのそばを走っていく。オレンジ色に輝く木々と観覧車のかわいらしいシルエットが青い空に映えている。信号待ちでバスが止まっている間、うっとりしながらそんな風景をスマホで撮影していたら、とんとん、と肩を軽くたたかれた。振り向くと、通路を挟んだ向かいの席に座っていた10代後半くらいの女の子が、自分のスマホを差し出すようにして話しかけてきた。
「エアドロップで写真、送ってもいいかな?」
ヘッドフォンを首にかけた彼女は褪せたブロンドの長い髪に、切れ長の灰色の瞳をしていた。口元には銀のピアスが2つ、黒いトレーナーに黒い革のジャケット。物憂げなハスキーな声だった。きっとメタル系のバンドが好きなのだろう。とても素敵な女の子だった。でも何の写真? 以前知人から聞いた、近くにいる相手に写真を送れるスマホの機能「エアドロップ」が悪用されたという話が頭をよぎり、少し戸惑った。
「どうして?」

パスの中で女の子が撮って送ってくれた写真

すると彼女は、「……いい写真が撮れたから」と言って、自分のスマホの画面を見せてくれた。そこには、窓の外の写真を撮っている私の後ろ姿が写っていた。見事な紅葉と観覧車、私のスマホの画面の中にも同じ風景が小さく収まっていた。思わず、わあ、と声が漏れた。一瞬でも疑ってしまったことが申し訳なくなった。ぜひお願い、ありがとう!と言うと、彼女は少し得意そうに口元に笑みを浮かべ、その写真を送ってくれた。
再びバスのシートにもたれかかりながら、ああ、私はやっぱりフィンランドが大好きだな、と思った。フィンランドを旅していると、こういう心温かいやさしい人たちにたくさん出会う。朝の忙しい時間に壁画を見せてくれると言ったオフィスの担当者も、この女の子も……。この一枚の写真に、コトカへの旅を祝福してもらったような気持ちになった。
途中経由したポルヴォーという古い町で、彼女は席を立った。赤い夕陽が古い町並みの影にまさに隠れようとしていた。素敵な写真をどうもありがとう、と伝えると、彼女はちょっとはにかんで、「……どういたしまして」と微笑み、夕日の照らす小さな町へと降り立っていった。

コトカに着いた頃には日はすっかり暮れていた。小さなターミナルに明かりは少なく、空気はひんやりしている。ホテルまでは歩いて10分ほど。チェックインしてから再び外に出るのはきっと億劫になると思い、ショッピングモールに立ち寄って、ヘルシンキでもたまにお世話になるコーヒーチェーンでベーグルサンドとコーヒーをテイクアウトした。夜7時過ぎだったが、街角にもモールにも人影はまばらだ。コトカは落ち着いた静かな町のようだ。
ホテルの部屋で、フィンランドのクイズ番組を観ながらベーグルサンドを食べた。とてもおいしかったけれど、円換算するとこの簡素な夕食に約2500円もかかっていた。明日は朝が早いので、ホテル上階のサウナで温まってから早めに眠ることにする。(つづく)

コトカには緑豊かな公園がたくさんある


(写真提供:内山さつき)

【内山さつきさんのInstagram】https://www.instagram.com/satsuki_uchiyama/?hl=ja

トーベとムーミン展
~とっておきのものを探しに~

[長野会場]


[会場]長野県立美術館 (長野市箱清水1-4-4 城山公園内・善光寺東隣)
[会期]2026年2月7日(土)~4月12日(日)
※休館日:水曜日、2/11(水・祝)は開館、翌2/12(木)休館
[開館時間]9:00~17:00(展示室入場は16:30まで)


[公式サイト]https://tove-moomins.exhibit.jp/(最新情報をご確認ください)

◆長野会場にて、書籍『トーベ・ヤンソンの夏の記憶を追いかけて』を販売しています。この機会にぜひお買い求めください。

好評既刊『トーベ・ヤンソンの夏の記憶を追いかけて』
内山さつき 著


定価2420円(税込)

「ムーミン」シリーズの生みの親で、芸術家としても知られるトーベ・ヤンソン。彼女が26年間、ほぼ毎年の夏を過ごした場所は、フィンランド湾に浮かぶ小さな島クルーヴハルでした。今なお水道も電気もないその島に滞在した忘れがたい日々と、トーベの友人たちが語った色褪せることのない思い出――。この二つの記憶を重ねるように綴られる旅のエッセイです。アトリエや幼少期を過ごした家など、ゆかりのスポットも収録。ページをめくるたびにトーベが見つめていた世界に出会えます。

●書籍の詳細・購入は⇒

こちら

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【うちやま・さつき】
東京都生まれ。月刊誌の編集執筆に携わった後、フリーランスのライター、編集者として独立。「旅・物語・北欧」をテーマに取材を続ける。2019年から全国を巡回した「ムーミン展 the art and the story」の展示監修&図録執筆を担当するほか、朝日新聞デジタルの連載「フィンランドで見つけた“幸せ”」や「地球の歩き方 webサイト」のラトビア紀行を執筆する。2014 年夏、「ムーミン」シリーズの作者トーベ・ヤンソンが夏に暮らした島、クルーヴハルに滞在したことをきっかけに、友人のイラストレーター・新谷麻佐子さんと北欧や旅をテーマに発信するクリエイティブユニットkukkameri(クッカメリ)を結成。ユニットとしての著書に『とっておきの フィンランド』『フィンランドでかなえる100の夢』(ともにGakken)。2023年に開設したwebサイト「kukkameri Magazine」では、フィンランドのアーティストたちを紹介している。
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