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食べるしあわせ
忘れられない旅と味
リレーエッセイ
第4回 サカ子さんの命の旅 鶴巻麻由子(「珈琲屋台 出茶屋」店主)
サカ子さんは夫のお母さん。
私は出会って3年、一緒に暮らして約1年だ。小金井の出茶屋と、豊橋で焙煎をしながらの2拠点暮らしをしつつ、夫とサカ子さんと、とても穏やかな日々を過ごした、そして、サカ子さんは昨年の12月の終わりに旅立った。

絵手紙や詩、写真をたくさん残してくれたサカ子さん。
「思いを言葉にするのは難しいです」
サカ子さんもそう残してるように、そのときに感じたことは、とても言葉に表しきれないし、言葉にせず、そのまま心に残していっていいものなのだろうと思う。

それでも、サカ子さんと過ごしたそのかけがえのない時間は、まさにサカ子さんの「命の旅」だった。食べることが大好きだったサカ子さんを想い、その最期のときにサカ子さんにもらった温かいものを、この機会に少しでも書くことができたらと願う。

サカ子さんが生まれたのは1943年。
当時、日本一の小さな村だった愛知県の最北の山奥、富山とみやま村に生まれ、小学校のときに佐久間ダムによる水没危険エリアになったことで豊橋の大清水のあたりに家族で移り住んだそう。

文学少女だったというサカ子さん。
高校を出て、仕事をしながらも愛知大学の夜間部に通ったり、本を読んだり詩を書いたりしていたものが残っている。そして結婚、子育てをしながらも、カブ(ホンダの小型バイク)に時には3人の子どもたちを乗せて! 畑に、仕事に、平和のための活動にと、豊橋中を走り回っていたそう。

私が出会ったのはサカ子さんが脳出血で倒れた直後。幸い発見が早く、ふた月ほどのリハビリ入院から少し残った麻痺まひも、出にくかった言葉も、しばらくするとだんだんと治っていった。元々の膝の痛みから、外では車椅子、家の中は歩行器を使っての移動の日々。
車椅子のサカ子さんと夫と私の3人で、またはお姉さんや妹さん家族と一緒に、近所の散歩から、サカ子さんの大好きな山や海、畑、美術館、観劇と、本当にいろんなところへ行った。

本人は無口だと言いながらも、面白くってちょっと気の効いたことを言って周りを温かい気持ちにしてくれたサカ子さん。そして私のことも盛大に褒めてくれて、いつも「ありがとう」をたくさん言ってくれた。

7月には、夫のご縁から、渥美半島の海と山に囲まれた「ゆずりは学園」で結婚パーティーを開くことができた。少し急な斜面を登った山の中での人前式には、サカ子さんには軽トラックに乗ってきてもらう予定が、軽トラに乗りこむのも難しいだろうと、まわりのみんなが手伝ってくれて車椅子を人力で運んでもらった!
「よいしょよいしょ」と車椅子に乗りながら自らかけ声をかけるサカ子さん。運んでくれた友人たちは、大変だったけどとってもかわいくてファンになったと言ってくれたりもした。来てくれたみんなに会ってもらえてよかった。

みんなが次々と料理を運んでくれて、サカ子さんのお皿は常においしそうな料理がのっていたとのこと! その頃には刹那的な記憶の中にいたサカ子さんだけれど、結婚パーティーのあと1週間ほどずっと「昨日はすごかった、たくさん集まってうれしかった、ごちそう食べすぎた、楽しかった」と言ってくれて、それがとてもうれしかった。

9月の終わりには、「大きな花火大好き」というサカ子さんと3人、田原の花火大会に行って、屋台のご飯を食べ、大好きなアイスクリームは、サカ子さんの強い希望でおかわりもした。
日々のおいしかったもの、楽しかったこと、書ききれないほどだけど、今思えばそんな日々の中、少しずつ出来ないことが増えていたと思う。

老化の段階なのかねえと夫とは話していたけれど、週に3回通っていたデイサービスの方から、進行が急過ぎる気がすると脳の検査を勧められた。
夏までは、10年前に先立ったお父さんが残してくれたスバルの車に、車椅子から自力で乗り降りをがんばっていたけれど、だんだんと難しくなり、外出は近所の公園への車椅子でのお散歩と、デイサービスに限られていった。
CTスキャンとMRI。病院での予約、受診、検査と、介護タクシーに乗り車椅子でがんばったサカ子さん。その1カ月の間にも、少しずつ食べるのが難しくなってきて、口数がぐっと減っていった。

検査の結果、悪性の脳腫瘍で、進行のとても早いものだろうと、突然の余命宣告。もしかしたら年内も覚悟してと言われて、心底びっくりする。
まだまだ食べること、やりたいこと、サカ子さんの意欲も伝わって来る。
自然と、できるだけ、サカ子さんの望むようにしたいと思う。

12月の頭には、車椅子が乗れる車に変え、在所へ行って大好きな親戚たちと時間を過ごす。畑にも一緒に行って収穫を見守ってもらう。そしてサカ子さんの大好きだった旧富山村にも行くことが出来た。
帰ってきて、緩和ケアの病院へ受診すると、もういつ亡くなってもおかしくないとすぐの入院を勧められる。大体のことにうなづいていたサカ子さんだけれど、入院には、頑なに首を振った。

「大好きなお家に居たいよね」
在宅の看取りをお願いできるお医者さんに訪問診療をお願いすることが出来て、訪問の看護師さんがいろんな状況を、とても丁寧に説明してくれて心構えをすることができた。

その1週間。近くに住むお姉さんは朝に夕に顔を見に来てくれる。東京から妹さん一家が来る。3人の孫にもしっかりと会える。サカ子さんの中学の頃の同級生が来てくれる。兄妹がそろう。
どんなふうに感じていたのかは分からない。けれど「みんなが来る前に起きる?」と聞くとしっかりとうなづき、車椅子に移乗し座って過ごす。

たくさんの苦労をしてきたサカ子さん。
最期の数年は、ようやっとあんきに(気楽に)やりたい行きたいと言ってくれるようになったそうだ。それをできるだけ叶えてあげたいと、夫をはじめ家族が自然と協力して、サカ子さんのまわりに集まっていた。
それでも、まだまだ一緒に居て、いろんなところへ行って、サカ子さんの「おいしい」も「ありがとう」もたくさん聞ける気がしていた。
とても寂しい。けれど、本当に寝たきりだったのはたった1日だけ。その最期のとき、それはサカ子さんの意思のようにも感じられた。

最期の数週間は、ほとんどゼリー状にしたものを少しずつ飲み込むだけで、眠り姫のようだったサカ子さん。最期の日は、身体中に酸素を送ろうとがんばっているかのように、呼吸が浅く早い時間が続く。看護師さんからそれが誰にでも起きることで自然のことだと、本人は苦しくないと聞いていたけれど、どきどきする。

そんなとき、口を湿らすためのスポンジをぐっと強く噛み締めたサカ子さん。これは、と夫と妹さんと3人で、サカ子さんの大好きなアイスクリームを口に運ぶ。ごくん、と食べられた! それからしばらく激しい呼吸が続き、そして段々と無呼吸の合間が生まれる。サカ子さんは息子と娘に手を握られながら、目を閉じ、すうっと、静かに、安らかに、永い眠りについた。

「自然に死んでいく」ということを、サカ子さんの命の質量のようなものを、間近でしっかりと伝えてもらった。

お葬式では、棺に入るときに旅支度を整えてもらう。数珠、笠、杖を持って、足袋、手袋を履かせてもらって、たくさんのお花に包まれたサカ子さん。棺を閉じる前に、葬儀屋さんがこれを、とおにぎりを入れてくれた。お母さん、旅支度が整ったね、とみんなで泣き笑い。

そして今は四十九日の旅路の途中。毎日、サカ子さんの写真の前に小さなお皿を用意して一緒に食べている。
人生は旅だと言うけれど、移りゆくときの中で「おいしい」と「ありがとう」って誰にでもいつでも温かい気持ちをくれる。とても大切なことだと思う。

忘れられない旅と味、おいも、アイス、干し柿、のりのたっぷり巻いてあるおにぎり……。
サカ子さんの大好きだった食べ物を見るたびに、あちこち一緒へ行った山や海へ行くたびに、きっとずっと思い出す。

ありがとう、といつも言ってくれた。
サカ子さんの最期の旅とごはんはあこがれだ。
そんなかけがえのない時間をありがとう。


(イラスト:きりたにかほり)

好評既刊『今日も珈琲日和』

鶴巻麻由子 著


定価1760円(税込)

東京の西側、緑豊かな小金井界隈で、道行く人に1杯ずつ丁寧に淹れた珈琲を飲ませてくれる小さなリヤカー屋台のお店。ここには壁も敷居もない。晴れの日も雨の日も、夏も冬も、どこまでもつながる空の下、それぞれの人たちの日常の中に「珈琲屋台 出茶屋」はある。小金井の人々とのにぎやかな出来事や温かなふれあい、そして珈琲への想い――。鶴巻さんの人柄そのものの飾らないシンプルな言葉で語られる20のエッセイ。

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【鶴巻麻由子】
1979年千葉県生まれ。「珈琲屋台 出茶屋」店主。2004年に東京都小金井市に移り住む。同年、小金井市商工会が主催する「こがねい夢プラン支援事業」に応募し、リヤカーを用いた「珈琲屋台」のプランが採用される。炭火と鉄瓶、新鮮な自家焙煎豆で心を込めて淹れた珈琲を提供し、地元の小金井を中心に多くのファンを集めている。2025年からは東京・小金井と愛知・豊橋での2拠点暮らしにチャレンジ中。東京・小金井では屋台と小屋を、愛知・豊橋で焙煎所をそれぞれ営んでいる。
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