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魅惑の19世紀文学案内
東京大学大学院総合文化研究科 准教授
出口智之
第11回 「アルベリックの貼雑帳」貴重な古文書が呼び起す怪異
 ホラー小説の紹介は難しい。

 このジャンルには、きわめて熱心なファン層が固まっている一方、いわゆるフツウの文学好きはほとんど興味を示さないという特徴がある。だから、斯界を代表するビッグネームの名前を挙げても、たいていは知らない言語でも聞いたようにきょとんとされる反面、ホラー好きからは全然ツウじゃないと思われがちだ。個人的に、現在活躍中の作家のなかで、三津田信三さんは活字だけで人を恐怖に陥れられ、しかも秀抜なミステリも書ける最高の書き手の1人だと確信していて、機があるごとに人に勧めてもいるのだけれど、純文学系の作品の愛好者が多い業界にいると、なかなか同好の士に出会わないのが悲しい。
 もっとも、SFも同様の状況なのだが、こちらは筆者にはまったく合わず、ウェルズの超有名作くらいしか読んでいないから、そうそう人のことを言ってもいられない。

 というわけで、ホラー好きには今さらの大作家であると承知のうえで、モンタギュー・ロウズ・ジェイムズ(1862-1936)の「アルベリックの貼雑帳(はりまぜちょう)」(1893)をご紹介したい。
 第2回の最後に、19世紀の英国が生んだ数々の怪奇小説の名作を挙げたが、ジェイムズはその掉尾を飾り、20世紀への架橋をはたした巨匠である。ヴィクトリア朝ホラーの流れを決定づけたシェリダン・レ・ファニュの影響下に、同世代のアーサー・マッケン、アルジャーノン・ブラックウッドらとともに、英国怪奇小説の黄金時代を形づくった。本業は、ケンブリッジ大学の副総長までつとめた碩学の古文書学者であり、怪奇小説は友人に読み聞かせるクリスマスの娯楽として書きはじめたと伝わる。何となく、おなじころロンドンで英文学を学んでいた夏目漱石が、帰国後に書いた第1作「吾輩は猫である」もまた、友人たちの会での朗読用だったことが思い起されて興味深い。
 (ちなみに、某社から出た世界文学のアンソロジーを編集した友人に、こういった名前をずらずら挙げて、ぜひ1作は入れてくれろと迫ったけれど、誰も知らんと言われてしまった。そういうことであります…)

イラスト:楓 真知子


 「アルベリックの貼雑帳」は、そのジェイムズの最初期の作品である。
 南フランスの美しい村、サン・ベルトラン・ド・コマンジュを訪れたケンブリッジ大の学者デニスタウンは、大聖堂を見学しながら、何かにおびえたような堂守の態度をいぶかしく思う。見学後、彼はその堂守から、自分の所有する古文書を買わないかと持ちかけられた。ひやかし半分で見にゆくと、意外にもそれは初期キリスト教の論説を含む、貴重な古文書の貼雑帳(はりまぜちょう)ではないか! あまりの幸運に心躍り、いくら出しても買いたいと持ちかけると、堂守が提示したのはごくわずかな金額だった。
 それ以上の額を決して受取ろうとしない堂守から、いたって廉価で本を手に入れたデニスタウン。だが気になるのは、最後のページに貼込まれたソロモン王の絵だった。地面には異様な禍々しさを放つ死体が横たわり、王も兵士も恐怖と嫌悪の表情を浮べている。とはいえ、ほかの古文書の貴重さに変りはないはず、と喜びにふるえ、彼が旅宿の部屋で本を取出したところ、いつのまにか机の上に例の死体にそっくりな手があらわれ、そして自分の背後には…。

「アルベリックの貼雑帳」は「M・R・ジェイムズ怪談全集」 1巻所収(紀田順一郎訳、創元推理文庫)

 本作には、以後のジェイムズ作品の基本形となる特徴、すなわち古い建物や遺跡のある田舎町と、学者の主人公、怪異を呼び起す古物などが揃っている。筆者がこの作品に心惹かれるのは、自分も古文書を扱うことのある学者であり、貴重な資料を見出した喜びや、何百年の時と人々の思いを宿した書物、古色を帯びた不気味な絵画といったものに親近感を覚えるからかもしれない。
 だが、これが趣向優先のよくある怪談にとどまらないのは、たとえば貼雑帳に見出される大聖堂の怪しげな設計図、聖堂内部にあらわれた怪異、本を手放した堂守の奇妙な死、貼雑帳のかつての持主で、例の絵を描いた前世紀末の聖堂参事会員アルベリックが残した不可解な章句など、かならずしも解決されないいくつもの謎が、恐怖を重層化するように周到に準備されているからだろう。どうやら、この大聖堂には奇怪な悪魔が取憑き、アルベリックや堂守はおびやかされた末に悲惨な死を遂げたらしいのだ。だが、その状況が明確に語られず、すべて読者の想像にゆだねられているがゆえに、よく読めば読むほど怖さの増す、すぐれて味わいの深い怪奇小説となっているのである。

 興味を持たれたかたは、ぜひジェイムズの他の作品、特に「銅版画」や「秦皮(とねりこ)の木」あたりもあわせて読んでみてほしい。そこには、ゴシック・ホラー最後の時代における、古典的怪奇小説の最も洗練された完成形が広がっている。そして、その世界を彩る、呪われた旧家や処刑された魔女の祟り、古い屋敷が抱え込む怨念、禁断の古物といったモチーフが、今もなおホラー小説や映画の定番であり、しかもキリスト教色を脱すれば和風ホラーにさえ通じていることに気がついた時、ジェイムズが普遍的な恐怖の根源をいかに正確に捉えていたか、その感覚の鋭さに驚かされるのである。

 なお、筆者はこんな怖い資料に出会ったことはございませんが、実はさる幽霊画の片隅にひっそりと金泥で記された、不可解なひと文字について問い合せを受け、いまだにその謎が解けなくて気にかかっております。解いたら何か起きるんでしょうか…!?(つづく)
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【でぐち・ともゆき】
1981年愛知県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科准教授。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専門は日本文学。明治時代における文学、文人のネットワーク、文学と美術の交渉が研究テーマ。著書に『幸田露伴の文学空間』(青簡舎)、『幸田露伴と根岸党の文人たち』、編書に『汽車に乗った明治の文人たち』(ともに教育評論社)がある。
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