第1回 「高慢と偏見」恋愛小説の神髄は皮肉にあり!?
さて、ジェイン・オースティン「高慢と偏見」である。
この作品、多くの文庫で上下に分かれている長篇であり、古典で分冊なんていうとそれだけで手を引きたくなりがちだ。ところが、一度読みはじめると予想に反し、その魅力は圧倒的で、長さのプレッシャーなんて嘘のように消え去ってしまうから不思議である。あっというまにページが進み、2冊ではとても足らずに続きが読みたくてたまらなくなるだろう。実際、エマ・テナントという作家が1993年に続篇を発表した。
書かれたのは19世紀はじめの英国、田舎の良家の5人姉妹に巻き起る、結婚をめぐる様々な騒動を描く。物語の重要なモチーフは結婚とせいぜい財産くらいで、最大の事件が妹の駆落ちという平穏無事さだが、しかし魅力的なキャラクターたちと秀逸なストーリーテリング、巧みに演出されたスリル、そして全体に充ち満ちたシニカルながら温かいユーモアは読者をまったく飽きさせない。
ほんの少しだけ概要を紹介しておこう。ベネット夫妻にはそろそろ年ごろの5人の姉妹がおり、夫人の目下の関心事は彼女たちの結婚だ。実は、ベネット氏の財産は男子しか相続できない定めで、その死後は家族がたちまち困窮するのは明らかながら、夫人の頭ではそんな理不尽なことはとうてい理解不能で、単純に娘たちをお金持ちに嫁がせたいだけである。長女のジェインは美しくて心優しく、次女のエリザベスも美人なうえに知的で活発なのに対し、三女のメアリーは努力家でも才能も趣味もなくただ知識をひけらかすばかり、四女のキティーと末娘のリディアにいたっては「頭がからっぽ」で、近くに駐屯している連隊の将校たちに夢中になっている。

イラスト:楓 真知子
そんな一家の近隣に、大金持ちの独身青年、ビングリー氏が引越してきた。早速大騒ぎしたベネット夫人は、首尾よく娘たちをビングリー家での舞踏会に行かせ、ジェインとビングリー氏はたがいに好意を持つのだが、彼の友人のダーシー氏は人を見下したような態度で多くの反感を買った。頭はよいがシニカルで皮肉屋のベネット氏は、一家に巻き起こった大騒ぎを半ばおもしろがり、半ば辟易しつつ眺めている。おりしも、当家の親類で相続権者のコリンズ牧師が、娘たちの誰かを妻にしようともくろんで来訪したものの、これがまた堅苦しいうえに口先ばかりで頭の悪い、ベネット氏が期待していたとおりの喜劇的人物だった…。
ベネット夫人や妹たちの下品さをまのあたりにしたダーシー氏と、彼が洩した悪口をたまたま聞いてしまったエリザベスという、最悪の形で出会った二人が、次第に心惹かれつつもそれぞれの〈プライド〉と〈偏見〉に阻まれて距離を縮められないもどかしさは、たしかに本作の主要な興味の一つである。だが、それと同等に魅力的なのは、ごく簡潔な言葉で生き生きと、そして皮肉に描き出される周囲の人物たちの滑稽さである。何しろ、美貌に惹かれて「花嫁はジェインに決定という感じ」だったコリンズ氏は、ベネット夫人から彼女は遠からず婚約するだろうと聞くと、「ベネット夫人が暖炉の火をかきおこしているあいだに」、何のためらいもなく簡単にジェインをエリザベスに変更してしまうし、その言葉を聞いた夫人は、これもまたごく単純に「きのうは口にするのも汚らわしいと思っていた男が、今日は誰よりもすばらしい男に思えてくるのだった」! こういう愚かしくも素直な人々のユーモラスな行動と、それを皮肉に眺める知性を持つエリザベスの、自分でも扱いかねる気持ちの揺れ動きとが両輪となって、次を読みたいと思わせる駆動力につながってゆく、こんな作品はめったにない。

『高慢と偏見』上・下、ジェイン・オースティン著、中野康司訳(ちくま文庫)。ほか数社から翻訳本が出版されている
もしまだ未読なら、嘘だと思って一度読みはじめてみてほしい。あまりのおもしろさに、読書を止められなくなることうけあいである。そして読み終えた時、わずか長篇6作と短篇1作しか残さなかった彼女の、すべての作品を続けて読みたくなるのも間違いない。だが最後には、結局「高慢と偏見」にかなう作品はないと気づき、わずか21歳で本作を書き上げたジェイン・オースティンこそ真の天才だとため息をつくのである。(つづく)