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かもめアカデミー
恋と歌舞伎と女の事情 エンタメ水先案内人
仲野マリ
第1回 東海道四谷怪談? 長女・お岩の結婚~優等生の誇りと誤算~?
女を「モノ」としか見ない伊右衛門
 伊右衛門が家に戻ると、お岩の死体が転がっていました。そこへ伊藤家から花嫁が輿入れするとの知らせが! 伊右衛門は死体を片付け、同じ畳の上でお梅との初夜を迎えようとします。ところが綿帽子をとった女の顔はお梅ではなくてお岩! 思わず斬りつける伊右衛門でしたが、倒れた花嫁は、やはりお梅だったのです。

 それにしても、さっきまで本妻の死体があったところで初夜なんて、無神経すぎません? それも、ずっと本妻が使っていた寝室ですよ。こんなことをするのは、伊右衛門にとって女性が「ヒト」ではなく「モノ」だからではないでしょうか。お梅のことも決して好きになったわけではなく、仕官という目的に付いてきた「おまけ」のようなものとして、若いお梅との性生活を単に楽しもうとしているだけに見えます。
「さて、これからが新枕。ドリャ、水揚げにかかろうか」
 このセリフがまさにその証拠!「水揚げ」とは、店に初めて出た女郎との一夜を買うこと。そこに「結婚」という通念はありません。
 かつて公金横領を知った左門がお岩を実家に連れて帰ったとき、伊右衛門はお岩を取り戻そうとしました。しかしそれはお岩やお腹の子どもに対する愛情からではなく、お岩の婿になることで付いてくる「持参金」のためだったんですね。というのも、離縁すると、お岩と一緒に持参金も戻さなくてはならない決まりだから。そう考えると、一緒に暮らしているお岩の扱いが、「取り戻した」わりに邪険なこともうなずけます。伊右衛門にとってお梅もお岩も、「仕官」「持参金」という金づるでしかありませんでした。

怨念の源は「私に何の落ち度もないのに!」
 女性を人として愛せない男に対しては、どんなに愛情をかけても相手から愛が戻ってくることはありません。愛した人から愛されない、と自覚することはどんなに虚しく苦しいことでしょう。だから、「愛されている」と思い込もうとします。殴られても罵倒されても「愛情表現が下手なだけ。本当は、私のこと、好きなはず」などと解釈して……。

 お岩さんもきっとそうだったと思います。なんか変だな、と思いつつも、最後まで伊右衛門を信じようとしていたことでしょう。でも、限界がやってきます。

 娘として、妻として、「あるべき姿」に自分を重ね、がんばっている女性は世の中にいっぱいいます。褒められたい、認められたい、愛されたい。そのために、多少のことは自分が我慢すればよい。……そんなふうに思っていても、何かのきっかけで、すべての「だから」が「なのに」に変わり、これまで我慢に我慢を重ね心の底に押しやっていた不満が、マグマのようにこみあげてきて、一気に爆発してしまう瞬間ってありませんか?

 お岩もそうでした。
「お父さんが決めた人だから」従っていたけれど、胸の内では「お父さんの言う通り結婚して離縁して……それなのに、なぜうまくいかないの?」
「あなたが私に戻れと言ってくれたから」うれしかった日々は遠く、「戻れと言ったくせに、今になってなぜ邪険にするの?」
「男の子を産んだから」喜んでくれると思ったのに、「なぜ喜こんでくれないの?」

 心の中ではすでに、「こんなはずではなかった」という気持ちが渦巻いていたことでしょう。
 でも、踏みとどまっていたのです。

 でも、公式な妻の座から追いやられるとは思ってもいなかった。
 お岩さんは婿取り娘なのです。嫁に行ったのではない。
「私という妻がいるのに、どうして他の女を妻にしようなんて思うの?」

「私は何も悪いことはしていない。それなのに、なぜ!」

 お岩の幸せは自分が生きる「枠」との調和で生まれます。「妻の座」という「枠」の外に、自分が放り出されるなんて! 自分が一番大切にしていた「世間」からはじき出される……。お岩にとってはそれだけで、社会的な死を意味したのだと思います。

最初にとり殺したのはお梅
 お岩は幽霊になってから、たくさんの人を取り殺します。注目してほしいのは、お岩が幽霊となって最初にとり殺したのはお梅で、それも伊右衛門に斬らせている点です。ものすごい復讐です。毒を盛った喜兵衛より、自分を捨てた伊右衛門より、自分の代わりに妻となるお梅が一番許せない! というお岩さんの強烈な嫉妬心を感じずにはいられません。そして、夫・伊右衛門は、最後の最後に絶命させるのです。

 現代でも、浮気をした夫より、夫の浮気相手を恨む女性のほうが圧倒的に多いですよね。これはリクツでは絶対にわからない女の生理なのかもしれません。
 お岩は伊右衛門が好きだった。モノ扱いされても、踏まれても、蹴られても、伊右衛門を奪われたくなかった。愛していたのです。

 だからこそ、化けで出た。
「私の愛を、どうしてくれるの??」
 伊右衛門への一途な愛が深いからこそ、愛として注がれていたエネルギーは一気に負のエネルギー、怨念となって爆発したのでしょう。
 良い妻、文句を言わない妻、ものわかりのよい妻ほど、キレるのです。

 キレて幽霊になったお岩さんは、哀れな女でしょうか。
 お岩さんのモデルとなった実在の人は、夫の重婚を知ったとき髪を振り乱して街道を駆け抜け、そのまま行方知れずになったと言います。
 行方知れずだなんて、そちらのほうが哀れでなりません。
 歌舞伎のお岩は幽霊となって、自分を陥れた人々に復讐しました。舞台の空中に浮かび伊右衛門を見下ろすお岩さんは「真面目に生きる女をバカにするな!」と叫んでいるかのようです。お岩さんは、妻として母として娘として、なすべきことを懸命になしながらも報われることの少ない、けなげに生きる妻たちの象徴です。

 でも、お岩さんだって、本当は最後まで「良い妻」でいたかったはず。
 もし伊右衛門が「すまん、オレの出世のために身を引いてくれ!」とストレートに頼んでいたら、きっとお岩さんは「わかったわ」とすべてをのみこんで別れたと思います。
 伊右衛門も、喜兵衛も、お岩という女性を見誤ってしまいました。
 優等生は、頼られるとイヤとは言えないんです。
 遠い空の下、風の噂に伊右衛門の出世を聞いて、寂しく微笑むお岩さん。そんな結末だって、あっていいかもしれません。

【仲野マリの歌舞伎ビギナーズガイド】
http://kabukilecture.blog.jp/
【エンタメ水先案内人】
http://www.nakanomari.net

※WEB連載原稿に加筆してまとめた単行本『恋と歌舞伎と女の事情』が(発行:東海教育研究所、発売:東海大学出版部)が好評発売中です。
新刊発売を記念して開かれた著者・仲野マリさんとイラストレーター・いずみ朔庵さんのトークショーの模様はこちらをご覧ください。
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【なかの・まり】
1958年東京都生まれ、早稲田大学第一文学部卒。演劇、映画ライター。歌舞伎・文楽をはじめ、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど年100本以上の舞台を観劇、歌舞伎俳優や宝塚トップ、舞踊家、演出家、落語家、ピアニストほかアーティストのインタビューや劇評を書く。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視したわかりやすい劇評に定評がある。2013年12月よりGINZA楽・学倶楽部で歌舞伎講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」を開始。ほかに松竹シネマ歌舞伎の上映前解説など、歌舞伎を身近なエンタメとして楽しむためのビギナーズ向け講座多数。
 2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)「同性愛の至福と絶望-AMP版『白鳥の湖』をプルースト世界から読み解く」で佳作入賞。日本劇作家協会会員。『歌舞伎彩歌』(衛星劇場での歌舞伎放送に合わせた作品紹介コラムhttp://www.eigeki.com/special/column/kabukisaika_n01)、雑誌『月刊スカパー!』でコラム「舞台のミカタ」をそれぞれ連載中。
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