× close

お問い合せ

かもめの本棚に関するお問い合せは、下記メールアドレスで受けつけております。
kamome@tokaiedu.co.jp

かもめの本棚 online
トップページ かもめの本棚とは コンテンツ一覧 イベント・キャンペーン 新刊・既刊案内 お問い合せ
かもめアカデミー
恋と歌舞伎と女の事情 エンタメ水先案内人
仲野マリ
第1回 東海道四谷怪談? 長女・お岩の結婚~優等生の誇りと誤算~?
男の子を産んだのに
 また私事で恐縮ですが、私が結婚後初めての出産で男児を産んだとき、父は「お前は幸せだよ」と言いました。それは、「家の跡取りを産んだ幸せ」ではなく、「いつ跡取りを産むのかというプレッシャーから早々に解放される幸せ」だと言うのです。第一子長男の父が「家も名字もなくなったってかまわない」と公言するまでに、どれほどの苦悩があったのでしょう。母からは何も聞かされていませんが、二回お産をして二人とも女児だった母は、親戚からどういう目で見られたのでしょうか。

 お岩は男の子を産みました。跡取りです! 男児がいないために苦労しただろう父・左門のことを考えれば、お岩は心底幸福を感じただろうし、誇らしくもあったと思います。
 でも、夫の伊右衛門は、それほど喜んでいない様子……。褒めてさえくれません。
 左門と同じく伊右衛門も、藩が取り潰しになったために浪人の身です。飛ぶ鳥を落とす勢いの大会社サラリーマンに嫁いだはずだったのに、まさか倒産して失業するとは……。お岩にとっても誤算だったでしょうが、伊右衛門本人にとっても、藩がなくなるなどとは考えてもいなかったことでしょう。
 産後の肥立ちが悪く臥せりがちな妻・お岩と生まれたばかりの子どもとを抱え、狭い長屋で傘張りをする毎日。そんな内職程度では到底食べてはゆけません。おのずと借金はかさみ、伊右衛門のイライラは頂点に達しようとしていました。

貧しくても優等生は良妻賢母を目指す
 体の具合が悪くても、お岩は懸命に子育てをします。子どもが泣いて夫が「うるさい」と言えば、懸命に子をあやします。借金の肩代わりをしてくれた隣家にあいさつに行く伊右衛門のために、羽織袴を用意して身なりを整えさせます。貧窮した暮らしであっても、いつ舞い込むやもしれぬ仕官の話が来たときのために、公式な場に出向くときの支度だけは準備しているお岩。やせても枯れても、武士の妻の誇りは捨てていません。

 ところが…。

 隣家の伊藤喜兵衛は礼に参じた伊右衛門に対し、「孫のお梅がそなたのことを好いておる。添わせてやりたい」と頼んできます。本妻のお岩については「さっき薬と偽って毒を持たせた。飲んでいれば、今頃は顔が醜く崩れているはずだ」というではありませんか! 
 浪人生活から抜け出す絶好のチャンスと考えた伊右衛門は「仕官(就職)の世話をしてくれるなら」と条件を出して、お梅との結婚を承諾してしまいます。
 ……とは言っても家には本妻のお岩が臥せっている。お梅と結婚するにはお岩が邪魔。「そんなひどい顔の女とは別れる」という自分の都合ではなく、お岩の落ち度によって離縁したい伊右衛門は、出入りのあんま・宅悦に金をつかませ「お岩をレイプしろ」と命じるのでした。不義密通を理由にお岩を離縁しようというのです!

「色悪(いろあく)」という魅惑の主人公
 舅は殺す、重婚はする、レイプをそそのかす、……伊右衛門は本当にひどい男です。
 ただ、お芝居で見る伊右衛門はものすごくカッコよく見えるのも事実で、逆に言えば、伊右衛門に魅力がなかったらお梅も一目惚れしないし、この話自体成立しなくなってしまいます!

 伊右衛門という役柄は、歌舞伎では通常「色悪(いろあく)」という、ワルだけど魅力的な男に分類されます。役者さんもそこを意識して演じますから、セリフや物腰の一つひとつが色気たっぷり! 少し不良っぽい男のほうが女性に人気があるのは、今も昔も同じですね。

 そして、純粋培養で優等生な人ほど「翳のあるちょっとグレた男」に弱いのも事実。常識の中で生きてきたお岩さんにとって、伊右衛門は今までに出会ったことのないタイプの男性だったかも。でもそんな「うわべ」にくれぐれも騙されてはダメ! 
 そこのあなた、優等生のあなた! 悪い男にひっかかったら無間地獄。お岩さんのように、本当にひどい目にあうかもしれませんよ! (つづく)


【仲野マリの歌舞伎ビギナーズガイド】
http://kabukilecture.blog.jp/
【エンタメ水先案内人】
http://www.nakanomari.net

※WEB連載原稿に加筆してまとめた単行本『恋と歌舞伎と女の事情』が(発行:東海教育研究所、発売:東海大学出版部)が好評発売中です。
新刊発売を記念して開かれた著者・仲野マリさんとイラストレーター・いずみ朔庵さんのトークショーの模様はこちらをご覧ください。
ページの先頭へもどる
【なかの・まり】
1958年東京都生まれ、早稲田大学第一文学部卒。演劇、映画ライター。歌舞伎・文楽をはじめ、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど年100本以上の舞台を観劇、歌舞伎俳優や宝塚トップ、舞踊家、演出家、落語家、ピアニストほかアーティストのインタビューや劇評を書く。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視したわかりやすい劇評に定評がある。2013年12月よりGINZA楽・学倶楽部で歌舞伎講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」を開始。ほかに松竹シネマ歌舞伎の上映前解説など、歌舞伎を身近なエンタメとして楽しむためのビギナーズ向け講座多数。
 2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)「同性愛の至福と絶望-AMP版『白鳥の湖』をプルースト世界から読み解く」で佳作入賞。日本劇作家協会会員。『歌舞伎彩歌』(衛星劇場での歌舞伎放送に合わせた作品紹介コラムhttp://www.eigeki.com/special/column/kabukisaika_n01)、雑誌『月刊スカパー!』でコラム「舞台のミカタ」をそれぞれ連載中。
新刊案内