× close

お問い合せ

かもめの本棚に関するお問い合せは、下記メールアドレスで受けつけております。
kamome@tokaiedu.co.jp

かもめの本棚 online
トップページ かもめの本棚とは コンテンツ一覧 イベント・キャンペーン 新刊・既刊案内 お問い合せ
美しいくらし
東京2025 おいしい老舗散歩 江戸文化研究家
安原眞琴
第1回 変わり続ける町にある変わらないもの(下)

東京23区の最高峰・愛宕山の男坂


愛宕山をエスカレーターで登る
 前回、私たちは〈金刀比羅ことひら神社(宮)〉から歩いて、〈虎ノ門二丁目西交差点〉まで来ました。交差する新しい広い通りの右手方向に〈溜池〉があり、その手前が〈葵坂〉と呼ばれていた外濠沿いの坂道だったことまでお話ししました。

 それでは、〈葵坂〉は登らずに、新しい通りを反対方向へ進みましょう。次の〈虎ノ門二丁目交差点〉で交差するのが〈桜田通り〉です。〈桜田通り〉を南に進めば、すぐに第3の観光スポット〈愛宕山〉の裏手に着きます。
 愛宕山は東京23区内の最高峰の山です。標高は約26メートルしかありませんが、〈男坂〉と呼ばれる階段は、あまりにも急勾配なので足がすくんでしまいます。
 江戸初期に曲垣平九郎まがき へいくろうという武士が、この〈男坂〉を見事に馬で上り下りして、3代将軍徳川家光に褒賞されたという講談「寛永三馬術」で有名になりました。以来〈出世の階段〉という縁起のよい階段とされていますが、やはり登るのは馬でなくとも大変です。別のルートを行きましょう。

虎ノ門ヒルズ

 私たちは今、〈虎ノ門二丁目交差点〉にいます。ここは〈虎ノ門ヒルズ〉と呼ばれる再開発地帯の中心地なので、真新しい広い道路と近代的な超高層ビルが取り囲み、23区最高峰の愛宕山さえ見えません。でも、この開発のおかげで、私たちは苦労せずに山登りができるようになりました。
 〈虎ノ門二丁目交差点〉から、〈桜田通り〉に面した〈虎ノ門ヒルズ〉の複合施設〈グラスロック〉に入って、エスカレーターで2階に登ります。すると、虎ノ門ヒルズ内を連絡している屋外通路があるので、〈森タワー〉の方向へ進みます。芝生にオブジェが建つ〈オーバル広場〉を横目に、〈森タワー〉には入らずに、右に曲がりましょう。屋外通路は〈レジデンシャルタワー〉とつながっています。そのデッキを直進すると、なんと〈愛宕山〉の中腹に着くのです。

 そこから近道の胸つき三寸の短い坂を登れば山頂に到着です。山中は、今までのビジネスマンが行き交う高層ビル群がうそのように静かで野趣あふれています。山頂の〈愛宕神社〉のあたりは空気も澄んでいます。江戸時代には山頂からの眺めを楽しみながら茶店で一服する人々で賑わっていたようで、多くの浮世絵にも描かれています。

愛宕神社

 さて、山を尾根づたいに進むと、ラジオ本放送始まりの地に着きます。今は〈NHK放送博物館〉になっていて、そのレトロさに癒されます。
 山頂から下りるには、やはり足を使わず、博物館手前の〈愛宕山エレベーター〉を使いましょう。下まではあっという間ですが、ガラスチューブのエレベーターからの眺めが楽しめます。いったん地上へ出ても、エレベーター脇にある階段を登ると、山の中腹を歩くことができるウッドデッキがあるので、自然を散策しながら〈青松寺〉に向かいましょう。

 ここは太田道灌が創建した曹洞宗の大寺院です。ここから少し南へ行けば、〈増上寺〉の裏門があった場所に着きますが、虎ノ門の範囲外なので今回は行きません。
 

下山の後は、お待ちかねの老舗へ

青松寺

 〈青松寺〉の立派な山門を出ると、私たちはやっと下山できたことになります。
 ここからは〈愛宕下通り〉と呼ばれる愛宕山下の道を歩いて、虎ノ門方面に戻りましょう。虎ノ門ヒルズの〈森タワー〉を今度は東側から通り過ぎます。
 ところで、愛宕山へ登る前に私たちが歩いた幅の広い新しい道路は、〈環状2号線〉といいます。環状2号線は、森タワーの下を〈築地虎ノ門トンネル〉というアンダーパスでくぐっていて、新橋付近からふたたび地上に出て豊洲につながっています。この区間は立体車線になっていて、地上部分にも新しい通りができています。2021年に開催された東京オリンピック(TOKYO2020)の頃に、魚市場とオリンピック選手村がある豊洲と、都心とをつなぐ道として急ピッチで造られましたが、完全な完成はもう少し先のようです。
 この区間の道は、そもそもオリンピックも含めて、何やら海外を意識して造られたようで、地上部分の通りの最初の俗称候補は〈マッカーサー道路〉、次は〈シャンゼリゼ通り〉でした。その後〈新虎通り〉に落ち着きましたが、今でもパリの凱旋門前の通りのような賑わいのある道路を目指しているようです。虎ノ門ヒルズとシャンゼリゼ風の道路が完全に完成したら、現代の新たな人気観光スポットになるかもしれません。

 虎ノ門ヒルズの〈ビジネスタワー〉を通り過ぎると、お待ちかねの最終目的地、〈虎ノ門大坂屋砂場〉に到着します。

大坂屋砂場の建物は、関東大震災直後の大正12年(1923)に建てられた

 まず建物に驚かされるでしょう。真新しい超高層ビル群のなかに、関東大震災直後の大正12年(1923)に建てられた木造2階建ての昔ながらのお蕎麦屋さんがあるのです。洒落たビル群のなかに急に現れるので、とても目をひきます。

 建物は平成23年(2011)に国の登録有形文化財に指定され、令和3年(2021)の愛宕下通り拡幅工事のときに曳屋工事を行い、翌年に無事に完了しました。
 「蕎麦屋として建てられ、ずっと同じ用途で使われた建物として、今では大変珍しいそうです」とご主人。そこで、建物で最も大切にしている部分はありますかと尋ねると、「どこ、というのではなく、丸ごと大事です」と話してくれました。
 開業は明治5年(1872)。麹町にあった砂場の養女だった初代が、暖簾分けして虎ノ門に店を出したのが始まりです。
 再開発の激しい虎ノ門エリアで、曳屋工事をしてまで守った建物と暖簾。お店全体に老舗の心がこもっているのを感じました。

甘海老ときのこの天種

 さあ、いただきましょう。伝統的な〈おかめ〉、〈花巻〉、〈もり蕎麦〉はもとより、季節のお蕎麦やお料理、お酒も豊富です。「老舗の看板に縛られず、美味しいと思ったものをお出しする」という5代目の考えを、現在の6代目が受け継ぎ、かつバージョンアップさせています。
 たとえば、季節のお蕎麦には、ふわっふわに泡立てた納豆がのっている〈納豆そば〉や、プリプリの大きな蛤がのっている〈蛤そば〉などがあります。

もり蕎麦

 「いろんな種類の海老があった方がより楽しんでいただけるのでは」と〈甘海老ときのこの天種〉や、ほんのり甘い〈卵焼き〉、良質なお肉を使った〈焼き鳥〉も絶品です。お酒もすすんでしまいます。また、大坂屋さんでは昔から、ざる蕎麦と言わず〈海苔掛けそば〉と呼んでいるそうです。
 ご主人は最後に「普通に商売したいだけなのに、都心にあるがゆえに、常に都市開発計画で存続の危機にさらされるのが辛いところです」と仰っていました。
 お蕎麦屋さんに限らず、近年、庶民がごく普通のあたりまえの生活をすることが、最も難しくなっている気がします。
 

《本文中で食べたメニュー》
甘海老ときのこの天種 ¥1,450
もり蕎麦 ¥950
燗酒 ¥900

【虎ノ門大坂屋砂場】
東京都港区虎ノ門1-10-6
電話 03-3501-9661
[営業時間]
〈月・火・水〉
昼 11:00~14:00
夜 16:30~19:30
〈木・金〉
昼 11:00~14:00
夜 16:30~20:00
※昼夜ともに売り切れ仕舞い
[定休日]
土曜・日曜・祝日


【安原眞琴公式サイト「makoto office 日本文化研究所」】
https://www.makotooffice.net/

【挿絵と地図:鈴木 透(すずき・とおる)】
1965年福島県生まれ。「釣りキチ三平」などを制作する矢口プロダクションを経てフリー。
ページの先頭へもどる
【やすはら・まこと】
1967年東京都生まれ。江戸文化研究家・映像作家。文学博士。国際基督教大学客員教授。吉原文化の最後の継承者を5年間取材したドキュメンタリー映画「最後の吉原芸者 四代目みな子姐さん―吉原最後の証言記録―」を2013年に発表。著書に『「扇の草子」の研究――遊びの芸文』(ぺりかん社)、『超初心者のための落語入門』(主婦と生活社)、『東京の老舗を食べる』(亜紀書房)などがある。
新刊案内