好評既刊『東京おいしい老舗散歩』の著者、安原眞琴さんの新連載が始まりました。
2017年の刊行から8年――あれから東京は、オリンピック(TOKYO2020)が開催され、都心で幾つもの大きな開発が並行して進んで、町の様子がずいぶんと変わりました。一方で、東京の路地を探訪している外国の観光客の方々に出会うことも日常の風景になりました。そのような町の変化を、江戸文化研究家の安原さんはどのように見てきたのでしょうか。
連載では、これからの季節にぴったりな安原さんお勧めの散歩コースと、変わらないおいしさと出会える、とっておきの老舗を紹介していきますので、ぜひお楽しみください。〈大名小路〉と呼ばれた虎ノ門 皆さんは〈虎ノ門〉と聞いてどんなイメージが浮かびますか。今まで目立っていたのは、官庁や企業ビル、ホテル、病院、大使館などでしょうか。そのため、用がないから行ったことがないという人も多かったかもしれませんね。でも、これからは、用がなくても足を運ぶ人が増えるかもしれません。現在進行形で大規模開発が進んでいて、町全体が大きく変わりつつあるからです。時代によって変わるものや変わらないものが混在しているのが、町というものなのかもしれません。

虎ノ門大坂屋砂場(港区虎ノ門 明治5年創業)
〈虎ノ門〉が正式な町名になったのは昭和24年(1949)ですが、町の歴史は古く、江戸時代初期にさかのぼります。そもそも〈虎ノ門〉とは、〈虎ノ御門〉と呼ばれていた〈見附〉のことで、〈見附〉とは、江戸城の外濠と内濠に架かっていた、〈石垣の城門のある橋〉のことです。はやい話が橋の名前です。
町のエリアは、〈虎ノ御門〉を北限として、東は〈幸橋御門〉まで、西は〈愛宕山〉あたり、南は〈増上寺〉の手前までです。町名としての〈虎ノ門〉を厳密に見ればもう少し広いですが、だいたい網羅しています。とにかく今回はこのあたりを散歩しましょう。
〈虎ノ御門〉を東京湾の方に少し行くと〈幸橋御門〉、現在の町名でいうと〈新橋〉になります。日本初の鉄道開業の地で、明治5年(1872)に新橋停車場から横浜までの鉄道が開通しました。
〈虎ノ御門〉から新橋とは反対方向にあったのは、〈溜池〉という外濠を兼ねた大きな池です。今は埋め立てられて道路になっていますが、〈溜池山王駅〉という駅名が残っています。この池の手前を南に進み、右に見えてくるのが〈愛宕山〉です。かつての〈増上寺〉の敷地は広大で、この山を過ぎたところから始まっていましたが、愛宕山寄りの敷地は現在、東京プリンスホテルになっていて、その敷地内に裏門(御成門)だけが残っています。
さて、〈虎ノ御門〉は外濠に架かっていた橋ですが、江戸城からも目と鼻の先でした。町の真ん中あたりを通る〈桜田通り〉(国道1号線)をお城方面に少し向かえば、内濠の〈桜田御門〉に行き当たります。ここをくぐればもう江戸城です。この外濠と内濠の間が、霞ヶ関の官庁街です。
江戸城に近かったこともあり、このあたりは江戸時代、「大名小路」と呼ばれる大名屋敷が建ち並ぶ町でした。これらの土地が明治以後、省庁や病院などに変わりました。たとえば、〈虎ノ御門〉は文部科学省、伊予松山藩のあたりは東京慈恵会医科大学になっています。
いざ、江戸っ子の観光地へ では、虎ノ門は、武士ばかりで庶民とは縁遠い町だったのかというと、そうでもありませんでした。この町は外濠の外側、いわゆる城外に位置していたので、庶民の往来も容易でした。でも、お屋敷町にどんなお目当てがあったのでしょう。答えは〈観光〉です。江戸時代の観光といえば、神社仏閣への参詣が中心でした。それを当てこんで、境内や門前には屋台や料理屋ができました。虎ノ門の観光の目玉は、〈
金毘羅さま〉と〈滝〉と〈愛宕山〉だったようです。

文部科学省の外庭の江戸城外堀跡
さて、前置きが長くなりましたが、そろそろ散歩に出かけましょう。スタート地点は〈虎ノ御門〉があった〈虎ノ門駅〉です。地下鉄の東京メトロ銀座線が通っています。〈11番出口〉から地上に上がる途中のところに、外濠の石垣の遺構が展示され、説明書きも豊富なので、ここで知識をたくわえてから地上に出ましょう。上がればそこは〈文部科学省〉です。その外庭にある〈江戸城外堀跡〉にも遺構が展示されているので、ここでさらに知識を深めましょう。

金毘羅さまは毎月10日の縁日に賑わった
文部科学省を出たら、交差点を渡り、〈虎の門病院〉方面の道を南へ進みます。するとすぐに第1の観光スポット〈
金刀比羅神社(宮)〉に着きます。ここは讃岐丸亀藩の大名屋敷があったところで、讃岐(香川県)から屋敷地に勧請した〈金毘羅さま〉が、毎月10日の縁日のときに庶民に開放されたので、多くの人々が集まるようになりました。
もとの道に戻って、これまた少し南に行くと、その先が〈虎の門病院〉です。
ここで、その手前の〈虎ノ門二丁目西交差点〉で交差する新しい広い通りにご注目ください。通りの右手方向が、〈葵坂〉と呼ばれた外濠沿いの坂道でした。第2の観光スポットの〈滝〉は、その坂の上にありました。坂の向こうの〈溜池〉から虎ノ門側の外濠に、水が勢いよく流れ落ちていたのです。〈滝〉と〈金毘羅さま〉の2つを入れ込んだ浮世絵も描かれるなど、当時の人気ぶりがうかがえますが、今は埋め立てられて跡形もありません。

溜池に通じていた葵坂の跡
(つづく)
【安原眞琴公式サイト「makoto office 日本文化研究所」】
https://www.makotooffice.net/【挿絵と地図:鈴木 透(すずき・とおる)】
1965年福島県生まれ。「釣りキチ三平」などを制作する矢口プロダクションを経てフリー。