× close

お問い合せ

かもめの本棚に関するお問い合せは、下記メールアドレスで受けつけております。
kamome@tokaiedu.co.jp

かもめの本棚 online
トップページ かもめの本棚とは コンテンツ一覧 イベント・キャンペーン 新刊・既刊案内 お問い合せ
美しいくらし
東京2025 おいしい老舗散歩 江戸文化研究家
安原眞琴
第2回 新緑のお濠端を訪ねて(下)

慶長12年(1607)に創建された清水門


北の丸公園アラカルト
 前回、私たちは竹橋駅からお濠端を歩いて、江戸城の本丸跡に通じる2つの門を見て北の丸公園へ来ました。江戸時代、将軍の関係者や家族とともに北の丸の住人であったのは、徳川御三卿のうちの〈田安家〉と〈清水家〉であったことまでお話ししました。それでは、散歩を続けましょう。

 〈北の丸公園〉には自然以外の見どころもあります。このうち、2つの文化施設と1つの歴史遺産を見ていきましょう。

日本武道館

 文化施設の1つめは〈日本武道館〉です。〈北の丸公園〉の最北端に位置しているので、北の丸にあった将軍ゆかりの2家の門のうち、田安家の門が最寄りになります。
 〈日本武道館〉は、急峻な〈九段坂〉の中腹にある〈田安門〉を入ってすぐのところに建てられた巨大な建物で、しかも正八角形という特殊な形をしていて、その屋根の真ん中には金色の〈擬宝珠ぎぼし〉も付いているので、かなり目立つランドマークのような建物です。
 最初の東京オリンピックの時に柔道の会場にするために建設され、開催年の昭和39年(1964)に完成しました。以来、武道やそれ以外の競技場のほか、入学式や入社式、コンサート会場に使われています。昭和41年にビートルズが初来日して初コンサートを行ったのも、ここ日本武道館でした。また、昭和60年に日本のバンド、爆風スランプが歌った「大きな玉ねぎの下で」の〈玉ねぎ〉は〈擬宝珠〉のことです。

科学技術館

 2つめは〈科学技術館〉です。こちらは〈北桔橋はねばし門〉から〈北の丸公園〉に入ってすぐ東側にあります。科学技術の普及と啓発のために、武道館と同じ年に開館しました。高度経済成長期は多数の来館者がいたようですが、今は人がそれほど多くないので、面白い実験や体験を待たずに行えて、建物も昭和レトロで味があるので、穴場のスポットとしておすすめです。例えば、巨大なシャボン玉を作ってその中に入ることも、かっこいいオートバイに乗ることもできます。

 最後に、歴史遺産に向かいましょう。北の丸には2家の2つの門が残っていますが、このうち〈田安門〉は寛永13年(1636)に建てられたとされる古い門ですが、武道館の大勢の来場者が使っていることもあり、なんだか垢抜けしています。
 一方の〈清水門〉は、〈田安門〉より古く慶長12年(1607)に創建されたと言われています。その古さもさることながら、今では誰が使うともなくひっそりと残っているので、いっそう時代がかっていて、古色そのままに時間が止まっているかのような趣があります。

清水門は時が止まったかのような趣を残している

 石畳の階段があり、それを何段か降りていくと門に着きますが、その石畳からして寂れています。武士たちの「ナンバ歩き」に適していたのでしょうか、現代人にはとても歩きにくい不均衡な高さと大きさの石でできています。さらにその石さえ、合間から雑草が生えるなどして崩れかかっています。その〈スレていない〉ところが、まさに歴史遺産にふさわしく思われます。

 そして、門を出ると、いきなり開発真っ只中の〝最新の現代社会〟に出てきます。ドラえもんの「どこでもドア」のように、門を出入りするだけで400年の時空を簡単に超えられる場所は、〈清水門〉をおいてほかに滅多にないでしょう。

江戸時代から続く寿司政
 〈清水門〉を出ると、都心の開発真っ最中で、高層ビルの建設工事が行われています。

寿司政(千代田区九段南)

 一足早くリフォームを完成させた〈九段会館〉も、昔の雰囲気は残しつつも現代風のおしゃれなビルに変貌しています。この会館がある場所が〈九段下〉、つまり〈九段坂〉の根本にあたります。坂を登れば、途中に〈田安門〉があり、登りきったところに〈靖国神社〉があります。

 さて、〈清水門〉をくぐって〈九段会館〉まで進み、坂を登らずに会館の対面の開発地区の仮囲い(もう高層ビルが完成しているかもしれませんが)の方に向かってください。高い仮囲いの裏に開発を免れた、昭和感満載の一角があります。そこに建っているのが、今回の最終目的地〈寿司政〉です。
 数寄屋造りのしもたやで、1階に大将がいるカウンターと椅子席、2階には座敷があります。ランチタイムなどは近所の数名のサラリーマンが2階へと上がっていきます。メインのメニューは〈にぎり〉と〈ちらし〉です。ランチはどちらも4000円台からと、お手頃にいただけます。

創業は文久元年(1861)、九段下へは大正12年(1923)に移転した

 お店の歴史は江戸時代後期にさかのぼります。文久元年(1861)に日本橋で開店し、明治時代に神田三崎町にあった歌舞伎小屋〈三崎座〉で握るようになりました。それが大正12年(1923)の関東大震災で焼け出され、現在地の九段下に移転しました。

 お店独自の〈赤酢のしゃり〉に、新鮮だけれども手間をかけた〈ネタ〉が合わさって、これぞ本物のお寿司とうならされます。気が短い江戸っ子が好んで食べていたという〈にぎり〉も絶品ですが、〈ちらし〉寿司にのっている〈ネタ〉の種類の豊富さとバランスも絶妙です。江戸っ子好みのネタのオンパレード。芝居の幕間でいただいているような贅沢な気分が味わえます。

江戸っ子の好みを伝える絶品のにぎり

 大将はカウンター越しに、どんな食べ方をしたっていいよとか、分からないことは何でも聞いてくださいね、などと気さくにお話ししてくれていましたが、職人さんのお仕事についてうかがうと、急に顔がひきしまり、口が重くなりました。
 このいたってシンプルでとても美味しいお寿司は、長年の厳しい修業をへた職人さんだけが作り出せるものなのだと、大将の表情から言外に理解できました。
 これぞ〈粋〉だね。


《本文中で食べたメニュー》
ランチにぎり(梅) ¥4,400

【寿司政】
東京都千代田区九段南1-4-1
電話 03-3261-0621
[営業時間]
〈平日〉
昼11:30~14:00(L.O.13:30)
夜17:30~23:00(L.O.22:00)
〈土・日・祝日〉
昼11:30~14:00(L.O.13:30)
夜17:00~21:00(L.O.20:30)
[定休日]
年中無休


【安原眞琴公式サイト「makoto office 日本文化研究所」】
https://www.makotooffice.net/

【挿絵と地図:鈴木 透(すずき・とおる)】
1965年福島県生まれ。「釣りキチ三平」などを制作する矢口プロダクションを経てフリー。
ページの先頭へもどる
【やすはら・まこと】
1967年東京都生まれ。江戸文化研究家・映像作家。文学博士。国際基督教大学客員教授。吉原文化の最後の継承者を5年間取材したドキュメンタリー映画「最後の吉原芸者 四代目みな子姐さん―吉原最後の証言記録―」を2013年に発表。著書に『「扇の草子」の研究――遊びの芸文』(ぺりかん社)、『超初心者のための落語入門』(主婦と生活社)、『東京の老舗を食べる』(亜紀書房)などがある。
新刊案内