「取りあえず、行けばどうにかなるさ!」
最近はこうして旅に出られたころが懐かしく思えます。30年くらい前までなら個人旅行でも国内だけではなく、海外ですらパスポートとおカネ、それから航空券さえあれば、字義どおりにどうにかなりましたから。ところが、効率と利便性を追求したIT化が極端な旅の高速化を引き起こし、世界規模での気候変動と疾病の流行、そして紛争や経済格差から治安が悪化した結果、今ではそうのんきなことを言ってはいられなくなってしまいました。

ネパール・カトマンズの朝
この潮流を受けて入出国条件や現地の治安状況などを調べ始めたものの、新たな問題となったのが情報の氾濫です。ネットを検索すれば、ものすごい数のページがヒットするでしょう? しかも読んでみると、裏取りができないばかりか個々の内容が矛盾しているケースも珍しくない。はっきり言って、どれが「正しい」のか分かりません。
そこで、こうした状況下を旅する僕らに必要なのは、まず情報のフィルタリングです。予定や行動を決めるうえで必要となるクリティカルな(重要な)情報は、出どころが怪しい個人のブログやSNSではなく、当該国政府が公式発表したものを参照するのが順当でしょう。しかし、残念ながらそこに必要なことがすべて書かれているとは限りません。そうなれば、さらに検索範囲を広げるしかないわけですが、その場合に忘れてはならないのが情報の信頼性です。複数のソースから収集した情報はいわば玉石混交ですから、信頼性を検討し、僕は図のように重み付けしています。
こうした基準で情報を集め、詳細にわたる下調べを続けると、だんだん頭の中で現地のイメージが形作られてきます。ところが、役に立つはずの情報収集も、思わぬところに落とし穴がありました。それは出発前に起こる「情報の現実化」。情報を積み重ねているうちに、それがだんだん現実のように思えてきて、やがて両者の区別が曖昧になってしまうのです。
そう、あれは1996年、僕が初めてネパールを訪れたときのこと。とあるNGOの準メンバーとして現地の開発案件を視察する話が舞い込み、「よぉし」とばかりに勇んだ僕は、関連書籍を数冊読み、ネパール映画も数本見て、すべてを理解したつもりになっていました。その生半可な自信が半日とかからず粉砕されてしまうとは、つゆにも思わずに。
カトマンズに到着したのは深夜。トリブバン国際空港から乗ったタクシーが走る街は、首都とは思えないくらい闇が深く、ホテルまで市内のどのあたりを走っているのか見当もつきませんでした。そして翌朝、明るくなって外に出てみると、埃っぽい街の風景も、腐臭とスパイスが混ざった臭いも、バイクと物売りと家畜の鳴き声が混ざったノイズも、頭の中で合成されたイメージとはかけ離れたものだったのです。

1996年当時のボダナート寺院

カトマンズ市内を我が物顔で徘徊する野良ウシ
それでも意を決してボダナート寺院まで行きましたが、そこには決定的な瞬間が待っていました。寺院に続く細い路地を歩いていたとき、突然、薄暗い脇道から何かが飛び出し、僕の腰に組み付いてきたのです! まさに、心臓が止まるとはこのことでした。見ればしがみついているのは髪を振り乱した若い女性ではないですか。
彼女はこちらの驚きも意に介さず、「I have a baby! But no money! I need your help! Please! Please, mister!」と叫び続けています。僕の頭の中は真っ白になっていました。そして反射的に彼女を振り払い、ホテルまで全速力で逃げ帰ってしまったのです。
「オレはなんにも分かってない! まったくの役立たずだ!」
息を切らせて自分の部屋に飛び込んだ僕は、ようやく浅はかな勘違いを悟りました。これ以降、僕は事前にインプットされたものを捨て、目の前にいる人、ときにはそれが小さな子どもでも、師と仰ぎ教えを乞うようになったのです。
この経験はまったくのところ青天の霹靂でした。以来、情報がどれだけリアルであろうとも、それを現実とはきっぱり区別するようになったのです。ある意味、旅の経験主義者になったとでもいえましょうか。
しかし、今度は経験を過信したあまり、20カ国程度を旅したあたりで、「オレは知っている」という別のワナにはまってしまいました。
確かに経験は嘘をつきません。感じたままのことですから。でも、ひとりの人間にできる経験は、極めて限られたものです。それを拡大解釈してすべてに当てはめてしまうのは、現実という断片を組み替えてフィクションを構築するのと等しいでしょう。

黄熱病ワクチンの接種証明証。有効期限が切れたので、また打たねば!
たとえば南米を旅する場合に義務付けられている黄熱病ワクチンについて、ほかの旅人から質問を受けたときのこと。僕はペルーの入出国手続きで接種証明証の提示を求められませんでしたから、「いらないかもしれないよ」と口まで出かかったのですが、ふと不安を感じ、言葉に詰まってしまったのです。間違いなく僕の経験は事実です。ネットで読んだ匿名の話の受け売りではありません。しかし、経験と言ってもそれは入出合わせて2回国境を越えただけであって、それ以外の期間にチェックがあったかどうかは未確認ではないですか。僕がスルーしたケースの方がレアだった可能性も十分あります。結局、考え直した末に、「最も信頼性が高いペルー政府の最新の情報に従った方がいい」と答えました。

ペルー―エクアドル間の国境をエクアドルのカントン・ウアキリャス側の橋から望む。
国境と言ってもゲートがあるわけではなく、人々が自由に行き来している
個人で旅をする場合、基本的に現地では孤立無援となります。そこで事前の情報収集が必須となりますが、耳目に入ったものをすべてうのみにしてしまっては、ただ混乱するだけです。
そしてせっかく調べたことも、それを現実と混同するなら調べないほうがましでしょう。現地での経験でさえ、一種の限定されたスナップショットでしかありません。これら旅の教室で学んだことから、今では下調べをしっかりやりつつも、現地に着けばいったんそれらを棚上げし、虚心坦懐で目の前の状況と向き合うようにしています。
自分の経験を過大評価する悪癖については自然に直りました。いや、直されたと言ったほうが適切でしょうか。なぜなら20カ国を過ぎ、30、40カ国と旅を続けていれば、おのずと旅の経験は厳しい現実を突きつけてきますので。
逆説的に聞こえるかもしれませんが、知れば知るほど痛感するのは、「自分がいかに知らないか」という不都合な事実なのです。でも、だからこそ、今いる場所の一歩先を知りたい、自分の知の限界を超えたいと思い、旅を続けているのかもしれませんね。(つづく)
▶次回のレシピ▶▶▶
チチカカ湖に浮かぶトトラ葦で作られたウロス島(2009年)。思い出の場所で、「ととら亭」の故郷でもある
お待たせしました。次回から、いよいよ旅の実践です。必要最低限の物とおカネを用意し、目的を持って現地の情報を調べたら、後は心を開いて飛行機に乗るだけ。そして現地の空港で飛行機を降りた瞬間から、僕らを待っているのは未知の世界です。
第5回は「出たところ勝負で進む旅」と題し、次々とやって来る初めての物事にどう対応するのかをお話します。バーチャルな空間から広大な経験の世界へ飛び込んでみましょう!
(写真提供:久保えーじ)
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