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食べるしあわせ
忘れられない旅と味
リレーエッセイ
第6回 トナカイのオーブン焼き ERIKO(モデル・定住旅行家)
窓の外を見ると、夕焼けに染まったオレンジの海に氷河が漂っている。リザベスさんがオーブンの扉を開けると、ハーブの香りをまとった湯気がふわっと立ちのぼった。窓ガラスはぬくもりに静に曇っていく。
赤く深い色。脂は少なく、きゅっと引き締まった肉。ひと口噛むと、繊維はしっかりしているのに硬くない。噛めば噛むほど、甘みと旨みがジュワッとほどけていく。ふわりと鉄のような香りが鼻を抜けた。インパクトはあるのに、押し付けがましくない味。
グリーンランドで食べたカリブー肉。いまでも時折、無性に思い出す。記憶に残る味だ。

グリーンランドの土地を飛行機の窓から見下ろしたとき、白と青の絵の具を流したようなコントラストに目を奪われた。日本のおよそ6倍の面積。氷と海が永遠と続くこの土地に人の暮らしがあるのかと、半信半疑になる。
着陸とともに目に飛び込んできた民家を見て、人間はどこへいっても生きる活路を見出す生きものなのだと、思わず感心してしまう。

この国の人口はたった6万人弱。この土地での人との出会いは、深い関わりへの入り口を意味する。リザベスさんとジョンさん夫婦は、グリーンランド西部のイルリサットで生まれ育った。2人の娘を育てあげ、リザベスさんは教師として、ジョンさんは観光業の仕事に従事している。
リザベスとジョンという名前からも想像されるように、グリーンランドは1953年までデンマークの植民地であり、さまざまなことがデンマーク化されてきた。言語、法律、通貨、文化、教育。けれども、はるか昔からこの地で暮らしていたのはイヌイットの人びとだ。現在彼らは、彼らの言語であるカラーリット語で「人間」を意味する”カラーリット”と自らを呼んでいる。
しかしながら、リザベスさんとジョンさんが暮らす家は、雪でできたイグルーなどではない。岩の上に建てられた、しっかりとした木造住宅だ。内装も明るくモダンで、家具や仕様もデンマーク式になっている。

さまざまなことが変わっていったなかでも、変わらなかったものもある。それが食だ。
街には大型のスーパーマーケットがいくつもあり、島国であることを感じさせないほど、品数も充実している。食料品から日用品、嗜好品まで、スーパーへ行けばなんでも手に入る。
それでもグリーンランドに住むカラーリットの人びとは、自らの手でタンパク源を調達する。男性たちは、仕事の合間や休日、海が凪いだらボートを出し、アザラシを撃ちにいく。大型の船でクジラを捕獲し、地元民で分け合う。8月上旬には、カリブーの猟期がはじまる。家族でキャンプを張り、移動しながらカリブーを追う。獲れた肉は冷凍保存し、年中いつでも食べられるようにする。わたしが食べたカリブーの肉も、そうやって家族がからだを使って獲ったものだった。

「これは去年行った狩りの様子だよ」
ジョンさんが見せてくれた写真には、立派なカリブーの肉を背負う娘と、ライフルを手にした10歳の孫息子の姿があった。乾いた大地の中で、目が生き生きと光っている。それを見たとき、わたしは何か人間として大事なことを知らないまま生きてきたような気がした。写真の中の彼らのその輝きが眩しく映った。
わたしも狩りに行きたい。
カリブーの猟はすでに時期をすぎていて叶わなかったけど、ジョンさんにお願いして、アザラシ猟に同行させてもらえることになった。

凪いだ海に浮かんだボートに佇む。真っ白い巨大な氷河と空と海とわたし。自分の肉体と精神がどこかへ飛んでしまいそうなほど、自然は神聖で雄大だった。
「こうやってアザラシの腹を開けると、こいつがその辺りの海で何を食べて、どう生きてきたかわかる。海がどんな状態かも知ることができるんだ」
ジョンさんは、仕留めたアザラシを解体しながら、そう言った。
そのとき、わたしはようやく理解した。なぜ彼らがスーパーで丁寧に梱包された肉を買わないのかを。

カラーリットの人びとは、自らの先祖たちが行ってきた狩猟を継承していくことに、深いアイデンティティーを感じている。
近年、食だけではなく、カラーリットの文化を復興させようという動きが若者を中心に活発になってきている。顔やからだに出自を象徴するタトゥーを施す女性、生まれた子どもにカラーリットの名前をつける親たち、学校で設けられるカラーリット語や文化の学習時間。時代とともに大きな権力に翻弄されてきた人びとは、いまようやく、小さな、けれど確かな声を取り戻しはじめている。

ジョンさんは食卓でよくこう言った。
「新鮮な動物の肉を食べることで、彼らが生きた厳しい自然の強いエネルギーを直接得られることができる」と。
わたしはその言葉を聞きながら、「おいしい」では終わらない何かを噛み締めていた。カラーリットの暮らしそのものが、わたしの忘れられない味となって残っている。
次にこの島を訪れるときは、彼らとともにカリブーの猟へ出てみたい。あの味の奥にある時間を辿ってみたい。


(イラスト:きりたにかほり)

好評既刊『ジョージア旅暮らし20景』
ERIKO 著


定価2200円(税込)

“ヨーロッパ最後の秘境”とも呼ばれるジョージア。現地の一般家庭で生活を共にしながら、首都トビリシだけでなく、ジョージア人にとっても“秘境中の秘境”であるスバネティ地方など、ほぼすべての地方を旅した著者が、定住旅行家ならではの視点で綴る20の旅日記。それぞれの場所でそれぞれの人生を懸命に生きる人びと、忘れられない味、そして絶景。ガイドブックにはない素顔のジョージアが、ここにある。

◎書籍の詳細・購入は⇒

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【エリコ】
鳥取県米子市生まれ。世界のさまざまな地域で現地の人びとの家庭に入り、生活を共にし、その暮らしや生き方を伝えている。これまでに約50カ国にて100以上の家族との暮らしを体験。訪れた国では民間外交に積極的に取り組み、現地と日本の架け橋になる活動も行う。とっとりふるさと大使。米子市観光大使。著書に『変わってしまったぼくの町、ぼくの学校 ウクライナの少年・ダニールが見た戦争 』(汐文社)、『暮らす旅びと』(かまくら春秋社)、『ジョージア旅暮らし20景』(東海教育研究所)など。
ReNeo MANEGEMENT所属(モデル)※写真:KATUMI ITO
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