
味見中のジンミンさん
あいにくの雨模様で始まった朝、私はアミ(阿美)族の男性と結婚した日本人の寛子さん、4歳の
岳くんとともに、
台東から北へ向かうバスに揺られていました。目指すのは
長濱。そこに、寛子さんの義父であるジンミンさんが暮らしています。
スマートフォンの地図には、台東と
花蓮を結ぶ花東海岸公路が海岸線に沿って細く伸び、私たちのバスがひたすら北上していきます。片道2時間以上の道のりを同行してもらうのが申し訳なくて口にすると、寛子さんは「日本と台湾を行き来しているから、義父に孫の顔をなかなか見せられなくて。こういう機会に連れて行かなきゃ」と、雨雲を払うような笑顔で言ってくれました。優しさに満ちた言葉に、胸のつかえがすっと取れました。
車窓の右手には、どこまでも続く海。アミ族は約21万人(※1)と台湾の原住民族の中で最も人口が多く、「海の民」として花蓮、台東、
屏東の海辺に暮らしてきた人々です。どこまでも広がる海を目に入れながら、耳の奥では、あの「ヘイヤイハーイ」という独特の旋律――アミ族原住民歌手・郭英男(Difang)の『老人飲酒歌』(※2)が、小さなBGMのように鳴り続けていました。寛子さんからは「義父はね、半分屋外で料理する人なんですよ」と聞かされていたのですが、その姿がどんなものなのか、まだうまく想像ができないでいました。
最寄りのバス停に着くころには雨も止み、波の音が心地よく広がる集落を歩けば、すれ違う住人が寛子さんに「おっ、お義父さんのところに来たの?」と声をかけていきます。ほどなくして、ひと組の夫婦が車を止め、私たちを気前よく乗せてくれました。砂利道を抜けると「WELCOME TO SURF MONKEY SURF & KAYAK」と描かれた大きな看板が現れます。ここがジンミンさんの敷地。夏にはサーフボードやカヌーのレンタル、キャンプ場も営んでいるのだと聞きました。

シイラを手にするジンミンさん
出迎えてくれたジンミンさんは77歳。その姿は精悍で、日に焼けていて健康的なこんがりとした皮膚の色。身長180センチを超えるすらりとした体格。その佇まいには年月の深みが漂い、動作はゆったりして豪快さの余韻をまとっています。
「アミ族は海の恵みで生きてきた海洋民族だから、山で狩りをしてきたパイワン(排灣)族より背が高い人が多いんです。海は天然の冷蔵庫だから、魚を釣ってすぐ食べられる。そういう環境だからか楽天家も多いといわれているんですよ」と寛子さんがそっと補足してくれました。
「今朝シイラが手に入ったから、さばいて刺し身と鍋にするんだよ」
そう言うとジンミンさんは、スーパーの袋から全長80センチはある
鬼頭刀魚(シイラ)を、まるでいつものことのように取り出しました。私にとってはかなり大きい魚だと思ったのですが、ジンミンさんは「こりゃ、中くらいの大きさだな」と、ぐいっと片手で尾びれをつかんでこちらに見せてくれました。シイラの体表はほんのり黄色みを帯びて光り、身は引き締まって新鮮そのもの。実際、ここでは午前10時に定置網が上がり、その時間に浜へ行けば獲れたばかりの魚が手に入るのだそうです。

コンテナの中にあるジンミンさんの台所
ジンミンさんの暮らしの場は、船に積まれる長いコンテナをL字に並べて改造したもの。遺産相続で譲り受けた土地は農地だったために建物が建てられず、寛子さんの夫がキャンプ場に整地した際、ジンミンさんはそこにコンテナを据え付け、自らの住まいにしたそうです。コンテナのひとつには台所、もうひとつは物置と寝室。シャワーとトイレは別棟。夏はコンテナが暑すぎて外やトラックの荷台で寝るほうが気持ちいいのだとか。周りにほとんど建物がなく、夜空の星がきれいに見えるなら最高の寝室かもしれません……。

シイラの刺し身
魚をさばくのは屋外の流し台。シイラを運び、ジンミンさんはリズムよく鱗を落とし、刺し身用と味噌鍋用に切り分けていきます。大きな魚をさばくと勢いで魚の血や鱗などが飛び散ります。その点、外の流しでさばいて水で流すと一気にきれいに片づくため、掃除しやすく合理的です。ジンミンさんはあっと言う間に、大きなシイラを刺し身用と味噌鍋用に切り分けました。桜色の刺し身は白い皿の上で陽射しを受けて輝いています。
ジンミンさんは味噌鍋用のシイラを手にすると、コンテナへと入っていきました。入り口すぐにダイニング、左手に冷蔵庫、その奥にシンクと調理台。右手の壁沿いにはパントリーとガス台が並んでいます。鍋に台湾産の白味噌と水を入れ、シイラを投入。火が通ったところで味を確かめながら鶏ガラスープの素を入れると、日本の味噌と比べて優しい味噌の味がぐっと締まります。続いて中華鍋でニンニクとブロッコリーを豪快に炒め、ご飯を茶碗によそえば、ジンミンさんの「男めしたち」が堂々完成です。
「ひとりだからね。自分のことは自分でやらないと」
鍋の味を確かめながら、ジンミンさんは照れくさそうに笑います。その表情はひとり暮らしを楽しんでいる様子に見えました。
寛子さんが「私たちだけではこんなにたくさんの料理を食べきれないから、友達も呼んでいい?」と電話をかけると、先ほど送迎してくれた夫婦がほどなく到着。みんなで外に席を作り、食卓を囲むことになりました。この集落の人々の軽やかな距離感に、東京暮らしの私は驚かされました。

完成したジンミンさんの手料理
さて、気になるジンミンさんの料理は……。炊きたてのご飯に新鮮な刺し身をのせれば、即席のシイラ丼の完成です。シイラは脂がのり、弾力があり、まるでハマチのよう。箸が止まらなくなるほどのおいしさです。強火で炒めたブロッコリーは歯ごたえがよく、日本で食べるより甘みを強く感じます。そして味噌鍋のスープはシイラの旨みがぐっと広がり、海の香りまで溶け込んでいるかのようでした。
ジンミンさんに普段の暮らしぶりを尋ねると、「朝は6時ごろ起きるかなぁ。水は山から運んで自炊しているし、酒は飲みすぎないように健康管理もしているよ。毎日好きなことだけしながら、自由で平和な生活をしてるよ」と、なんともうらやましい生活をのんびりした声で教えてくれました。豊かな自然に囲まれて、ゆっくりと時間が流れるシンプルで飾らない生活を送るジンミンさん。その余韻を胸に、私はアミ族の集落を後にしたのでした。(つづく)

屋外で調理をするジンミンさん
※1:原住民族委員會原住民族人口及健康統計年報 2025年データ
※2:台湾原住民のアミ族の音楽グループDifang(郭英男)の歌で、伝統的な宴の歌でした。1994年にEnigma(エニグマ)に無断で使われ、1996年のアトランタ五輪の公式テーマソングとなったこともあり、世界的に知られるように。著作権訴訟を経て現在は台湾先住民族文化を代表する歌として評価されています。【佐々木敬子さんのInstagram】
https://www.instagram.com/estonianavi/◎佐々木さんのインタビュー記事「キッチンで見つけた素顔のエストニア」は
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