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食べるしあわせ
台湾台所探訪記 旅する食文化研究家
佐々木敬子
第2回 猫もぶっ飛ぶ電鍋(台北)

アンさんの部屋のベランダからの眺め

台北捷運(台北メトロ)台北駅の隣、善導寺駅で降りて地上に出ると、大通りに面した騎楼チーロウ(通りに面した1階部分をアーケードとして使う建築様式)沿いに、カフェや滷肉飯ルーローハンのチェーン店、真新しい回転寿司の店などがにぎやかに並んでいました。これらのお店を横目で見ながら歩くこと約5分。不意に商店と商店の間から瀟洒な石灰岩タイル張りのマンションのエントランスが現れました。住所を確認すると、確かにここです。インターホンを押して待っていると、しばらくして出迎えてくれたのは、歯科医として働く30代のアンさんです。彼女の実家は台北からバスでおよそ1時間の宜蘭イーランにありますが、現在は台北と宜蘭の2つの病院に勤務しており、2つの都市を週に何度か往復する2拠点生活を送っているそうです。私が訪れたマンションは台北勤務時の拠点で、宜蘭勤務の際は実家に戻るのだと教えてくれました。

アンさんと一緒にエレベーターで5階に上がると、そこは高級ホテルのような雰囲気のエレベーターホールで、1フロアに2戸しか住居がありません。大の愛猫家であるアンさんは、開開カイカイ心心シンシン米妮ミニという名の3匹の猫と一緒に暮らしています。旧正月や旅行で1週間以上留守にするときは動物同乗可のタクシーで宜蘭の実家へ連れて行き、それより短い場合は家族に頼むか、信頼あるペットシッター(餌やり、掃除、遊びの相手を含むサービス。1日およそ700台湾ドル、約3300円)にお願いするのだそうです。

白で統一されたアンさんの台所


玄関のドアを開けるとアンさんの母、シューフェンさんが出迎えてくれました。事前に取材の趣旨は説明していたものの、アンさんと私は初対面です。そこで日本から来た私をアンさんと一緒に出迎えるため、宜蘭から台北までわざわざ来てくれていたようです。玄関を入るとすぐにコの字型のシステムキッチンがあり、その先にダイニングテーブル、さらに奥にはリビングとベランダが続きます。キッチンには北欧デンマークの照明ブランド「ルイスポールセン」のペンダントライトが柔らかに灯り、真っ白でおしゃれな海外ブランドのトースターやウオーターサーバーが並んでいました。その中で目を引いたのが、ピンク色の電鍋(台湾生まれの万能調理器)です。白で統一されたキッチンの中で、ビビッドなピンク色はひときわ目立っていました。

「かわいい色ですね!」と思わず声を上げると、母親のシューフェンさんが笑顔で教えてくれました。「アンがボストンに留学したときに持って行った電鍋なのよ。10年くらい経つけれど、今でも大事に使っているの」。母の言葉を聞きながら、アンさんもうなずきます。「アメリカ生活中、本当に助けられました。だって、毎日ハンバーガーやステーキばかり食べていられませんからね」
「台湾人は海外に行くとき、必ず電鍋を持って行く」という噂を耳にしたことがありましたが、それが噂ではなく本当のことだということを、このとき知りました。

瓜仔肉と電鍋

地元・宜蘭の名物料理、西魯肉

台湾の総合電機メーカー・大同公司が製造販売する電鍋(正式名称:大同電鍋)は、鍋本体に水を注いでスイッチを入れるだけで「炊く・蒸す・煮込む・温める」の4役をこなし、しかも水が蒸発してなくなれば自動でスイッチが切れるというシンプルな仕組み。ほったらかし調理ができる便利さもあって、台湾では「一家に一台」といわれるほどのベストセラー家電です。
この電鍋を使ってアンさんが作ってくれたのは、刻んだキュウリの漬物・脆瓜ツイグァと豚ひき肉を混ぜて蒸す家庭料理、瓜仔肉クワジャイロウです。アンさんは食感をさらに豊かにするため、荸薺ビーチ(シログワイ ※1)のみじん切りも加えました。調味料は米酒ミージュウ(※2)、醤油、白こしょう。混ぜ合わせた材料を丼に詰め、中央にくぼみを作ってウズラの卵を落とし、電鍋にセット。水1カップ(180ミリリットル)を注いでスイッチを入れると、20分ほどで「パチッ」と音が鳴り、できあがりです。

蒸気を出しながらカタカタと蓋を揺らす調理中の電鍋の横で、アンさんは地元・宜蘭の名物料理、西魯肉シールーロウも作ってくれました。細切り豚肉や干しエビ、ハクサイ、ニンジン、キクラゲなどを炒め、米酒と醤油で味を調えた後、水溶き片栗粉で軽くとろみをつけ、最後に卵を油で揚げた蛋酥ダンスーとミツバを散らす五目煮のような料理で、宜蘭を代表するごちそうなのだそうです。完成した瓜仔肉と西魯肉をご飯にのせていただくと、瓜仔肉は漬物のコリコリ感とシログワイのシャリシャリ感が絶妙に調和し、醤油と肉汁がご飯に染み込んで優しい味わいに。西魯肉は干しエビの旨み、野菜の甘み、蛋酥の香ばしさが重なり合い、箸が止まりません。この2品だけでも十分満足でしたが、食後にはアンさん特製のクリームチーズと干し柿のデザート、さらには台湾産蜂蜜をかけた自家製の愛玉アイユー愛玉子オーギョーチー)までふるまってもらったのです。

瓜仔肉と西魯肉をのせたご飯

けれど私はごちそうでおなかいっぱいになりながらも、この日の陰の主役ともいえるピンク色の電鍋が気になって仕方ありませんでした。台湾で台所取材を始めて6日目。どの家を訪れても当たり前のように置いてある電鍋を目にする間に、私も自分用に欲しくなっていたからです。そして、買うのならこの鮮やかなピンク色がいいと思ったのです。そこで思いきって尋ねてみると、シューフェンさんがその場でスマートフォンを使って検索してくれました。その結果、残念ながらまったく同じ色ではないものの、似たようなピンク色の電鍋は販売中であることを教えてくれたのです。私が食い入るようにその画像を見ていると、思いがけない言葉が彼女の口から飛び出しました。

「プレゼントするわよ!」
日本円にして2万円以上もする電鍋を初対面の私がプレゼントでいただくわけにはいきません。丁重に辞退したうえで、仮にインターネットの通販で購入していただいたとしても、私は台湾全土を取材で巡っている最中なので、商品を受け取る住所もないことを説明しました。しかしシューフェンさんは引き下がりません。
「お金はいらないわ。マンションの管理人さんに預けておくから、帰国するとき受け取ってちょうだい」
「えーーーーーーーーーーーーーーー!」

思わず叫んだ私の声に、アンさんの3匹の猫たちも飛び上がったことでしょう。そして今、わが家の台所には、二人からいただいたピンク色の電鍋が鎮座しています。(つづく)

アンさんと愛猫の心心


※1:カヤツリグサ科の植物。主に中華圏で食され、シャリシャリした食感が特徴
※2:台湾の料理に使われる米酒は蒸留酒で、醸造酒の日本酒とは違って甘さがない。料理の臭みを消したり下味をつける際に使うことが多い


【佐々木敬子さんのInstagram】https://www.instagram.com/estonianavi/

◎佐々木さんのインタビュー記事「キッチンで見つけた素顔のエストニア」はコチラ⇒
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【ささき・けいこ】
旅する食文化研究家。料理教室「エストニア料理屋さん」、バルト三国の情報サイト「バルトの森」主宰。会社員時代に香港駐在を経験したのち、帰国後は会社務めの傍ら世界各地を旅して現地の料理教室や家庭でその国の味を習得。退職後の2018年からエストニア共和国外務省公認市民外交官としての活動を始め、駐日欧州連合代表部、来日アーティストなどに料理提供を協力。企業、公共事業向けレシピ開発やワークショップ、食文化講演なども行う。著書に『旅するエストニア料理レシピ』、『バルト三国のキッチンから』(産業編集センター)。
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