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食べるしあわせ
台湾台所探訪記 旅する食文化研究家
佐々木敬子
第3回 2つのルーツを持つ料理家(台東)

台湾東海岸に暮らすパイワン(排灣)族の料理家ピヤさんとは、朝9時に瀧溪ロンシ―駅近くの自宅前で待ち合わせをしました。パイワン族の人口は約10万人。台湾に住む16の原住民のうち2番目に多い原住民族で、主に台湾南部の屏東ビンドン県と台東県南部に住んでいます。私は朝ゆっくり起きて彼の自宅へ向かうことに決め、瀧溪駅周辺で前泊することにしました。

取材前日、西の果ての金門島ジンメンダオから飛行機で高雄ガオションへ渡り、そこから列車に乗りました。所要時間は約2時間。数多くのトンネルを抜けながら目的地の瀧溪駅へと向かいます。列車の窓の外には幾重にも重なる山々が広がり、秘境にたどり着いたかのような気分になります。到着直前には中央山脈南端、パイワン族のルーツとされる大武山ダーウーシャン(標高3092メートル)を源流とする全長65キロメートルの大竹溪ダージューシー(大竹川)に架かる鉄橋を渡りました。水量は少ないものの、川床いっぱいに岩石が敷き詰められ、海に向かって流れ下る荒々しい景色が印象的でした。

駅で降りたのは私ひとり。駅舎を抜け、小学校を右に見ながら進むと幹線道路に突き当たり、その先に宿がありました。すれ違う人はなく、昼間にもかかわらず町はひっそりとしてゴーストタウンのよう。宿はシーズンオフのため4人部屋のドミトリーをひとりで使えることになり、洗濯を済ませてから夕飯を食べに行こうとすると、すでに外は真っ暗。急に心細くなり、金門島でもらったお菓子を宿で食べて空腹をしのぎました。

ビヤさんの台所にある伝統的な造りのかまど。今はプロパンガスを使っている


そして翌朝、駅近くのピヤさんの家を探しましたがどうしても見つけられません。2匹の犬がつかず離れずついてきて、それを気にしながら家を探していると、業を煮やしたピヤさんが裸足で道路に姿を現しました。裸足が気になって尋ねてみると、「だって気持ちいいじゃない?」と、あっけらかんとした答えが返ってきました。その自然さに、靴を履いて歩く自分のほうがむしろ奇妙に思えてきました。
パイワン族の母と中国山東省出身の父の間に生まれたピヤさんは、現在41歳。父のマーさんは1949年に国民党軍として台湾に渡り、その後、ピヤさんの母と結婚したそうです。そのためピヤさんは「ピヤ・ルシャガシャク(ローマ字名:Pia-Rhusagasag/漢字名:比亞・魯沙嘎沙克)」という原住民名と、漢民族名の「マー清山チンシャン」という2つの名前があります。

裸足のピヤさんに連れられて彼の自宅へと続く小道に入ると、窓格子に吊るされた着生のコウモリランやランが周囲の自然と溶け合っています。エントランスの扉に「Pikak麺麹文化厨房」と書かれた看板がありました。Pikak(ピカク)とはパイワン語で「酵母」を意味する言葉。両手を中央に配置したデザインは、麹や酵母、麺やパン作りに欠かせない「手」を象徴しているそうです。

料理を作るピヤさん

2004年から8年間、中華民国軍に所属していたピヤさんは退役後、自然保護区に指定されている大武山の生態系、人文、文化、動植物を紹介する大武山生態教育館で働いていました。しかし2020年のコロナ禍で出勤できなくなってしまい、自宅の工房で小麦粉にイーストを加えて発酵させた生地の中に肉を入れた包子バオズ(小麦粉にイーストを加えて発酵させた生地の中に具を入れて蒸したパン)を作って自宅で販売することに。やがて増えてきた注文に応えるため、工房を使いやすく改修しようと考えていたちょうどそのころ、台東県政府が行っていた補助金企画に応募。「パイワン族の食文化と山東省の粉食文化を紹介する施設を作る」というアイデアが採用され、20万台湾ドル(約96万円)の補助を受け、工房をリノベーションしたのです。

中に入ると広々とした作業台が3つ並び、奥の中庭へと続くガラス窓から穏やかな光が差し込んでいます。右の壁際にはコンロやシンク、電鍋(台湾生まれの調理家電)、冷凍庫、冷蔵庫が整然と並び、酵母や麹の作り方を描いた壁画があります。左側には天井まで届く棚、さらに竹で編んだ大きな平かごがたくさん積まれているのを見て、ピヤさんはここで多くの料理を作ってきたのだろうと察しました。

天井まで届く大きな棚

小学生のとき、初めて父の故郷の山東省を訪れたピヤさん。そこで出会ったのが、タロイモや米、アワなど主食としていたパイワン族の食文化とはまったく違う、包子や花捲ファージュアン(具のない生地をねじって巻いた形の蒸しパン)などを主食とする粉食文化でした。山東省滞在中は毎日のように小麦粉を使ったこれらの料理を主食として食べていたそうです。そしてその後、台湾に戻ったピヤさんは、父の好物だった包子や花捲、饅頭マントウ(具が入っていない蒸しパン)、麺などを見よう見まねで作り始めたのです。その一方で、母のルーツであり、自身が生まれ育ったパイワン族が代々受け継いできた酒造りや麹造りなどの発酵文化を長老から学んでいきました。こうして山東省の粉食文化とパイワン族の発酵文化――ピヤさんのルーツに結びつく2つが彼の料理の原点となったのです。

渦巻き状に丸めた油餅の生地

米糠とキビ、塩を混ぜたぬか床に豚肉を漬ける

この日、ピヤさんが作ってくれたのは、刺葱シーツォン(カラスザンショウ)入りの油餅ヨウビン(薄焼きのパイ)と、酒糟醃肉ジォウザオシェンロウ(酒かす熟成豚のグリル)です。まず私に見せてくれたのは、台湾原住民族にとって欠かせない、鋭いトゲが特徴の刺葱です。この茎を潰し、熱した油に入れて取り出すと刺葱のエキスと香りが油に移ります。その油を生地に塗り、細かく刻んだ刺葱の葉を散らします。生地を渦巻き状に丸め、30分寝かせてから薄く伸ばして低温の油で揚げると、外はサクサク、中はもちもちの層が幾重にも重なる刺葱油餅が完成しました。ひと口かじると山椒と柑橘が混じったような、爽やかな香りが鼻に抜けます。

続いてはパイワン族の代表的な料理、酒糟醃肉です。米糠ミーカオ(精米後に出る粉)、キビ、塩に3日漬けた豚肉を焼き、辣椒醬ラージャオジャン(自家製唐辛子ソース)を添えて油餅と一緒にいただきます。米糠に漬けられ熟成した肉の甘みと香ばしさ、油餅の刺葱の香りをまとった小麦の味が口の中で混ざり合い、まさに山東省とパイワン族との融合を体感した瞬間でした。
裸足で台所に立つピヤさんの姿には、父から教えてもらった山東省の味とパイワン族としての文化を次世代に伝えたい、という強い想いが表れているように見えました。(つづく)


【佐々木敬子さんのInstagram】https://www.instagram.com/estonianavi/

◎佐々木さんのインタビュー記事「キッチンで見つけた素顔のエストニア」はコチラ⇒
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【ささき・けいこ】
旅する食文化研究家。料理教室「エストニア料理屋さん」、バルト三国の情報サイト「バルトの森」主宰。会社員時代に香港駐在を経験したのち、帰国後は会社務めの傍ら世界各地を旅して現地の料理教室や家庭でその国の味を習得。退職後の2018年からエストニア共和国外務省公認市民外交官としての活動を始め、駐日欧州連合代表部、来日アーティストなどに料理提供を協力。企業、公共事業向けレシピ開発やワークショップ、食文化講演なども行う。著書に『旅するエストニア料理レシピ』、『バルト三国のキッチンから』(産業編集センター)。
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