ドキュメント:作品を「剥がし」、移動する
小田原市民会館の壁面に描かれた西村保史郎の作品を「剥がし」取る。その準備が開始されたのは、2021年12月のことである。建物の解体日はまだ未定ではあるものの、作品をいかに大ホールの壁面から剥がして新しい支持体の上に「うつす」のかを早急に考えなくてはならない。そして何より、巨大な壁画のすべてを剥がすことができない以上、どこを選び剥がして残すのかを決めなくてはならなかった。

図1 12月2日 暗がりの中での作業
事前に立てた計画は比較的シンプルなもので、全3回の行程で構成されていた。まず第1回目に、「剥がす」箇所のおおまかな選定。第2回目に、作品を剥がす際の表面保護「表打ち」に用いる材料のテスト。第3回目に、いよいよ作品を剥がす、というもの。
しかし、事はそう簡単には運ばなかった。むしろ、正直なところ、大変難航した、と言わなくてはならない。ここからは、作品を「剥がす」作業に四苦八苦した様子を時系列で振り返っていこう(図1)
第1回:始動
2021年12月2日、16時。壁画の保存修復プロジェクトに携わるメンバーが、施錠された市民会館大ホール前に集合した。厚着をし、キャンプ用のトーチやLEDランタン、ヘッドライト、さまざまな大きさのスクレイパー(ヘラ状の器具)などをそれぞれが手にする様子は、キャンプに出かける集団さながらの賑やかしさである。この日、私たちは、閉館して電気・水道ともに止まっている大ホールの中で再び調査を行うために集まった。
館が閉館してからおよそ4カ月、鼻先に届く湿度を含んだ埃のにおいが前よりも強くなっているのが感じられた。館内は真っ暗で、窓からの光もほとんど届かない。それぞれが持参した照明を点灯すると、「赤い壁」が鮮やかに視界に入ってきた。
この日の目的は、作品を壁から剥がすことが物理的に可能なのかどうかをテストすること、そして、剥がす場所の目処をつけることにあった。まず、比較的無理なく壁から剥がすことができそうな箇所はどこか、ぐるりと歩いて作品を検分していった。
作品は、およそ90cm幅の縦長の画布の連なりでできている。画布と画布の境目、石膏地や絵具の起伏がない場所──カンヴァスだけが壁面を覆っていて、スクレイパーの刃を比較的楽にすべりこませることができそうなのは、入り口近くの壁の下部だった(図2)。
つまり、作品の「隅」にあたる場所である。このあたりはすでに壁からキャンバスが浮き始めており、どうにか工夫をすれば、剥離が可能な気配があった。

図2 「青い壁」署名近くを剥がすことができる状態か検分

図3 「赤い壁」をゆっくりと剥がす
真っ暗な環境でも作業が速やかに進むよう、メンバーが手元を照らしてくれるなか、スクレイパーを壁とキャンバスの間に差し込み、ぐっと力を入れる。壁としっかり固着している箇所は相当な抵抗があり、なかなか刃が進まない。キャンバスに穴をあけないよう、刃の向きや圧を慎重に調整しながら進めていくと、ある段階で、するするとキャンバスが壁から剥がれはじめた。赤の壁でも、青の壁でも、いったん剥がれ始めると、思っていたよりも楽に作業が進む(図3)。
「これなら大丈夫」「スクレイパーで剥がせるね」と私たちは頷きあった。壁からキャンバスが微動だにせず、まったく剥がすことができなかったらどうしたものかと心配していたが、どうやらそれは杞憂に終わりそうだとあって、皆の表情が少々緩んだ。
ただし、絵具の起伏がある箇所にかんしては、スクレイパーの振動で表面の描画層を壊してしまうことがないように、和紙と接着剤などで表面を固定して保護する「表打ち」と呼ばれる作業が必須になる。「赤の壁」「青の壁」を見てまわり、それぞれ一箇所ずつ、候補の場所を決定した。選んだのは、西村保史郎がこの作品を制作するにあたって用いた技法──描き、削り、さらに色彩をのせる──がさまざまに見て取れる場所である。(つづく)