今や独自のアイデンティティーを作り上げ、数多の専門店がしのぎを削る日本のギョウザ。そのオリジナルは本当に中国で生まれ、世界各地に広がっていったのか?
『世界まるごとギョーザの旅』を書いたとき、いちばん気になっていたのが、この問いでした。白状しますと、当時、僕はまだその手がかりすらつかんでいなかったのです。

ヨーロッパの影響を受けた中国・ハルビンの街並み
そこで脱稿した2年後の2019年に計画したのが、日本ギョウザの親を探す中国の旅。日本ギョウザの起源は諸説あるものの、最も支持者が多いのは、戦後、中国東北部からの復員兵が伝えたという説でしょう。ならば、そこには日本ギョウザによく似た親としての餃子(ジャオズ)があるに違いない。この仮説から僕らが選んだのはハルビンを皮切りに長春、瀋陽、北京へと南下するルートでした。
20年ぶりの中国本土は、以前とほとんど変わっていませんでした。とりわけ英語が通じない点はまったく同じ。ハルビン空港の国際ターミナルで立ち寄ったツーリストインフォメーションですら、未だにATMの場所さえ聞き出せないとは!
安心したのは、料理のおいしさも当時のままだったことです。さすがは世界3大料理のひとつが生まれた国。取材店はネット上の星の数など当てにせず直感で選びましたが、どこに入ってもハズレはありませんでした。
しかし本場の餃子はやっぱり格別だ! と喜んでばかりはいられません。食事を楽しみつつ取材を進めるうちに、僕はだんだんブルーな気分になってきたのです。なぜなら血縁関係があるといわれても、日本ギョウザの親だと断言するにはあまりに違いがありましたから。

ハルビンの餃子
まず、そもそも餃子とは茹でて食べるものなのですよ。焼くのが当たり前というのは僕が調べた限り、日本しかありません。ですから中国東北部でメニューに「餃子」とのみ書いてあるのならば、出てくるのは、ほぼ間違いなく日本でいうところの水餃子です(一般的な表現は水餃〔シュイジャオ〕) 。際立った中身の違いは、ニンニクが具に入らず、好みでタレに添えるオプション的な存在だったこと。同様にニラも必須ではなく、共通して確認できた具は刻んだ白菜、ネギ、ショウガ、豚ひき肉というシンプルなものでした。

北京の餃子

長春の餃子(ニンニクが別添え)
さらにそれを包む皮の厚みは取材地ごとに微妙な違いがあり、北京型が最も厚く、瀋陽、長春はそれよりやや薄い。いちばん日本ギョウザに近かったのはハルビン型ですが、それとてやっぱり親子というには、もっちりした食感と滑らかなのど越しの点で無理がある気もします。盛りつけ方にしても、焼いた面を上にする日本のギョウザは、中国の稀な焼きタイプの炒餃(チェンジャオ)と比べて逆さまです。さらには食べ方だって違います。日本ギョウザが”ご飯のおかず”のところを、中国ではそれだけで完結する”主食”という位置づけではないですか。

ハルビンの炒餃(チェンジャオ)※焼いた面を下にして皿に盛り付けている
これらの違いを説明するさまざまな仮説はあるものの、いずれも推測の域を出ていません。はてさて、真相はどうなのでしょうね?
ところ変わって場所はトルコのカイセリ。日本では奇岩の景勝地カッパドキアへの足掛かりとして知られていますが、現地では極小ギョウザのマントゥでも有名です。10年ぶりにこの街を訪れたのは、中国を再訪する半年前のことでした。
実はこのときも直面したのが言葉の壁。英語が世界語だと言ったのはどこの誰でしょう? しかも今回は中国のときよりずっとシビアだったのです。なぜなら往路の機内でワイフのともこが高熱を出し、当然のことながら「濃厚接触者」の僕も続いて具合が悪くなってきたのですから (今のご時世だったらひと騒動!) 。

雪の積もるトルコ・カイセリの繁華街
手持ちの解熱剤はぜんぜん効かず、一刻も早く病院に行かねばならないのに、頼みの旅行保険会社に連絡すれば「その街で紹介できる病院はありません。自力でどうにかしてください」とつれない回答。さらにカイセリもまた、英語がまったくといっていいほど通じないのですよ。そこで最悪のコンディションの中、まずは意思疎通を図るところから始めざるを得ませんでした。
そしてようやく病院にたどり着いたと思ったら、今度はドクターですら「わかってるのかな?」な怪しいムード。海外で病院に行ったことは何度かありますけど、言葉が通じない状態で採血され、レントゲンまで撮られたのはこれが初めてでした。しかし多くの親切な医療スタッフに助けられ、処方されたトルコ製の薬を飲んだら半日で回復! これで取材開始です。
トルコのギョウザ、マントゥは中国で餃子が生まれてそれほど経っていない時期に伝わった可能性があります。というのも中国の餃子は当初、饅頭(マントゥ)と呼ばれており、その時代にトルコ人やトルクメニスタン人の祖先にあたるトュルク系遊牧民が西方へ伝えたものが中央アジアではマンティ、トルコには音も同じくマントゥとして根づいたと考えられますから (ちなみに朝鮮半島ではマンドゥ) 。
しかし接する文化の違いが強く反映する例として、特にトルコでは日本を凌駕する変化が見られました。ベースは中国東北部で食べたものとほぼ同じですが、ムスリムの国なので、当然のことながら肉がブタからラムに置き換えられています。最も顕著な違いはその先。大きさがサイコロ大に縮小され、つけるのは醤油や酢、刻みニンニクではなく、ガーリックヨーグルトとパプリカバター、それにドライミントを散らしていただくのです。

カイセリで食べたマントゥ(ヨーグルトやドライミントは別添え)

イスタンブールで食べたマントゥ
食べ慣れたギョウザの一種とはいえ、前情報だけではどんな味がするのかまったく見当もつきませんでした。ところが一口食べるなり、これぞギョウザの概念を覆すうまさではないですか! ところ変われば同じ場所で生まれた料理もここまで変わるのか? ギョウザ一族の謎は深まるばかりです。(つづく)
【「旅の食堂ととら亭」のホームページアドレス】
http://www.totora.jp/
定価1,980円(税込)
これまで50以上もの世界の国々を旅してきた久保さん夫婦が営む『旅の食堂ととら亭』は、2人が旅先で出会った感動の味を再現した“旅のメニュー”を提供するお店。元会社員のえーじさんが広報&フロア担当で、料理人の妻・智子さんが調理を担当。そんな彼らが追いかけ続けているのが、世界のギョーザだ。トルコのマントゥ、アゼルバイジャンのギューザ……国が変われば名前や具材、包み方も変わる! 個性豊かな世界のギョーザをめぐる旅と食のエッセイ。
◎『世界まるごとギョーザの旅』の詳細はコチラ⇒
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