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美しいくらし
フィンランドのアーティストが暮らした家 ライター
内山さつき
最終回 魂の眠る場所――アレクシス・キヴィの小屋
かつてフィンランドの芸術家たちが集った、ヘルシンキ近郊のトゥースラ湖のほとり。ここは19世紀の終わりから20世紀にかけてジャン・シベリウスなどの音楽家や小説家、画家たちが暮らした家が今も残されている。昨年の夏、この場所を6年ぶりに再訪し、一日かけて芸術家たちの家をまわった。そしてそこで感じたことを、この連載で紹介させていただいてきた。最終回となる今回は、昨年の夏にはじめて訪れた場所。フィンランド国民文学の父といわれるアレクシス・キヴィが、亡くなるまでの十カ月間を過ごした小屋だった。

アレクシス・キヴィは1834年に生まれ、1872年に38歳で亡くなった小説家、劇作家。当時のフィンランドは1809年から、ロシアの統治下にあった。そして知識人たちのほとんどはロシア以前に属していたスウェーデンの影響を受けたスウェーデン語系フィンランド人だった。つまり、フィンランドの政治や高等教育、芸術活動は長らくスウェーデン語で行われていたのだ。しかし1860年代頃から、フィンランド語教育やフィンランド語で文学や詩を創作する動きが芽生え、その流れの中でキヴィはこの地に生きる等身大の人々をフィンランド語で描いた。そしてフィンランド語による文学の礎を築いた。
彼の代表作は『七人兄弟』という小説で、どれも古い版だが日本語にも何度か訳されている。貧しい農場の子として生まれ、早くに両親を亡くした七人の兄弟が力を合わせて成長していく物語――。と書くと、まるで世界名作劇場のようなお話なのかと思ってしまうけれど、この兄弟はいかんせん直情的で、すぐカッとなっては兄弟ゲンカをする。隣人を罵倒するわ、隣村の若者と殴り合いをするわ、サウナ小屋も熱しすぎて燃やしてしまうわで、読んでいるこちらはまったく安心できないのだった。心を入れ替えようとせっかく学びに行った教会でも、読み書きを覚えられずに世の中に嫌気が差して、七人そろって農場を出て森の中で自由に生きることを決意してしまう。

読み進めていくうちに、それぞれの個性が光り出すのも面白い。責任感は強いが短気な長男ユハニ、力持ちの次男トーマス、お話の上手な三男のアーポ、信心深い四男のシオメニ、飄々としている五男のティモ、マイペースな六男のラウリ、かしこく生意気な末っ子のエーロ。兄弟たちがやり合う会話には、思わず吹き出してしまうような箇所もある。物語の後半までまあまあ粗野なままやりたい放題な彼らなのだが、飼っている動物たちを大切にしていたり、彼らなりに教養を身につけて立派になりたいと願ったり、根は素直ないい子たちなのだというのも見えてくる。そうした子どもたちが貧しさゆえに馬鹿にされたり、たいていは短気ゆえの自業自得なのだが、しなくてもよい苦労を重ねたりしているのにはホロリとさせられてしまう。そして、そんな荒っぽい物語の中で、三男アーポが折に触れて兄弟たちに話して聞かせるフィンランドの深い森や岩などにまつわる伝承が、また不思議なほどの美しさをまとって輝いている……。

今から60年以上前の古い訳で読んでも、これほど生き生きと惹きつけられる物語を描いたアレクシス・キヴィなのだが、創作活動を行った時期はたった10年と短かった。『七人兄弟』は、当時、兄弟たちの言葉遣いや荒々しい気性のため酷評され、キヴィはこの作品を発表した2年後、貧困と病に苦しめられた生涯をここトゥースラの小屋で閉じた。
これまで私が訪ねてきたスヴィランタの主エーロ・ヤルネフェルト、アイノラの主ジャン・シベリウス、ハロセンニエミの主ペッカ・ハロネンは、キヴィよりも後の時代にロシアからの独立を目指してフィンランドのアイデンティティーを模索し、活躍した芸術家たちだ。そんな彼らの麗しい家々を訪れたあと、林の中に住宅が点在するのどかな道を30分ほど歩いてキヴィの小屋にたどり着いた。道の脇に広がる森の中にぽっかりと明るく日が差し込む場所があり、その日だまりの中に小さな小屋は静かに佇んでいた。

私が到着したときは、フィンランド人の若い人たちのグループが見学し終わったところで、彼らは言葉少なげに小屋から出てきた。入り口にはガイドの女性が疲れたように立っていて、私を見ると挨拶の言葉のあとに静かに言った。
「あなたは、ここがどんな場所か知ってる?」
アレクシス・キヴィが亡くなった場所ですよね、と答えると彼女は頷き、ゆっくり見ていってね、と続けた。夏の午後、強い日差しの中でずっとここにいるのはきっと大変なのだろうなと思った。けれど、彼女が神妙だったのはそれだけではなかったのかもしれない。
天井の低い、粗末といってもいいような小屋は2部屋に分かれていて、手前の部屋には素朴なかまどと壁にしつらえられた食器棚、小さなベッド、もう片方の奥まった部屋には暖炉と箪笥、こちらにも小さな木のベッドがあった。聞くところによると、この奥の部屋でキヴィは亡くなったらしい。国民文学の父の最期の場所というにはあまりにもつつましく、ここで冬を過ごす過酷さを思うと、背中がすっと冷えるような気がした。

「キヴィは、アルコール中毒と精神を患ってヘルシンキの精神病院にいたのだけど、兄のアルベルトが引き取って、最後の十カ月をここで過ごしたんです」
いつの間にか後ろに立っていたガイドさんが解説してくれる。
ヘルシンキの精神病院……、その言葉ではっと思い当たることがあった。6年前、私は今も現役で使われている、ヘルシンキで一番古い公衆サウナを取材したことがあった。そのサウナは元精神病院の敷地内にあって、現在はメンタル博物館やアートギャラリー、セカンドハンドショップなどが併設される施設になっている。元病棟は精神の病を患う人たちの作品のアートギャラリーになっていて、そこを見学していたとき、廊下の突きあたりの部屋にキヴィの小さな写真が飾ってあったのだ。そのとき、案内してくれた方は確かにこう言った。
「ここはフィンランドの偉大な作家、アレクシス・キヴィが療養していた部屋ですよ」
季節は冬だった。窓からは真っ白な雪景色が広がり、元病室だったその部屋の壁も、白く重く、冷たかった。
「フィンランドにとって、メンタルヘルスは昔も今も、大きな問題なのです」
近年では世界で最も幸福な国として知られるようになったフィンランドが、うつ病罹患率も世界でトップクラスであることは話には聞いていたが、実際に精神の病と戦っていた、また今も戦っている人たちの存在を、私はそのときはじめて実感した。

キヴィの小屋の敷地内には、小さなサウナ小屋もあった。キヴィもこのサウナを使ったでしょうか、と問いかけると、ガイドの女性はわからないというように首を振って、「キヴィは病気だったから……、でもここに住んでいたキヴィのお兄さんの家族は使ったでしょうね。このすぐそばには湖があるのよ。私たちはサウナであたたまったら、湖に入るの。とても気持ちがいいのよ」
そう言ってガイドさんははじめて微笑みを浮かべた。
彼女にお礼を言って、小屋を後にした。公道まで出て振り返ると、森に差し込む光はいっそう明るく輝いて、小屋をあたたかく包んでいるように見えた。道を歩きながら、さまざまなことを思い出した。

キヴィが入院していたヘルシンキの精神病院ラピン・ラハティは、1841年、フィンランドではじめて精神疾患のために建てられた病院だった。当初は患者を安全に隔離するために、強制的な拘束などが行われたが、1900年代初頭に作曲家であるジャン・シベリウスの弟が医師となり、より人道的な方向に精神医療を改革した。またシベリウスの姉が、患者として一時入院していたこともあった。
……6年前、私たちがそこを取材した日は2018年の3月だった。この施設に今もメンタルヘルス協会が関わっていることを教えてくれた広報の方は、私たちが日本から来たことを知ると、東日本大震災は大変でしたね、と言ったあと、こう付け加えたのだった。
「地震のあと、私たちはメンタルケアの医師のチームを日本に送りました。大きな災害のときには精神的なケアが大切だと私たちは考えたからです」

毅然とした、でもやさしい表情を今も覚えている。あのとき、私は当時の日本が世界中の人たちに支えられていたこと、フィンランドの人たちが災害で傷ついた人たちの心を考えてくれたことに、強く胸を打たれたのだった。
そして、ヘルシンキの元精神病院でシベリウスやキヴィの名前に出会った記憶が、今またここトゥースラで繋がったことに不思議な感慨を覚えた。世界で一番幸福度が高く、美しい自然に包まれて、母音が多くあたたかな響きのフィンランド語という言葉を話す国。そこに生きる人たちの光と影。
ここにはまだまだ、私の知りたいことがたくさん眠っている。(おわり)


(写真提供:内山さつき)

◇内山さつきさんのSNS
【Instagram】https://www.instagram.com/satsuki_uchiyama/
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【うちやま・さつき】
横浜市出身。月刊誌の編集執筆に携わった後、フリーランスのライター、編集者として独立。「旅・物語・北欧」をテーマに取材を続ける。2019年から全国を巡回した「ムーミン展 the art and the story」の展示監修&図録執筆を担当するほか、朝日新聞デジタルの連載「フィンランドで見つけた“幸せ”」や「地球の歩き方 webサイト」のラトビア紀行を執筆する。2014 年夏、「ムーミン」シリーズの作者トーベ・ヤンソンが夏に暮らした島、クルーヴハルに滞在したことをきっかけに、友人のイラストレーター・新谷麻佐子さんと北欧や旅をテーマに発信するクリエイティブユニットkukkameri(クッカメリ)を結成。ユニットとしての著書に『とっておきの フィンランド』『フィンランドでかなえる100の夢』(Gakken)。2023年に開設したwebサイト「kukkameri Magazine」では、フィンランドのアーティストたちを紹介している。
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