第2回 夏のきらめき、冬の静けさ――ペッカ・ハロネンの家「ハロセンニエミ」
フィンランドの首都ヘルシンキの近郊に、かつて芸術家たちが集った美しい場所がある。19世紀の終わりから20世紀の初頭、画家や音楽家、小説家たちが暮らしたトゥースラ湖のほとりは、フィンランドのアーティスト・コミュニティとして知られているエリア。フィンランドを代表する画家の一人、ペッカ・ハロネンの家、「ハロセンニエミ」も、このトゥースラの湖畔にある。本連載の
第1回で取り上げた、音楽家のジャン・シベリウスの家アイノラから南へ約4km、バスに乗って30分ほどで訪れることができる。
1865年に生まれ、1933年に68歳で亡くなったペッカ・ハロネンは、主にフィンランドの自然の風景を描いた画家。雪のさまざまな表情や色彩を豊かに描いた作品が高く評価され、「冬の画家」として知られている。「ハロセンニエミ」はフィンランド語で「ハロネンの岬」という意味で、ハロネン一家が暮らしたアトリエ兼住居は文字通り、トゥースラ湖に突き出た小さな岬に建っている。現在は彼の作品が見られる美術館になっていて、通年訪れることができる。
ハロセンニエミの特徴は、吹き抜けのアトリエに作られた、光をふんだんに取り入れられる大きな窓と、彼自身が選んだフィンランド中部の赤松を使った建材。壁紙を貼らず、木材の色と質感を活かした住まいの空間は、まるで民話の世界のように古風で懐かしい雰囲気を湛えている。
以前、冬の終わりにハロセンニエミを訪ねた。そのときは、アイノラと、画家エーロ・ヤルネフェルトの家「スヴィランタ」も合わせて、地元の観光局の方と学芸員の方々に案内してもらった。
それは暗い冬から明るい日差しが少しずつ戻ってくる3月の頃、来訪者は私たちしかいなくて、ハロセンニエミは真っ白な雪の中にひっそりと佇んでいた。大きな窓に下がる氷柱の美しさと、その向こうに広がる凍った湖の風景に魅せられた。薄曇りにのぞく晴れ間から、時折さあっと光が差すたびに、氷の湖がきらきらと輝いた。澄んだ青い空に新芽を蓄えた白樺の木々が高く枝を伸ばし、清々しい春の香りがもうすぐそこに感じられるようだった。ハロネンは、まさにこうした雪の中の松や白樺、川や湖などの水辺の風景をたくさん描いた作家だった。
室内には暖房がしっかり入っていて、吹き抜けのアトリエの中でもコートを脱いでくつろげるほど暖かかったのを覚えている。そして、建物の設計に自ら携わったハロネンが、ストーブや暖炉にも一つ一つこだわっていたことも教えてもらった。ストーブの扉には、部屋ごとに異なったモチーフがデザインされていて、ダイニングルームのストーブの扉には、母豚と7匹の子豚たちが彫刻されている。母豚のお腹のところに並んで乳を飲んでいる子豚たちを眺めていると、学芸員の方がにこやかに教えてくれた。
「ハロネンには7人の子どもたちがいたんです。だから子どもたちはこの子豚たちが、まるで自分たちのようだと思っていたんですよ。その後、もう一人子どもが生まれたので、1匹は描き足しちゃったんです」
よくよく見ると、一番左にうっすらと小さな子豚のような形の線が刻まれた跡が残っている。子どもたちはきっと、この子豚たちをとても気に入っていたのだろうと微笑ましい気持ちになった。
ハロセンニエミには家族のエピソードがたくさん残されている。ハロネンの妻マイヤは、プロになることを夢見るほどの腕前を持ったピアニストだった。彼女は結局、ピアニストになることは諦め、画家の妻、子どもたちの母であることを選ばざるを得なかったが、シベリウス一家の子どもたちに音楽を教えたり、ときにはシベリウスの妻アイノと連弾でピアノ演奏を披露したりした。また、翻訳者としても活躍し、『ピノキオ』などをフィンランド語に翻訳したという。
8人もの子どもを育てて翻訳の仕事もするなんて、エネルギーに満ちた女性だなと感心していると、学芸員の方はうなずいて、トゥースラのアーティストの妻たちについても教えてくれた。今でこそジェンダーギャップ指数の上位国として、男女平等の先進国として知られるフィンランドだけれど、20世紀初頭は、女性たちは結婚すればたいていはキャリアを諦めなくてはならなかった。ハロネンの妻マイヤ、シベリウスの妻アイノ、エーロの妻で女優だったサイミ、いずれも才能豊かな女性たちだったが、結婚や家族の生活のために夢を諦めたり、仕事を退いたりした。それでも、マイヤはコミュニティの中で音楽を教えたり、翻訳を手がけたり、アイノは木工や庭仕事に愛情を注ぎ、サイミもまた翻訳者として活躍するなど、自分らしく生きることを模索したのだ。
気がつくと、トゥースラの観光局と学芸員の方々(全員女性だった)の間で、芸術家の妻たち談義が始まっていた。
「あなたは誰が好き?」「私はサイミかなあ。結婚してからもしばらくは女優を続けたでしょ。強いよね、彼女は」「ほんとに。人気だったのはアイノよね。ユハニ・アホ(フィンランドの小説家)もアイノが好きだったし」「アイノ、素敵だものね。(ここでこちらを見てにっこりして)でも、アイノはシベリウスを選んだのよ」
まるで自分たちの同級生だったかのように、彼女たちのことを嬉しそうにおしゃべりする現代のフィンランドの女性たちは、生き生きと屈託なく自分たちの仕事を楽しんでいるようで、私はまたいっそうこの国が好きになった。そしてトゥースラ湖のほとりで約100年前に暮らした、個性豊かな女性たちの面影にもっと近づいてみたいと思った。
今年6月、夏の光の中のアトリエも見てみたくて、再びハロセンニエミを訪れた。冬の間とはうって変わって、画家の美しい家をひと目見ようと人々が絶えず訪れていた。それでも混み合ったりはしない程度で、アトリエの大きな窓から見える緑の向こうに広がり、さざ波を立てている湖をゆっくり眺めることができて心地よかった。ハロネンは、冬の風景だけでなく、夏や春のフィンランドの自然も美しい色彩で描いている。自分の子どもたちをモデルにして、彼らが水辺で遊ぶ姿を描いた作品も飾られていた。ガイドを務めていた女性が今回も話しかけてくれる。
「ペッカ・ハロネンは、冬の風景を描いた絵で知られていますけど、彼が好きだった季節は実は春なんですよ。春は、すべての生きものが息を吹き返す季節。私は春の芽吹きを描いた絵が大好きなの。命のエネルギーを感じます」
彼女がお気に入りだという絵には、冬を描いた絵には見られなかった、明るく鮮やかな色彩と植物にみなぎる生命力のようなものが感じられて、「冬の画家」のまた新しい一面に触れられたような気がした。(つづく)
(写真提供:内山さつき)
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