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美しいくらし
フィンランドのアーティストが暮らした家 ライター
内山さつき
第3回 物語の中の家――エーロ・ヤルネフェルトの家「スヴィランタ」
いつか訪れてみたい憧れの場所、一度でいいから見てみたいと思う風景は、世界中あちこちにあるけれど、気がつくと私はいつもフィンランドを旅している。フィンランドで出会った忘れられない風景にまた会いたくなって、もう一度、もう一度と足を運んでいる。
首都ヘルシンキの近郊にある、トゥースラという美しい湖のほとりもそんな場所のひとつだ。トゥースラは、19世紀の終わりから20世紀の初頭に芸術家たちが集ったエリアで、アーティスト・コミュニティとして知られている。音楽家のジャン・シベリウス、画家のエーロ・ヤルネフェルト、ペッカ・ハロネン、小説家のユハニ・アホらがここに居を構えた。

エーロ・ヤルネフェルトの家「スヴィランタ」は、シベリウスの家「アイノラ」(本連載第1回を参照)から歩いて10分ほどのところにある。エーロ・ヤルネフェルトは1863年に生まれ、1937年に亡くなった、フィンランドを代表する画家の一人だ。彼はフィンランドの自然、特に夏の湖畔や暮らしの風景、フィンランドの国民的風景と言われるコリ(国立公園)の雄大な景色を描いた。焼畑農業の過酷な労働を描いた作品「賃金奴隷」も、彼の代表作の一つだ。
ヤルネフェルト家は名だたる芸術一家だった。兄弟はみな音楽家や文筆家で、妹のアイノはシベリウスの妻となった。エーロの妻サイミも舞台女優で、子どもたちも画家や研究の道に進んでいる。エーロとアイノは仲の良い兄妹だったようだ。サイミとアイノも友情を結んで、彼らはハロネン家も含み、家族ぐるみで交流していた。

アイノラからスヴィランタに歩いて行くのには、アイノラの庭の側から草地を抜ける、「アイノラの道」を通っていく。この道はいつも気持ちがいい。アイノラを囲む林の中から視界が開け、目の前いっぱいに空が広がる。遠くにぽつぽつと家々が見え、すぐそばには野の花が風に揺れている。この道を、かつてアイノや子どもたちも歩いていったんだな、と思う。天気のいい夏の日には子どもたちはきっと、ご機嫌で走ってスヴィランタに遊びに行ったのに違いない。

1901年に建てられた「スヴィランタ」は、「夏の岸辺」を意味し、赤い屋根に黄色と緑の壁が美しい家だ。初めてスヴィランタを訪れた6年前の冬は一般公開されておらず、エーロの孫にあたる方が住んでいた。次の夏からガイドツアーができるよう準備を整えていたところで、ちょうどフィンランドの旅の本を作っていた私たちを案内してくれたのだった。当時85歳だったお孫さんは快活で素敵な方で、私たちを快く迎え入れてくださった。撮影なしの取材だったこともあるのか、この時のスヴィランタの記憶は、なんだか夢の中のできごとだったかのように感じられる。

黄色い壁に緑の窓枠が愛らしいスヴィランタは、雪に埋もれるように建っていた。厚い木の扉を開け、アトリエに入ると、天井近くまである窓からは、真っ白な庭に雪を被って立つ、大きな樫の木が見えた。窓辺には観葉植物が置かれ、壁にはいたるところに絵画がかけられている。イーゼルやパレット、エーロがパステルを入れていた空き箱(シベリウスのシガレットケースをもらったのだという)も部屋の一角にあり、画家がまだここで仕事をしているかのようだった。ロフトの天井から下がるシャンデリアに加え、そこここにランタンやテーブルランプなどが置かれ、明かりは灯っていなかったものの、あたたかな雰囲気が感じられた。


そのまま美術館にあってもおかしくないような作品で部屋中がいっぱいだったが、そこに人の暮らしの気配があることが、何よりもおとぎ話めいた雰囲気を醸し出していた。100年前のものたちと、現代のもの――おそらく部屋の主が楽しんでいるのだろうクラシックのCDやビデオテープなどの懐かしいものたち――が一緒になって、心地よい、不思議な空間を作り上げていたのだ。以前訪れたアイノラもハロセンニエミ(本連載第2回を参照)も素敵な場所だけれど、今は美術館であり博物館であり、生活の空気はどうしても失われてしまう。スヴィランタには、かつてここに流れた時間と、受け継がれてきた記憶の温もりと手触りが残っていた。
大きな窓から入る、白く淡い光の中で、ヤルネフェルト一家のエピソードを聞かせてもらった。

かつてこのアトリエでは、子どもたちが集ってダンスレッスンの成果を披露したり、クリスマスのお祝いが行われたりしたのだという。ダンスイベントでは、ヤルネフェルト家、シベリウス家、ハロネン家の子どもたちが、おそろいの水兵服やドレスに身を包み、アトリエのロフトから順番に階段を降りてきて、ピアノ伴奏に合わせて踊ったのだそうだ。また、クリスマスの時期には、アトリエの真ん中に大きなツリーが置かれ、夕べになるとろうそくが灯された。
アトリエやダイニングルームで、たくさんの古い美しいものに囲まれながら話を聞いているうちに、どこまでが現実でどこまでが昔語りなのか、わからなくなるような不思議な感覚に襲われた。子どもたちの楽しげな笑い声や、ダンスのステップを踏む足音が聞こえたような気がした。ろうそくの炎がゆらめき、アトリエに浮かび上がるクリスマスツリーの飾りが鈍く輝いたのが見えたように思った。まるで家そのものが、物語を語っているかのようだった。


2024年の夏、コロナ禍を挟んで、かつて準備されていたガイドツアーが行われていると知って、もう一度あの空間に会いたくてたまらなくなった。スヴィランタは今も私邸として使われているというが、夏の間だけ行われるガイドツアーに参加すれば、内部を見学することができる。取材依頼をすると、今回は特別に写真の撮影が許可された。フィンランドの国立美術館アテネウムでエーロ・ヤルネフェルトの展覧会が開催中ということもあってか、たくさんの人が参加していた。ガイドさんに解説を聞きながらひと部屋ずつまわり、参加者から質問も次々と飛び出すような、なごやかで活気あるよいツアーだった。スヴィランタはかつて訪れたときとほぼ変わらない姿で迎えてくれた。
ツアー終了後、15分だけ自由に撮影する時間がもらえて、再び今度は一人でアトリエに足を踏み入れた。あのときの魔法のようなものが、また感じられるのではないかと期待しながら。再び誰もいなくなったアトリエは、しんと静まり返り、つかの間の眠りについているように見えた。私はあのとき、そして今日のツアーの中でも再び聞いた、スヴィランタの麗しいエピソードを思い出しながら、耳を澄ました。しかし、そこにはかすかな気配のようなものはあったけれど、あのときのように雄弁に空間が語りだすことはついになかった。
どこを切り取っても美しい空間をカメラに収めながら、考えてみれば当然のことだな、と思った。あのときが、特別だったのだ。あのとき、私たちはここでずっと暮らしてきた人の、親密で特別な記憶の風景の中に、きっと時を超えて招き入れてもらったのだ。

それでもスヴィランタの魔法は今も色褪せることなく、私の記憶の中にある。夏に再び訪れたことで、その記憶は補強され、より鮮やかなものになったように思う。トゥースラのアート・コミュニティのさまざまな資料をゆっくりと紐解きながら、どうしたら、もう一度あの風景に出会えるだろうかと考えている。そしてきっと私は、いつかまたこの地を訪れるのではないかと思っている。(つづく)


(写真提供:内山さつき)

◇内山さつきさんのSNS
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【うちやま・さつき】
横浜市出身。月刊誌の編集執筆に携わった後、フリーランスのライター、編集者として独立。「旅・物語・北欧」をテーマに取材を続ける。2019年から全国を巡回した「ムーミン展 the art and the story」の展示監修&図録執筆を担当するほか、朝日新聞デジタルの連載「フィンランドで見つけた“幸せ”」や「地球の歩き方 webサイト」のラトビア紀行を執筆する。2014 年夏、「ムーミン」シリーズの作者トーベ・ヤンソンが夏に暮らした島、クルーヴハルに滞在したことをきっかけに、友人のイラストレーター・新谷麻佐子さんと北欧や旅をテーマに発信するクリエイティブユニットkukkameri(クッカメリ)を結成。ユニットとしての著書に『とっておきの フィンランド』『フィンランドでかなえる100の夢』(Gakken)。2023年に開設したwebサイト「kukkameri Magazine」では、フィンランドのアーティストたちを紹介している。
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