第1回 アイノラの光――シベリウスの家「アイノラ」
国連が毎年発表する世界幸福度ランキングで、2024年まで8年連続首位を獲得している北欧・フィンランド。この国に魅せられ、長年にわたり現地取材を重ねてきたライターの内山さつきさんが、フィンランドの豊かな自然に寄り添って暮らした芸術家たちの家を訪れ、森や湖に囲まれた静謐な佇まいや創作の足跡をたどりました。創造の源泉を、内山さんの繊細な視点で探る新連載です。フィンランドの自然やアートに惹かれ、2014年から毎年のようにフィンランドを訪れている。フィンランドのアートは、北国の厳しくも美しい自然の影響を受けていると言われていて、絵画やデザインなどでは、野に咲く花や、雪や氷、湖や夏小屋での暮らしなどがモチーフとして取り入れられることが多く、音楽や文学の分野でも、身近な自然と芸術表現が深く結びついているように感じる。それが、私がこの国に惹きつけられる理由の一つなのかもしれない。
そんなフィンランドのアーティストたちが集った場所として、数年前から関心を持っている地域がある。首都ヘルシンキから電車で40分くらいのところにあるトゥースラ湖のほとりは、音楽家のジャン・シベリウスをはじめとして、画家や小説家などの芸術家たちが自然を求めて移り住み、アーティスト・コミュニティとして知られているエリア。シベリウス、画家のペッカ・ハロネン、エーロ・ヤルネフェルト、小説家のユハニ・アホの家などが現在も保存、公開されている。
作曲家のシベリウスはフィンランドを代表する音楽家で、1865年に生まれ、1957年に亡くなった。フィンランドが支配下にあったロシアから独立する際、人々を勇気づけた交響詩「フィンランディア」は、誰もが一度は耳にしたことがあるだろうというほど、世界中で愛されている。はじめはフルートで奏でられる、澄んだ美しいメロディは、フィンランドの静かな水辺や深い森を思い起こさせてくれる。
「フィンランディア」にとどまらず、シベリウスの音の中には、森のざわめきや雪解けを待つ大地の響き、ほの暗い湖の上を漂う霧など、フィンランドの自然の息遣いが満ちている。はじめて夏のフィンランドを訪れ、湖のほとりで光をいっぱいに浴びながら風に揺れる白樺の葉ずれを聞いたとき、なぜだかたまらなく懐かしかった。そして、そうだ、これはいつかシベリウスの音楽の中で聴いたことがあった音なんだ、と気付いたときには涙が出そうになるほど胸を打たれた。そしてその音の秘密に、いつか触れてみたいと思った。
シベリウスが1904年から亡くなるまでを過ごした家は、妻アイノの名前から「アイノラ」と呼ばれている。シベリウスとアイノは、ここで5人の娘たちを育て、約半世紀を暮らした。最寄り駅の名前も、「アイノラ」。アイノラはホームがあるだけの小さな駅で、周りには何もない。本当にこっちでいいのかな……と、少し不安になりながら標識の指す方に道を歩いていくと、背の高い白樺の木々がそよぎ、目の前に草地が広がって、ヘルシンキの中心部とは違う空の広さを感じる。湖を渡ってくる風の音に、シベリウスの交響曲の響きがふと感じられるような気がする。
シベリウスが暮らしたアイノラには、これまで冬、晩夏、夏と3回訪ねた。訪れる度に、それまで知らなかったことや、気づかなかったことに触れられる。特に興味深かったのは、シベリウスが共感覚という、音や音楽に対して色を感じる感覚を持っていたこと。アイノラのリビングには美しい緑の暖炉がある。緑はシベリウスにとってへ長調の響きで、自分の好きな色彩を住まいの中心に置きたかったのだそうだ。食堂の上に飾られている黄色がかった色彩の絵画もシベリウスのお気に入りで、ニ長調を奏でているように感じられたという。
シベリウスと同じだと言うつもりは全くないけれど、私自身も音楽や言葉に色彩を感じることがある。ヴァイオリンのソロは金の絹糸のように見えるし、チェロの音色は、年月を経た樹の幹のような深い色。もしかしたらこの「共感覚」に、私が感じるフィンランドの自然とシベリウスの音楽との関係の秘密があるのかも?
白い壁に緑の窓の素朴な美しさのあるたたずまいをしているアイノラ。庭仕事が得意で、この住まいを心地よく保った妻アイノの優しい面差し、娘たちとのつかの間の楽しいひとときなど、アイノラにはたくさんの素敵なエピソードがあるけれど、私がずっと気になっているのは、「ヤルヴェンパーの沈黙」と呼ばれる期間のことだ。シベリウスは1920年代後半ごろから亡くなるまで、大規模な作品を発表することはなく、長い空白の時代に入った。それはアイノラのある場所から、「ヤルヴェンパーの沈黙」と呼ばれている。しかしシベリウスはその間も、作曲には取り組んでいた。実際、交響曲第8番はかなりの部分書き上げられていたようだけれど、1940年代、シベリウスはこの交響曲を含むと思われる多くの譜面を焼き捨ててしまった。国際的に高く評価された大作曲家の、長い沈黙。その内側には、自身の芸術を追求する、どんなにか苦しく、長い旅路があったのだろうと思わずにはいられない。
アイノラにはじめて取材のため訪れたとき、学芸員の方の好意で普段は公開していない二階の部分にも特別に案内していただいた。二階はシベリウス亡き後、アイノが寝室として過ごした場所で、彼女が使っていたベッドや鏡台、手鏡なども時が止まったかのようにそのままだった。
「ここから、庭のサウナ小屋が見えるのよ。サウナはアイノが設計したの」
学芸員さんが微笑みながら指さした二階の窓からは、雪に埋もれかけたサウナ小屋と、木々の向こうに真っ白に凍った湖が見えた。
――その4年後、アイノラについての本を読んでいて、あるエピソードに出会った。1940年に仕事部屋を階下に移すまで、シベリウスは二階で作曲していたのだが、その窓には夜更けまで明かりが灯っていたという。そしてそれはこの地で冬の遅い時間に家路を急ぐ人にとって、夜道を導く灯台の光のようだった、というのだ。
ああ、あの二階の窓だ、と4年前の記憶が甦った。この逸話は「ヤルヴェンパーの沈黙」以前のことのようだったけれど、長年シベリウスがそこで仕事をしていたことを考えると、アイノラの光はその後も、この地の暗く深い冬の夜を照らし続けたのではないだろうか。そしてその光の元で、偉大な作曲家は世界的名声を得てなお、自分の追い求める完全な音楽を探し続けていたのではないだろうか。そう思えてならなかった。
それからアイノラのことを思い出すとき、二階の窓の光にも思いを馳せるようになった。実際には見ていないけれど、私の心の中に灯った光。もしも道に迷い、暗い冬の湖畔を歩いているように感じられたら、その光のことを想おう。行く先はわからないけれど、その光はきっと灯台のように私を導き、闇の中を歩いていく勇気をくれるのではないか――そんなふうに思っている。(つづく)
(写真提供:内山さつき)
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