江戸時代の動物画は、未知の生き物から身近な動物まで画題が豊富。中でもトラは、日本に野生のトラが生息していなかったにもかかわらず、とことんこだわって描いた絵師も多いとか。今年(2022年)は寅年、虎画に隠された秘密をひも解きます。――江戸時代の絵の中でも、トラの絵はかなり多いように思います。その理由はなんだったのでしょう。 白虎は四神の一つですし、仏教ではトラは毘沙門天の使いとされます。十二支の中でもトラの絵は龍と並んでダントツに多く残されています。力の象徴であり、城の障壁画などに多く採用されていますし、龍と対で描かれることも多いですね。それ以外にも勇猛なトラにちなんで、男の子が生まれたときに「強くたくましく成長するように」という願いを込めて描かれる、といったこともあったのではないでしょうか。
――トラは当時、日本では目にすることができなかった動物ですが、何を参考にしたのでしょうか? 中国画を模写したり、ネコをモデルにしたりしていたようですね。トラの描写に非常にこだわったのが岸駒(がんく)という画家です。江戸後期あたりから絵師たちはリアルな動物画を追求するようになり、それぞれの描写が名人芸に達したものは「一科の芸」と称されるようになりました。一種の専売特許のようなものですね。伊藤若冲の鶏、円山応挙の子犬、第2回でご紹介した森狙仙の猿などが有名ですが、「虎図は岸駒」といわれるほどトラの描写に関しては彼の右に出る者はいませんでした。
岸駒はより本物に迫ろうと、1798年に中国の商人からトラの頭の骨を入手します。その頭骨に、知人が持っていたトラの皮をかぶせてスケッチするのです。そうすると、まるで生きているような絵になるんですね。岸駒はその後、トラの四脚も手に入れるのですが、指や爪の本数はもちろん、骨格の構造や寸法、関節の動きまで観察し記録に残しています。
絵を見る人がそこまでこだわって鑑賞したのかどうかはわかりませんが、体の一部分とはいえトラの姿形を知ってしまった岸駒としては、こだわらざるを得なかったのでしょうね。それが画家の画家たるゆえんなのだと思います。
――そこまでの研究心を持つとは生物学者のようです。 まさに科学者の視点ですよね。当時は解剖学も発展期を迎えた時代です。写実画の確立者とされる円山応挙らは、人体描写に際して骨の構造を把握することの重要性を提唱していました。こうしたことも岸駒のリアルなトラが生まれた背景にあると考えられます。
ただ、そんな岸駒でも残念ながら一カ所だけ本物に届かなかった部分があります。それは目です。同時代の虎画のほとんどにいえることですが、目の瞳孔が針のように細く描かれているのです。瞳孔が細くなったり太くなったりするのはネコの習性で、トラの瞳孔は基本的に変わりません。瞳孔が細いトラの絵はネコをモデルにしているからなのです。
本物を突き詰めた岸駒であっても目だけはネコから脱却することができなかった。まさに「画竜点睛を欠く」という言葉通りになってしまったのでご愛嬌なのですが(笑)。これが時代の限界だったともいえるでしょう。
――目にそんな秘密があったとは驚きました。今度からトラの絵を鑑賞するときは、目の瞳孔をじっくり見てみます。 トラの絵は目以外に注目してほしいポイントがもう一つあります。それは何かというと、毛です。体毛を忠実に描写する「毛描き」という技法なのですが、これも動物画を得意とする画家にとって腕の見せ所なのです。場合によってはつむじまで描かれていることもあり、応挙の作品などによく見られます。どこを起点に毛が生えているのかも探して見てみると、さらに楽しめると思います。
――トラの絵は目とつむじですね。これからは身を乗り出して観察します(笑)。 そうですね。でも、展覧会などでは絵がガラスケースに入っていることが多いですし、絵まで距離もあるのでなかなか肉眼では見えない場合があります。そんなときのためにも単眼鏡を持って鑑賞することをおすすめします。
動物画に限らず、日本画は繊細な部分にこだわった描写をすることがよくあります。例えば源氏物語の一場面を描いた絵などで、室内の片隅にある文箱に模様までしっかり描き込まれていたり、筆が一本一本描かれていたり。細かいところまで見て初めてわかる面白さもあるのです。単眼鏡があると楽しさが何倍にもなると思いますよ。(つづく)
骨や皮を使ってまでリアルを求めた江戸の画家。表現へのこだわりを知ると、迫力あるトラの絵がいっそう生き生きと見えてくる気がします。博物館や美術館では単眼鏡を相棒に、そのこだわりを絵の細部までじっくり観察してみましょう。でも、暗い空間で見続けると目が疲れるそうなので、休憩をお忘れなく。次回はリアルから一転、空想の世界へ。江戸の人のみならず、現代人もとりこにする不思議な生き物の謎を追います。 (構成:寺崎靖子)