× close

お問い合せ

かもめの本棚に関するお問い合せは、下記メールアドレスで受けつけております。
kamome@tokaiedu.co.jp

かもめの本棚 online
トップページ かもめの本棚とは コンテンツ一覧 イベント・キャンペーン 新刊・既刊案内 お問い合せ
かもめアカデミー
絵画でめぐる江戸のアニマルライフ 宮城学院女子大学特任教授
内山淳一
第2回 動物ブーム襲来!
 未知の動物に目を輝かせた江戸の人たち。一方、その日常にはかねて親しんできた動物の姿もありました。この時代、動物と人はどのように関わり、そこからどんな動物画が生まれたのでしょうか。

――江戸時代に海外からさまざまな動物がやってきたそうですが、なぜ日本にそうした動物がもたらされるようになったのでしょうか。

『駱駝之世界 2巻』
出典:国立国会図書館ウェブサイト

 それは商売になるからです。将軍へ献上したり、西洋の珍しい品々を収集する大名たちのコレクションになったりと舶来動物は需要があったのです。
 このころ、博物学的な趣味を先導したのは多くの大名たちでした。有名なのが薩摩藩八代藩主の島津重豪。現在の東京都港区高輪にあった薩摩藩下屋敷に動物園のようなものを作り、オランダから購入した動物たちを飼育していたという記録が残っています。飼育するだけでなく、シーボルトから剥製の作り方を直接教わったという話まで残っていますから、もはや趣味の域を超えていますよね。
 重豪が所有していた動物をまとめた『外国産動物図巻』には、イグアナや玳瑁(たいまい ※ウミガメの一種)、サイチョウやフウチョウの頭部、サイのひづめや尾など、熱帯地方に生息する動物や爬虫類も描かれています。こうした大名は他にも多くいて、異国のものへの関心がいかに強かったか、ということが感じられます。

――こうした舶来動物が位の高い大名の娯楽にとどまらず、見世物などの興行を通じて庶民生活にも浸透してきたのが江戸時代なのですね。
 
 当時、動物の見世物は大変な話題を集めました。特にゾウとラクダは一大ブームになったようです。『絵本駱駝具誌』には、見物に詰めかける民衆の様子はもちろん、ラクダのおもちゃやラクダ形の櫛を土産にする姿などが描かれています。ほかにもラクダを描いた扇子、煙草入れ、双六、凧といったさまざまなラクダグッズが売り出されていたそうで、当時のラクダ人気をうかがい知ることができます。

――現代のキャラクターグッズ顔負けですね。こうした珍獣や大型動物が一大ブームを巻き起こす一方で、日常的に親しまれていた動物もいたはず。江戸のペット事情はどうだったのでしょうか?


歌川国芳がネコを抱えて絵を描いている様子
『暁斎画談. 外篇 巻之上』
出典:国立国会図書館ウェブサイト

 タカやウマは権力者のステータスとして欠かせない動物でした。ほかにペットとされたのはハツカネズミやウサギ、変わり種として三代将軍家光がイタチを飼っていたという話もあります。
 とはいえ、特に人気があったのはやはりイヌとネコ。江戸初期の武人で、茶人としても知られた佐久間将監は愛猫家だったようで、肖像画の多くにネコが登場します。幕末に活躍した浮世絵師の歌川国芳も懐にネコを何匹も入れて仕事をするほどのネコ好きで、弟子の河鍋暁斎がその情景を描いた絵が残っています。
 

「百犬図(部分)」(伊藤若冲)
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/

 肥前平戸藩主の松浦静山は文化大名といった人物で、随筆集『甲子夜話』を残しているのですが、そこにはイヌにまつわるエピソードが記されています。あるとき江戸藩邸の床下で子犬が産まれました。先代の藩主はそのイヌを外出時にも一緒に連れて行くほどかわいがったそうです。その藩主は1771年に亡くなるのですが、菩提寺に葬った際にもそのイヌが同行し、その後も毎日墓に詣でて番をしていたとか。まるで江戸の忠犬ハチ公物語ですよね。
 ただ動物画の話になると、愛犬を描くという作例はまれで、大半は安産や多産を願う意味での吉祥画になります。

――かわいいから絵にするというより、祈願や縁起物といった意味が込められていたのですね。

「猿図」(森狙仙) 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/

 縁起がよいといえば、江戸時代には中国由来の語呂合わせによる動物画も流行したんですよ。
 例えば猿。中国では特にテナガザルのことを「猿猴(えんこう)」といったのですが、その「こう」に、蜂の音読みの「ほう」を合わせて「封侯(ほうこう)」とする語呂合わせがあります。“地位を与えられる”という意味で、出世を祈願する画題として中国に根づいていたものです。これが日本にも入ってきて、猿と蜂が一緒に描かれるようになりました。
 鹿と蝙蝠(コウモリ)を描いた絵は、幸福を表す「福禄(ふくろく)」の意味。鹿は音読みで「ろく」、蝙蝠は漢字のつくりが似ていることから「ふく」という発想です。コウモリは西洋の吸血鬼のイメージからか今でこそ薄気味悪い印象を持たれがちですが、少なくとも江戸時代以前はそうではなかったようです。
 また、伏せた猪の絵は「臥猪(ふすい)」といって、領民をいたわり安定させる「撫綏(ぶすい)」に通じて天下泰平を意味します。「ふすい」というのは日本の読み方なので、おそらく日本由来の語呂合わせなのではないかと思います。

――そうした背景を知ると、絵の読みがどんどん深くなっていきますね。お話をうかがっていると、未知の生き物を飼育したり観賞したり、異国の文化が流行したり、江戸の人々には新しいものを面白がるエネルギーを感じます。

 鎖国という状況下ではありながら、日本には長崎を通じてさまざまな西洋の情報が入ってきていました。また、江戸時代は民衆の生活が豊かになり、余裕を持って文化を形づくれるようになった時代です。そうした中で、これまで知らなかった新しい情報に刺激を受け、「世界中のあらゆる万物を調べ尽くそう」という流行現象が生まれていきます。ものを実際に観察・記録し、その本質を見極めようとする「実証主義」の精神が普及していくのです。
 
 8代将軍吉宗が洋書の輸入を解禁したことも拍車をかけました。さらに都合がいいことに、江戸中期~後期というのは日本の出版文化の最盛期なんですね。情報をいち早く伝えられるメディアが確立していった時期でもあるのです。舶来動物も、見世物として庶民の目に触れ、出版物を通して多彩なイメージとともに全国に広がっていきました。

 現代に比べれば情報量は圧倒的に少ないのですが、人々の好奇心はより旺盛だった。だからこそ、より広く深い知識欲が湧き起こり、それらをもとにさまざまなものを創造していった。そうした時代の流れの中に、動物画の流行があるわけです。実証主義は画家たちにも影響を与え、「よりリアルに描こう」と写実性を追求していくことになります。(つづく)

 動物画には人々の好奇心や願い、ペット愛と、江戸のさまざまな表情が映し出されていました。絵の中にその痕跡を探すのも、動物画を見る楽しみの一つになりそうです。次回は2022年の干支「虎」の絵に見る、江戸の画家たちの“リアル”に迫ります。(つづく)

(構成:寺崎靖子)
ページの先頭へもどる
【うちやま・じゅんいち】
群馬県生まれ。東北大学大学院文学研究科修士課程修了。仙台市博物館学芸員から館長を経て、現在宮城学院女子大学特任教授。江戸時代を中心とした日本の近世絵画史、特に西洋からの影響を受けて展開した洋風画を専門とする。著書に『江戸の好奇心-美術と科学の出会い』(講談社)、『大江戸カルチャーブックス/動物奇想天外-江戸の動物百態-』(青幻舎)、『めでたしめずらし瑞獣珍獣』(パイインターナショナル)。
新刊案内