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かもめアカデミー
場所や土地を新たな視点から問い直す 宗教人類学者
植島啓司
第2回 海の民、倭人の龍神信仰
 「霊長類は、東南アジアで進化して西アジアやアフリカに広がったのではないか」という刺激的な仮説から始まった植島先生の講演。第2回は、海の民「倭人」によってもたらされた龍神信仰のお話です。

 ぼくはラオスが好きで、よくラオスに行きます。ラオスは東南アジアの最貧国ですが、物乞いがいないのでみなさんびっくりしますね。物乞いとか客引きとかお店への呼び込みとか、ほとんどないんです。みんなさらーっとした顔をしている(笑)。お店の前を通っても声をかけるわけでもなく、空港から降りても子どもたちが何かをねだるということもなく、非常に清潔感溢れているわけです。なぜなんだろうと思っていました。
 

 この間ブータンに行っても同じ印象を受けました。スリランカとかブータンとかミャンマーとかラオスとかこれらの国に共通していることが一つだけあって。それらの国はいわゆる小乗仏教の国なんですね。宗教学では上座部仏教と言いますけれど。ブータンも世界で1、2位を争う貧しさですけれど、ここでも物乞いをする人とか道端で寝ている人とかほとんどいません。なぜそうなっているのかというと、社会全体のありかたとして僧院システムがそれらを吸収しているからです。それからブータンでは動物を殺すことが禁止されています。釣りも禁止です。釣りが好きな人は困りますが、魚はいっぱい見ることができます。安心して泳いでいる。もちろん動物を苛めることも禁止されています。 

 さっきも会場に来るまでの車の中で話していたのですが、そのへんにいる犬と目が合うと、どの犬もニコって笑うんですよ(笑)。猫たちも寄ってきますね。「ショッ」って言うと、「来い」という意味ですけれども、動物が寄ってくる。そういう姿を見ていると、ぼくの専門でもありますが、改めて宗教の役割、宗教の重要性というものを感じさせられるわけです。

 さて、日本の場合、かつて倭(わ)と呼ばれていたころから、海の民として広く知られていました。日本へ移動してきた人々は黒潮に乗ってやってきたわけですけれども、かつては江南(中国・揚子江以南の地域)や朝鮮半島なども含めて倭人は分布していました。日本の信仰もそうやって海を移動してやって来た人々によって作られました。例えば、熊野(和歌山県)の人々は黒潮にのって熊野灘にやってきた人々です。神武天皇もそうです。神武天皇は海神(わだつみの神)の娘、お母さんは海神の娘、玉依姫(たまよりひめ)だし、おばあちゃんも海神の娘です。神武天皇には海の匂いが濃厚につきまとっているわけです。これは民俗学者の折口信夫が指摘していて、「古事記や日本書紀にはやたら海の匂いが感じられる」とも書いています。

 そもそも神武天皇自体が海の神の子孫であることはもっと強調すべきことかもしれません。ここで話すにはあまり適切な話ではないですが。第15代応神天皇まではその匂いがします。しかし応神天皇の後、その後の仁徳天皇からはその匂いがなくなる。それがいったいなぜなのかとても興味があります。

 例えば、室町時代の『塵添あい嚢鈔(じんてんあいのうしょう)』は百科事典のような書物ですが、それを読むと「尾籠」(びろう)という言葉の語源が書かれている。お年寄りの方は知っていると思いますが、「び」はしっぽ、「ろう」は竹かんむりに龍と書きます。例えば、お腹を壊してしまった話をするときに、「尾籠な話で申し訳ありませんが」というように使います。ちょっと下品な話、まずいことを話すときに尾籠と言うのですけども。この書物によると尾籠という言葉の語源は応神天皇のエピソードにあると書いてある。

 応神天皇が宮殿の方へと部屋を出て行こうとするときに、お使いの女性、内侍(ないし)と言いますが、ちょっと早く障子を閉めてしまって尻尾が挟まった、という話なんですけれども、その時、応神天皇が「尾籠なり」と言ってその女性を怒るわけです。「尻尾がはさまっちゃったじゃないか、無礼者」という意味です。この話は室町時代では誰もが知っていた話でした。この「尾籠なり」という語は一語でそのすべてを表わしているわけですが、こちらとしては、それよりも応神天皇には尻尾があったということにびっくりするわけです。神武天皇から応神天皇までは龍の鱗(うろこ)があったり、尻尾があったり、角があったりとそういう風に表記されている文献も残されています。有名な『旧事本紀大成経(くじほんきだいせいきょう)』という大事件を起こした書物です。

 かつては日本の古典の中でも『古事記』『日本書紀』『旧事本紀』とで三大古典と言われていました。『古事記』『日本書紀』はいまだに同じ扱いですが、『旧事本紀』はもうほとんど禁書、偽書扱いで、まともに取り扱われることは少なくなりました。ましてや『旧事本紀大成経』となるとトンデモ本扱いになっています。

海から来る神々を迎える出雲大社の祭り「神迎神事」。神々を先導するのは龍蛇神。写真提供:出雲大社
 そこに書かれてあるのは、初代の神武天皇から15代の応神天皇まで、それぞれ身体に鱗があったり、尻尾があったり、角があったりというように、まるで爬虫類とか両生類とか海に住んでいる生物の姿です。今回のテーマにそって言いますと、彼らは龍の子孫という性格を持って生まれてきているということです。もともと熊野にやって来た神武天皇が海の神様の子孫であることは先ほど述べたとおりですし、出雲大社(島根県出雲市)にも非常に古くからある大事なお祭りに龍蛇神の祭り、つまり、龍の姿をした神(セグロウミヘビ)が海からやって来るという祭りがあります。

 いま、僕はずっと伊勢神宮(三重県伊勢市)に関係するの仕事をしているのですが、もともとの伊勢神宮を作った人たちのも海からやって来た人たちで、海部とか磯部とか言われている人たちです。彼らも黒潮にのって的矢湾から上陸し、現在の磯部の地から北上して宮川、五十鈴川の河口近くに住みついていったとされています。的矢湾から奥に入ったところに伊雑宮(いざわのみや)という、伊勢神宮に次ぐ、第二、第三の別宮と言われているところがありますが、この伊雑宮を通って北上して、五十鈴川、そして宮川を遡っていったわけです。そして、的矢湾から入ったところの伊雑宮で先ほどの文献、『旧事本紀大成経』が見つかったのです。江戸時代になって、それによって伊雑宮こそが本当の伊勢神宮であるという訴えが起り、世の中がひっくり返るぐらいの大きな事件である「旧事本紀大成経事件」というのが起こりました。

ブータンの国旗
 いずれにしても、神武天皇以降、この列島を支配してきた家系の中に龍神の色彩が強いということですが、これは日本だけでなくて、龍神信仰は世界中で、特にアジアでは本当に広く見られる信仰形態です。そういえば、ブータンの国旗にも龍が描かれていますね。ぼくらは仏教とかイスラム教とかそういうふうに大きな宗教でその国を見るけれども、本当にその国を支えている信仰形態は掘り下げていくと、そのような龍神であるとか、穀神であるとか、精霊信仰に戻っていくわけです。

 ※次回は、龍神が住むといわれる「龍穴」についてのお話です。

※この記事は、2014年6月7日に栃木県・那須の二期倶楽部「観季館」で開催された「山のシューレ」(主催:NPO法人アート・ビオトープ)の基調講演の内容を掲載したものです。「山のシューレ」は自然に耳を傾け、人々が創り上げてきたさまざまな物事について学び、領域を超えて語り合い思想を深め合う“山の学校”で、毎年夏に開催されています。
◇山のシューレ http://www.schuleimberg.com/
◇NPO法人アート・ビオトープ http://www.artbiotop.jp/


【かもめ編集部から】

 「山のシューレ」主催者代表の北山ひとみさんの著書『人分けの小道』(ライフデザインブックス)が発売されました。株式会社二期リゾート代表取締役社長で二期倶楽部支配人でもある北山さんが、リゾートホテルの新しい意味とかたちを求めた30余年の日々をつづった一冊です。
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【うえしま・けいじ】
1947年東京都生まれ。宗教人類学者。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了後、シカゴ大学大学院に留学し、ミルチャ・エリアーデらのもとで研究する。関西大学教授、NYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ客員教授、人間総合科学大学教授を歴任。1970年代から現在まで、世界各地で宗教人類学調査を続けている。『聖地の想像力』『「頭がよい」って何だろう』 『偶然のチカラ』『賭ける魂』『処女神―少女が神になるとき』ほか著書多数。
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