最終回 吉原の粋な文化を今に伝える伝統の味【前編】
新刊『東京おいしい老舗散歩』が全国の書店で発売になりました。著者で江戸文化研究家の安原眞琴さんは、この本の中で、下町の歴史や年中行事、グルメが楽しめる散歩コースを1月から12月まで月替わりで紹介しています。特にグルメについては、安原さんが「おいしい味とゆったりした時間を味わえる東京の老舗」12店をセレクト。下町情緒を今に伝える名店を集めています。
そこで今回は、そんな老舗の魅力を肌で感じてみようと、新刊に登場する3店に取材。それぞれの店主に、「受け継いだ伝統の味」と「好きな町の風景」をテーマに話を聞きました。前編・後編でお届けします。
桜なべ 中江。建物は国指定登録有形文化財に指定されている
馬肉をすき焼きのようにして食べる桜鍋は明治初期に吉原で流行し、最盛期には2、30もの専門店があったそうです。明治38年創業の「桜なべ 中江」もその中の一軒。今では吉原に残る店はここだけとなりました。その味の秘密を、4代目店主・中江白志さんに教えてもらいました。
4代目店主・中江白志さん
吉原のにぎわいから生まれた桜鍋 馬肉というと熊本が本場と考える人も多いと思いますが、実は桜鍋は東京の郷土料理です。文明開化のころに横浜で牛鍋が食べられるようになると、それなら馬も食べようということで誕生したのが桜鍋でした。
特に吉原で盛んになったのは、当時は周辺が“浅草田んぼ”と呼ばれる農園で、多くの農耕馬が働いていたために馬肉が手に入りやすかったことと、精がつく肉といわれて、遊郭に通う人々の間でもてはやされたことが挙げられるでしょう。とにかく中江が創業したころは、昼夜を問わず繁盛したそうです。遊びに来た客がお金を使いきってしまい、質として取られた馬が鍋になったというこの土地らしいエピソードがあるように、桜鍋はそんな吉原のにぎわいと深くかかわりのある料理なのです。
秘伝の味噌ダレと割り下で煮る桜鍋は、桜肉のうま味と甘味が絶妙。浅く小さな鍋で食べるのが桜肉の伝統だそう
伝統の味は自然体で守っていく 当店の桜鍋は割り下に秘伝の味噌だれを合わせて食べますが、この食べ方を始めたのは初代でした。当初は牛鍋と同じように割り下のみだったのですが、初代が淡泊な馬肉に合った味にしようと考案しました。なめらかで割り下にすっとなじむ味噌だれは、110年続く中江こだわりの一子相伝の味です。
私も子どものころ、父親から味噌だれの作り方を教えてもらいました。
創業当時の様子
春夏秋冬の馬を描いた日本画。江戸時代後期の画家・谷文晁の作品と伝えられている
グツグツと煮立っている味噌をこねるのですが、まだ幼いのでうまくできません。味噌が鍋からはねて、熱くて、そのときは手伝うのをやめてしまいました。本格的に修業に取り組んだのは、もう少し大きくなってから。それからは毎朝、先代に認めてもらうまで味噌をこね続けました。こうして覚えた味噌だれは、当然ながら歴代の店主以外は誰も作り方知りません。そのため、従業員がいない早朝にたった一人で仕込むのですが、冬はまだ暗くて寒くて大変です。そんな修業の苦労を語ると、老舗は大変だなと思われるかもしれませんが、実際は、味以外のことは代々の店主に自由に任されています。有形文化財に指定されている、この築90年超をこえる建物も、受け継いだ家を守らなければという義務感から残したのではありません。古くて不便なところもあるけど、戦災を免れて残ったのだからそのままにしようと思った結果です。
私の後を継ぐ子どもにも老舗のプレッシャーを感じることなく、自分たちの思いのままに店を続けてもらいたいですね。(後編につづく)
甘く柔らかな馬刺し。→常連だった岡本太郎画伯のひと言で生まれた「タロタロユッケ」。今では中江の名物に
(構成:小田中 雅子)
【桜なべ 中江】ホームページ http://www.sakuranabe.com/