第1回 昔ながらの光景とふれあいは、この場所ならでは【後編】
東京「雑司ヶ谷鬼子母神」の境内で古くは飴屋として知られ、江戸時代中期から230年以上続く駄菓子屋「上川口屋」。店主の内山雅代さんはこの店で四季折々の自然や行事、町の移り変わりを見て育ったと言います。内山さんが今、大切に思うこととは?
「創業当時は大名が立ち寄る飴屋だったんです」と内山さん
鬼子母神の本堂が建てられたのは1664年(寛文4年)。店の隣にある大イチョウは樹齢約600年ですから、灯籠にして土にしても、この境内は江戸時代のままの佇まいです。
関東大震災や東京大空襲を奇跡的に免れたんですね。東日本大震災のときも、大イチョウの周りを囲む数十本の鳥居のうち、倒れたのは1本だけ。目の前の水屋も倒れることがありませんでした。これは鬼子母神様のご加護としか言いようがありません。
戦時中は境内の下から先、池袋のあたりは焼け野原。今のような建物が立ち出したのは、先の東京オリンピック以降です。朝起きて、都内に唯一残された都電(荒川線)の音が聞こえると、「何でも早けりゃいい」というご時世に、ここは今でものどかでいいなと思います。
重厚な佇まいを見せる鬼子母神堂。緑豊かな境内には清らな空気が流れる
境内では毎年10月に「御会式(おえしき)」という大祭があるのですが、今のように周りが音に厳しくなかった時分は、深夜まで太鼓が鳴り響き、みんなで「南無妙法蓮華経」を唱えてにぎわいました。
7月の終わりには盆踊りもあります。お正月の三が日は長蛇の列のお参り。2月3日には豆まきがあって、それぞれに楽しみがあります。
春になると、店から桜を眺めることもできます。向かいに見えるでしょう? 法明寺さんの参道の桜並木で、花見に訪れる人が多いんです。
夏場は樹が生い茂るので涼しいですよ。よそから来た人は、「空気も匂いも違う。まるでタイムスリップしたようだ」とおっしゃいますね。
「子育てイチョウ」とも呼ばれ、樹齢600年をこえる大イチョウ
秋にはギンナンがいっぱい落ちます。ここは排気ガスにさらされることが少ないので、味がとてもいいんですよ。朝6時半の開門に合わせて、たくさんの人がビニール袋と手袋を用意してスタンバイしています。シイの木も、実は小さいけれど甘味があっておいしいですね。本堂近くのカヤの木はアーモンドを丸くしたような実。漢方薬にもなるし、家の中に置いておくといい匂いがするんです。
新鮮な空気と四季の移ろいを五感で味わい、いろいろな方との出会いを楽しめるのは、ここにいればこそ。日増しに変わる世の中で、かけがえのない宝ですね。
上川口屋から法明寺参道を望むこの景色が内山さんのお気に入り。春になると参道の桜並木がピンクに色づく
(構成:尾高智子)
【取材を終えて】
「近ごろは、このあたりで遊ぶ子どもが少なくなってしまって」と、どこか寂しげな内山さんも、子どもたちとのエピソードに話が及ぶと、思わず優しい笑みがこぼれました。中でも印象的だったのが、子どもが初めて1人で買い物に訪れた日のこと。100円玉をギュッと握りしめて突っ立ったまま、「これください」「これいくらですか?」のひとことが言えなくてモジモジ……。「やっと買えると、おつりで硬貨の数が増えるでしょ。得した気分になって得意げに帰るのよね」。内山さんが楽しそうに振り返るのは、子どもたちの素直で豊かな表情ばかり。「みんな一生懸命でかわいいのよ」。言葉の端々からも、内山さんの人情味あふれる人柄が伝わってきました。代金を払っておつりをもらう。たったそれだけのことだけれど、子どもにとっては大冒険。内山さんのような温かいまなざしが子どもたちの成長をサポートしているように思います。人と人とのかかわりにふれ、社会の仕組みを学べる町の駄菓子屋さん。今日もすがすがしい空気に満ちた境内で、子どもたちを優しく見守っていることでしょう。
次回は日本橋へ。天もり・天ざる発祥のそば屋「室町砂場」の店主・村松毅さんを訪ねます。(H)