
名画に欠かせないのは、確固たる存在感を放つ主役と味わいを添える名脇役。鶴巻麻由子さんが店主を務める「珈琲屋台 出茶屋」の主役は、選び抜かれた珈琲豆と小金井の湧き水だ。そこに火鉢や炭火の温もりが脇を固める。今回は、そんな出茶屋の魅力的な役者たちを紹介します。――前回紹介した珈琲教室では、新鮮な豆の持ち味を実感するために、なんと珈琲豆をポリポリ食べさせてもらった。珈琲教室に参加したかもめブックスの編集スタッフ4人は、初めての体験にビックリ。そして、新鮮な食感とえもいわれぬ味わいに「おいしい!」と2度ビックリ。珈琲豆って、食べられるんだ……。というわけで、まずは「珈琲屋台 出茶屋」の主役ともいえる珈琲豆の話から。
珈琲教室のときに食べてもらいましたが、あれはよく焙煎された新鮮な珈琲豆だからできること。珈琲がおいしいことがいちばん大事なので豆は惜しみません。店では出茶屋ブレンドをはじめ、ブラジルイパネマ、東ティモール、タンザニアのエーデルワイス、スペシャルフレンチの5種類を用意しています。
──珈琲教室のときに飲ませてもらった出茶屋ブレンドは、酸味や苦みがまろやかにまとまった味わいだった。やさしい甘みがあるという東ティモールの豆は、手摘みのフェアトレードものだとか。こういうところにも鶴巻さんのこだわりが感じられる。深入りの豆と四国の牛乳を使ったカフェオレも人気。かわいいアンティーク調のミルクパンに入れて、七輪の炭火でコトコト温めてサーブしてくれる。第1回目で登場してくれたご常連の枡本さんが、おいしそうに飲んでいたっけ。
珈琲豆は、三鷹の「珈琲家 香七絵」さんから仕入れています。自分の足で行けるところがよかったので、開業準備期間の間にこのあたりのお豆屋さんをいろいろ回ってようやく巡り会えた店。なによりも、その店のマスターの明るい人柄が好きになりました。店を開くときに相談したら最初から応援してくれて、ずっとお世話になっています。珈琲豆は焙煎の方法によってものすごく味が違う。深煎りになるほどテカテカとオイルが表面に出てきます。そこに珈琲の香りが含まれているのですが、深煎りは酸化が早い。浅煎りでもちゃんと焙煎してあれば、珈琲教室のときのようにカリッと食べられます。香七絵のマスターは焙煎の達人。急速に焙煎したものは急速に劣化していくのですが、マスターはお豆を見ながら丁寧に焙煎してくれるんです。
──急速に焙煎した豆は急速に劣化する……か。やっぱり、珈琲って人生につながっているような気がする。丁寧に焙煎された新鮮な豆は、1カ月はおいしく飲めるとのこと。でも鶴巻さんは「よりおいしい」を求めて1、2週間で使いきるようにしているそうだ。そんな珈琲豆を鶴巻さんはミルで手挽きしている。愛用のコーヒーミルは使い込んだ道具だけがもつ味わいに包まれている。
これは、ドイツの「ザッセンハウス」というメーカーのもので、もう9年ほど使っています。手挽きのミルの中では、たぶん一番早く挽けます。おいしい珈琲をいれるためには、ミルにもこだわったほうがいいですよ。手挽きのミルでは、フランスのプジョー社のものも評判が高いですね。ドリッパーとペーパーフィルターは珈琲サイフォン株式会社のKONO式のもの。ドリッパーは円錐形で穴が一つだけ、ペーパーも円錐形です。プロ仕様なので、あまり一般の人にはなじみがないかもしれませんね。ドリッパーの内側にはリブと呼ばれる溝が何本かあって、その溝の構造で珈琲液が落ちる速度を調節しています。渦巻型のものはゆっくり落ちるから、珈琲液を抽出しやすくて初心者向きといわれています。このKONO式のリブは一つ穴に向かってまっすぐ。慣れてくると、このほうが思いどおりの珈琲がいれられますよ。
──なるほど。家にあるのとはだいぶ違う。珈琲教室では湯の注ぎ方にも悪戦苦闘した。家に帰って「おさらい」したときに気づいたのは、いくら頑張っても思うように湯が注げるようになるとは思えないポットしか持っていないという事実。鶴巻さん愛用のステンレス製ポットには、達人ならではのこだわりがあった。
湯を細く注いだり太く注いだり調節するためには、ポット選びも重要なポイントです。材質はステンレスのほかに、銅製やホーローなど。注ぐ湯の量を自在に調整するためには、注ぎ口が細くて本体側が太めのものがよいですよ。注ぎ口も大事です。出茶屋で使っているポットは、口の下側が長めになっているもの。こだわる珈琲店のマスターは、ペンチを使って自分で加工している人もいます。
私が愛用しているのは、新潟の「ユキワ」というメーカーのМ5サイズ。カリタの銅製ポットも注ぎやすいですよ。初心者にはカラフルな色ぞろえの「月兎印」のポットもおすすめです。
──職人なんだなあ。すごい。炭火で湯を沸かしている鶴巻さんは火鉢や七輪、炭にもこだわっている。
ガスも電気も運べないから炭火で沸かそうと思いついたのですが、炭火はそれまで扱ったことがなく実際お湯が湧くのかわからず調べていて、インターネットで「火鉢屋」というサイトを知ったのです。ちょうどお互いに開業したばかり。いろいろ相談に乗ってもらい、実際に使い始めたら炭火のよさにどんどんはまってしまいました。最初は1年ほど、火鉢屋さんでもお手伝いをさせてもらって炭の勉強をしたんですよ。それでも火鉢だけではお湯が間に合わなくて、七輪とポットを足しました。
火があると人は自然に集まる。夏でも手をかざしたくなるでしょう。火が近くにあると、冬でも風が吹かなければとても温かいし、何を焼いてもおいしい。だから、ここでは、臭いの出ないものなら自分が焼きたいものを持ち込んでいいことにしています。
──ミカンとかリンゴとか、冬場は特に焼いたらおいしそうな果物がいろいろある。干しイモやお餅も炭火で焼いたらとびきりおいしそう。ここに来る子どもたちも自然にいろいろできるようになって、お菓子の「食べっこどうぶつ」を焼いて食べていたりする。そんなふうに時々は焼き物が乗ったりする火鉢や七輪だけれど、普段は南部鉄瓶が存在感を放っている。いつも2つの鉄瓶がフル稼働でシュンシュンと湯気を吹いている。
この南部鉄瓶も火鉢屋さんに教えてもらいました。ひとつは中古で、もうひとつは新品のときから使っているもの。毎日使っていれば特別な始末はいらないし、水を入れたままでも大丈夫なので、ずぼらな私には合っているのかも(笑)。鉄瓶は一生もの。水をまろやかに沸かしてくれるし、とても重宝しています。
──鉄瓶の中の水は「六地蔵の黄金(こがね)の水」という小金井の湧き水。鶴巻さんが屋台を始めたばかりのころ、町おこしのために武蔵小金井の商店街が掘った井戸。500円で蛇口を買えば誰でも使えるという。
この水にはミネラルが豊富に含まれているので、甘みがあるんです。だから出茶屋の珈琲はまろやかに仕上がります。軟水や硬水など、水の種類によって珈琲のいれ方も違うんですよ。日本の水は軟水だからペーパードリップで。イタリアやフランスなどヨーロッパは硬水なので、フレンチプレスやエスプレッソなどの煮出すようないれ方が合います。
──恥ずかしながら知りませんでした。とにかく濃いのが飲みたいとか、ちょっとカッコつけたいとか、不純な動機で「好き!」なんて言っていたエスプレッソにも申し訳ない気持ちになってきた。逆に、ペーパードリップだから適当にいれている、みたいな思い違いもはなはだしいこれまでの人生を思い切り恥じる……。それにしても、大量の水が必要な珈琲屋台。鶴巻さんは、開店前に屋台で寄ったり、自転車で運んだり、多いときにはお客さんに頼んで車で運んでもらうこともあるそうだ。そんなところにも、出茶屋応援団の力が発揮されている。
小金井に来てもう10年。こういう「根を張る」みたいな感覚は初めてです。自分でも変わったなと思う。この土地が好きだし、人が好きなので動く理由が見つからないんです。これまで大変なこともいろいろありましたけが、地元の人に助けてもらってここまできました。
――鶴巻さんの笑顔には、小金井という場所と、そこに湧き出る水と、その地で息づく人たちに支えられているという安心感と自信がにじみ出ている。それでも10年の間には大変なこともいろいろあったと、鶴巻さんは淡々と振り返る。次回(最終回)は小さな屋台の大きな挑戦の話をお届けします。(構成・白田敦子/写真・街道健太)
【「珈琲屋台 出茶屋」のホームページアドレス】
http://www.de-cha-ya.com/