古くから漆の産地だった岩手県。時代とともに他の産地が姿を消していく中でも漆の生産が続けられ、現在は国産漆の8割が岩手で生産されています。トップシェアを誇る産地で、かつて県庁職員として漆振興の推進に努めていた松沢さん。第2回では漆との出会いと、以来20年にわたって歩みをともにするほど奥深く、多彩な顔を持つ漆の魅力について教えてもらいます。――松沢さんは岩手出身ですが、漆との接点が生まれたのは2005年に岩手県庁の職員として漆振興の担当になられて以降だそうですね。 それまでは漆と縁のない環境で育ちましたが、県職員時代に4年間にわたってさまざまな形で漆に関わる中で、漆の奥深い魅力を知りました。同時に直面したのは、漆を取り巻く厳しい現実です。国産漆の8割を生産するとはいえ、岩手の産地にも需要減や後継者不足などの課題が重くのしかかり、生産者から聞かれるのは「漆が売れない、職人のなり手がいない」といった声ばかり。漆が衰退していった期間があまりに長かったので、周囲はすでに諦めてしまっているところもあり、漆はいわゆる「オワコン」、時代遅れの終わったコンテンツといった雰囲気でした。日本有数の漆器産地である石川県の輪島から老舗の漆器屋さんを招いた講演で「漆はもう終わりだ」といった話が出たときは、かなりの衝撃を受けましたね。

漆の精製作業をする松沢さん
でも、私としては「どうしてそんなに漆はダメだと思われているんだろう?」という感覚がありました。まず、文化財の修復という、将来的にも絶対になくならない安定した需要があるわけです。日本の歴史と伝統が詰まった文化財を全て海外産の漆で修復すると聞いたら、違和感を覚える方が大半ではないでしょうか。長期的に見れば、国産漆の需要はほそぼそとでも必ずあるだろうと思っていました。
とくに岩手の漆生産の中心地である二戸市浄法寺町は、質の良い漆が採れる産地として知る人ぞ知る存在でした。転機が訪れたのは2007年、日光東照宮で有名な「日光二社一寺」で大修復プロジェクトが進められていたときのこと。機能性や耐久性に優れた浄法寺漆の品質が高く評価され、下地から仕上げまで修復工程の全てに使用されることになったのです。その後2015年に「国宝・重要文化財の保存修理に国産漆を使う」との国の方針が決定するわけですが、浄法寺漆を使った日光二社一寺の修復は、その決定を後押しすることにもなりました。

最高級品質を誇る浄法寺漆。品質を保証する「浄法寺漆認証制度」は、松沢さんが県職員時代に整備したもの

日光東照宮の陽明門。きらびやかな金箔や鮮やかな彩色など、豪華絢爛な装飾の下には漆の下地が塗り重ねられている
――苦しい状況に置かれながらも伝統を絶やさず、漆の生産を続けてきたことで道が開けたのですね。品質の話でいうと、海外産と日本産の漆にはかなり違いがあるのでしょうか? 10数年前は中国産と国産の漆には大きな差がありましたが、最近では中国産にも質が良いものが見られるようになりました。とはいえ質感にはかなり違いがあって、日本の漆はサラサラと水のような感じが強く、対して中国産はやや粘度が高いです。これはどちらが良い悪いというよりも、個性の違いです。なにしろ流通量が多いので「漆といえば中国産」という漆塗りの職人さんも多いですし、中国産の質感に慣れていると国産を扱うのが難しいという話も聞きます。例えるなら、国産漆は“スーパーカー”といった感じでしょうか。高性能でカッコいいけど、乗りこなすのは難しい。一方、中国産は“気軽に乗れる大衆車”といったイメージですね。
私個人としては、文化財修復には国産漆が必須だとしても、それ以外の漆製品については外国産漆の使用を完全に否定する必要はないと思っています。問題なのは「輸入に依存しなければ漆産業が成り立たないほど国産の漆が衰退している」という点です。
――そうした状況を打開すべく、松沢さんは2009年に県庁を退職し、『浄法寺漆産業(現・株式会社松沢漆工房)』を立ち上げます。漆の魅力を知ったとはいえ、公務員を辞めての起業とは相当な覚悟です。漆の何が、松沢さんにそこまでの情熱を抱かせたのでしょう?
縄文時代から使われてきた歴史を持つ、赤褐色のベンガラ漆
まず、漆は日本文化そのものである、ということです。
第1回でお話したように、漆の歴史は縄文時代にまでさかのぼり、漆塗りの皿や櫛、ヒビ割れや破損を漆で補修した土器など、その痕跡は各地の遺跡に残されています。中でも、北海道で発見された9000年前の漆の副葬品や、福井県で出土した1万2600年前のウルシの木片は、世界最古の漆の遺物とされます。それほど古くから漆は人々の暮らしとともにありました。
ひょっとすると、漆がなければ歴史も大きく変わっていたのかもしれません。13世紀、日本は「黄金の国ジパング」としてヨーロッパに伝えられ、のちの冒険家たちに大きな影響を与えることになりますが、それも漆があってこそ。“黄金の国”のイメージを生んだとされる中尊寺金色堂(岩手県平泉町)は、漆で貼られた金箔や螺鈿蒔絵の装飾で建物全体が埋め尽くされ、まばゆいばかりの輝きを放っています。中世から近世にかけては美しい漆器が西洋人を魅了し、貿易品として日本と世界をつなぎました。漆を初めて目にした西洋の人たちにとって、その美しさはとりわけ神秘的に感じられたことでしょう。
衣食住から芸術、政治、宗教にいたるまで、漆はあらゆるものと深く結びついていました。漆を失うということは、文化を失うということです。1万年もの間脈々と続いてきた豊かな文化をここで絶やしてはいけないと思いました。
また、それ以上に惹かれたのは、漆の多面性です。漆をひも解くと、農業や林業、歴史、芸術、建築などあらゆる分野につながっていることがわかります。ものづくりの現場に目を向ければ、ウルシの栽培に始まり、漆掻き、木地づくり、塗りとそれぞれの職人さんの世界があり、文化財保護の観点でもまた違った側面に触れられます。そんなふうにさまざまな切り口があるところに面白さを感じました。

浄法寺塗の制作風景
こうした視点を持つようになったのは、県職員として漆業界全体を俯瞰する立場にいたおかげです。各分野に人脈をつくることもできました。ただ、公務員には異動があります。培ったネットワークを生かして長期的に漆に関わりたいと思ったことも、起業のきっかけの一つでした。
――漆の大きな可能性に背中を押されたのですね。 しかしながら、漆が非常に厳しい立場にいるのは事実です。文化財以外での漆の用途というと漆器が大半ですが、電子レンジや食洗機が使える食器も安く手軽に手に入る今、漆器を日用の器として復活させるにしても限界があります。やはり便利なものは便利ですからね。そこで目指したのは、 漆器の塗料以外にも漆の活用を広げていくことです。

金継ぎで修復した器

浮世絵を題材にした漆の万年筆
日本で数年前から人気になっている「金継ぎ」は良い例でしょう。割れた器などを漆で接着し、金粉で装飾する金継ぎは日本独自の技法で、漆を接着剤として使ったり、欠けたパーツを漆で作ったりします。金継ぎは海外でも非常に注目されていて、2024年にはオックスフォード英語辞典に“kintsugi”が追加されたほどです。当社でも金継ぎのサービスを行っていますが、海外の方は単に「もったいない」というだけではなく、「割れたものが美しい模様になって再生する」ということに意味を見いだし、深く感動するようです。
「万年筆×漆」も海外の方にとても人気です。万年筆を漆芸で装飾するのですが、螺鈿や蒔絵などの技法は海外のアーティストにはまねできない表現で、その日本的な美しさが目の肥えた万年筆コレクターたちを魅了しています。金継ぎブームにしても万年筆にしても、漆は今、国内より国外で高く評価されていると感じます。

本物と見間違えてしまいそうなリアルなクワガタが目を引く『Mushi Urushi』は、クワガタ好きの漆職人さんの遊び心から生まれた商品
一方、日本では今年、ユニークな新製品を発売しました。漆塗りのクワガタ水筒、その名も『Mushi Urushi』です。ステンレスボトルの外側に漆を塗り、竹や木にクワガタがくっついている様子を表現しました。立体的なクワガタは、土台の上に漆を塗り重ねて大きく盛り上げる「高蒔絵」という伝統の技で作られています。質感や色味のリアルさも漆ならでは。漆は天然素材なので、生き物や植物などの表現にすごくなじむのです。科学的な塗料などでは出せない自然な風合いが出て、クワガタの黒色も本物そっくりに仕上がります。伝統的なものと新しいものが掛け合わさると、すごく面白いものができるんですよ。水筒以外にも塗ってみたいものはまだまだあります。今後も従来の発想にとらわれない製品に挑戦してきたいですね。(つづく)
――過去にも、豪華列車の内装に使われた漆塗りパネルや蒔絵を施した車のステアリングなど、斬新な漆製品を数々手がけてきた松沢さん。ウルシの種をじっくり焙煎して作る『うるし茶』もその一つ。近年の研究では、うるし茶の成分が血圧を抑制する可能性があるとわかったそうで、健康の分野への広がりにも期待が膨らみます。さまざまな可能性を持つ漆ですが、それを新たな未来につなげるには超えなくてはならないハードルがあります。最終回では、現在取り組む漆の新しい生産スタイルへの挑戦について聞きます。(写真提供:松沢卓生、構成:寺崎靖子)