× close

お問い合せ

かもめの本棚に関するお問い合せは、下記メールアドレスで受けつけております。
kamome@tokaiedu.co.jp

かもめの本棚 online
トップページ かもめの本棚とは コンテンツ一覧 イベント・キャンペーン 新刊・既刊案内 お問い合せ
きれいをつくる
香りの科学~バラは百薬の長~ パフューマリー・ケミスト
蓬田勝之
最終回 バラの香りのこれから

※このWEB連載原稿に加筆してまとめた単行本(『バラの香りの美学』を好評発売中です(発行:東海教育研究所、発売:東海大学出版部)。


 パフューマリー・ケミストの仕事は多岐にわたります。バラの香りの成分分析に始まり、特徴的な香りの分類、その香りの再現、香りの視覚化、さらには科学的な見地からバラの香りを歴史的に俯瞰するといったことまで、あくなき探求が続きます。この、科学と感性を融合させた“バラの香りの表現の可能性”は、いったいどこまで広がるのでしょうか。
 最終回は「バラの香りのこれから」について語っていただきます。


新しい香りを開発する
 前回(第9回)にお話したモダンローズの香り7タイプは現在、パフューマーが調香する際のベースとして使われています。
 新しい香りを開発するとき、私はパフューマーとともにバラ園へ出かけ、まずは嗅覚評価(感性)でいくつかのバラ品種を選び、それを分析機にかけて科学的に香りを評価(データ化)します。次に、解析した香りの組成をもとにその香りを再現します。そこに、香りの7タイプが欠かせないのです。
 そのうえで、パフューマーの経験と感性によって美しい香りへと完成度を高めるために、さらに調香を重ねていきます。最終的に複雑系であっても、それぞれの香りがハーモナイズして自然らしさや個性があふれ出ていることが理想です。

撮影:編集部
 「美しい香り」の捉え方は人それぞれですが、私は次の3つだと思っています。
?その香りが漂っていても、邪魔にならず、心地よいと感じられること
?適度な強さや広がりがあること
?上品さや華やかさがあり、濁りのないこと

 これはまさに、バラがつぼみから半開花へと向かう時期の香りと重なります。そこにパフューマーのセンスと経験、技術がプラスされ、美しい香りへと磨きがかけられ、“香りの作品”として仕上がるのです。

 皆さんの中には、「香りに科学が必要なの?」と思われる方がいらっしゃるかもしれません。確かに、科学的根拠がなくても“香りの作品”はつくることができます。
 今とは時代も違いますが、たとえば有名な「シャネルNo.5」などは、感性のみでつくられています。スランスの天才パフューマーと呼ばれるエルネスト・ボー氏によってバラとジャスミンが絶妙なバランスで配合され、その香りにふれればすぐに「シャネルNo.5」とわかるほど、深く甘い香りで世界中の女性を虜にしました。

 調香には繊細な感性が必要で、Aという香りの成分とBという香りの成分を合わせても必ずしも「A+B」にはならず、「C」という全く質の違う香りになってしまうことがあるのです。
 また、同じ成分を100分の1、1000分の1と薄めていくと香りの質が変わり、みずみずしい甘さが粉っぽい甘さに変化してしまうこともあります。その反対で、もともと糞臭のような香りを持った成分でも、ある成分と合わせることで非常にセクシュアルな香りに変化することもあるなど、香りを“予想”することは非常に困難なのです。
 こうした香りの妙を使いこなすことができるパフューマーは、現代ではごくわずか。品質の安定や安全性の問題もあり、科学を活用することが常識になりつつあります。
 もちろん、このような背景だけに留まらず、これまでにない香料素材や斬新な配合処方を試行することなどで香り作品のレベルが上がることになる、と私は考えています。

香りのイメージを表す「表象マップ」
 ここ数年、私が力を入れて取り組んできたのは、モダンローズ各品種の「表象マップ」をつくることです。これは、第10回でご紹介した「香りのパルファム図」の10ノートとモダンローズの「香り7タイプ」の成分とを対応させ、香りのイメージをマトリクス図で表したものです。これにより、各タイプの特徴を俯瞰的に比較することができるようになりました。


 たとえば、ダマスク・クラシック系の代表品種「芳純」と、ダマスク・モダン系の代表品種「パパ メイアン」の表象マップを比べてみると、芳純にはダマスク・クラシックの香りを表すピンクが多く、濃厚な甘みの中に気品あるさわやかさを併せ持っていることがよくわかります。












 一方、パパ メイアンはダマスク・モダンの香りを表す赤が多く、情熱的で濃厚な甘さを持ちながら、すっきりとした清涼感もあり、洗練された香りであることが感じとれます。












香り表現の未来
 これまで、さまざまなバラの香りの表現を追求してきましたが、言葉の表現はもちろんのこと、これからやってみたいことは3つあります。
 1つ目は、香りを「動的」に表現することです。現在は、バラが最も香り立つベストな状態をピックアップして分析・評価していますが、バラも生きていますから、開花状態だけでなく朝・昼・夕で香りにも変化があり、パルファム図も刻々と変化していくはずです。その香りの動的変化を、色や実際の香りを使って表現することができたら、と思っています。

 2つ目は、野生種のバラとモダンローズとの関係性をもっと明らかにしたいと考えています。
 現在ある2万数千種類のモダンローズに影響を与えた原種は、8~10種類の野生種だといわれています。複雑に入り混じる香りを“ピース”として捉え、ジグソーパズルを完成させるように、モダンローズに野生ローズのピースを当てはめることで、香りの変遷を表現してみたいという思いがあります。

 そして3つ目は、「バラの香りの美しさの定義」を表すことです。
 バラの香りは目には見えませんが、“美しい”という表現がふさわしいと私は思っていて、「美しい音楽を聴きたい」「美しい芸術作品を鑑賞したい」と思うように、人間の精神には「美しい香りを嗅ぎたい」という欲求があるのではないかと思っているのです。
 女性は特に美しさへの関心、美しさの感覚を一人ひとり持っていて、そこにバラの香りも加えていただけると、精神のバランスが高い位置で保たれ、さらに豊かで魅力的な人生が開けるのではないか――。と同時に、「バラの香りの美しさの定義」を発信することで、香りの文化にも貢献できるのではないかと考えています。

 大きなことをいえば、バラのミュージアムをつくりたいのです。美しいバラの香りの歴史や文化を示し、人生の節目や悲しみ、心が痛んだときに、香りによって癒され自分らしさを取り戻すきっかけをつくってもらえたら、香りの科学者としてこれほど幸せなことはありません。

(構成・宮嶋尚美、写真&図版提供・蓬田勝之)

【蓬田バラの香り研究所のホームページアドレス】
http://www.baraken.jp/
ページの先頭へもどる
【よもぎだ・かつゆき】
資生堂リサーチセンター香料開発室参与を経て、現在、蓬田バラの香り研究所取締役研究所長。世界で初めてバラの香りをタイプ別に分類した香料分析のエキスパート。「香りの7分類」は、日本ガーデンローズや切花の香り関連分類の標準となり、香りの製品にも広く応用されている。年々複雑化しているバラの香りの一層の理解のために2009年「バラのパルファム図」を作成。最近は「香りの表象マップ」をつくり、香りのさらなる理解に務めている。著書に『薔薇のパルファム』(求龍堂)などがある。講演・執筆多数。
新刊案内