文楽の魅力や舞台裏、太夫、三味線、人形遣いの「三業(さんぎょう)」で成り立つ独特の世界観などを、太夫ならではの視点で語ってくださった豊竹咲寿大夫さん。最終回はいよいよ若手太夫としての日常やプライベート、文楽にかける思いに迫ります。
(c)藤本礼奈
私たちの生活は、公演を中心に動いています。公演が行われている時期、楽屋を開けるのは若手である私たちの務め。朝9時には劇場に入り、楽屋を整えなくてはなりません。楽屋の入り口には神棚があり、出演者は鈴を鳴らし、拝んでから中へ入っています。この神棚の前には人形が置いてあるのですが、これは昼の部の開演15分前に行う『幕開三番叟(まくあきさんばそう)』の人形。お客様に見せるというよりも、舞台を“はらい清める”という役目があります。人形は(文楽は普通、三人遣いなのですが)二人遣いで、 三味線は床(ゆか)には座らず幕内で演奏し、太夫でなく人形遣いが自分で声を出しながら舞うのです。『幕開三番叟』は毎日、観客の皆さんの前で行います。若手が人形を遣うので「今日の三番叟の出来はどうかな?」と、楽しみに来られるお客さんもいらっしゃるようですね。
実は、宝塚が好きなんです
(c)藤本礼奈
若手は自分が出演しているとき以外は、楽屋で師匠の腹帯を乾かしたり、先輩の着物を畳んだりといった細々な仕事をして過ごします。こういう作業も、実は大事な修業。楽屋の空気を覚え、物事の細部にまで気を配れるようにならないと、自分の芸についてもいろいろなことに気がつくことができないのです。そうした仕事の合間を縫って、公演中に次の公演のお稽古が始まります。公演が終わり、用事がないときもお稽古はあるのです。ですから、文楽から完全に離れる日というのはあまりないですね。
それでも時間があれば、勉強と気分転換を兼ねて、映画を見たり落語を聴いたり、ミュージカルなどの舞台を観に行ったりしています。私は大阪の出身ということもあり、宝塚歌劇団が好きなのですが、実は、文楽を長年牽引してこられた89歳の太夫、竹本住大夫師匠もお好きのようです。以前、「君、宝塚が好きなんやろ。僕も好きなんや」と話しかけてくださったことがありました。文楽の世界は、全体の人数が少ないこともあり、親密な雰囲気。大阪らしい人情派の方も多いのです。厳しさも愛情からだということが、ちゃんと実感できる世界なんですよ。
文楽の修業は、一生では足りない
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その住大夫師匠がこの5月、引退されました。師匠は一昨年、脳梗塞で倒れられ、リハビリを重ねて昨年1月の『寿式三番叟』で復帰された方。私もそのとき、同じ舞台を務めさせていただいたのですが、最初の合同稽古の際、「わしもまだまだ勉強せなあかん」とおっしゃったことが忘れられません。当時88歳の人間国宝の方がそうおっしゃる、その向上心はすごいなあと。亡くなった先人方もそうですが、芸をきちんと引き継いで、それを私たちの世代に伝えるという役目を自覚し、担って来られた方々の背中はとても頼もしく感じられます。そういう先輩を目指し、越えていきたい。伝統というのは昔のものではなく、今につながっているのだという感覚があります。

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文楽は40代でも若手と言われ、40歳、50歳でようやく基礎を習得できる世界です。それでも、私の今の感覚では、先は短い。住大夫師匠のご年齢まで自分が現役でいられたとしても、あと60年くらいしかありません。それまでにきちんと芸を習得できるのだろうか、時間が足りないのではないか……と、焦ります。住大夫師匠の兄弟子である越路大夫師匠が「一生では足りない。二生ほしかった」とおっしゃったそうですが、確かに、自分が満足できるようになるには、一生だと足りないと、私も感じています。
そんな私の座右の銘は、「挑戦、そして前進」。高校生のときに在籍していた陸上部の旗に書いてある言葉です。一日一日を無駄にせず精進していきたいと思います。
(構成・高橋彩子)
【文楽豆知識】
『幕開三番叟(まくあきさんばそう)』
昼の部の開幕15分前に上演されるもの。観客に見せるというよりも、舞台を“はらい清める”という役目がある。三番叟は祝福の舞でもあり、派手な衣装で軽快なお囃子にのせて舞う三番叟は、舞台と観客を祝福するものともいわれる。若手が人形を遣い、このときの人形は(文楽は通常、三人遣い)二人遣い。三味線は床(ゆか)には座らず幕内で演奏し、太夫ではなく人形遣いが自分で声を出しながら舞う。