塔の鐘つき堂へ 私は40年前にも、ノートルダム大聖堂に行きました。けれども20歳そこそこの小娘にとって、信者でもない自分が祈りの場である教会に入ることが憚られ、「ばら窓」として名高いステンドグラスも、入口付近からそっと垣間見るのが精いっぱい。帰国してから「こんなものもあったんだ」「なぜ奥まで入らなかったんだろう」と悔やんだことは言うまでもありません。
今回は教会も観光客を受け入れるシステムが定着していることもあり、また自分自身も多少度胸がついて、内部の様子をじっくり拝見することができました。
ノートルダム大聖堂のテラス部分
さらにうれしいことに、現在ノートルダムでは無料の内部見学のほか、10ユーロ支払うと2つの塔をつなぐ基部であるテラスまでのぼれます。このテラス、小説の中ではものすごくドラマチックな舞台になるんですよ!
カジモドは魔女裁判にかけられたエスメラルダを救い出し、いったんはこの塔にかくまうのですが、彼女はある夜、星に誘われるように隠し小部屋からテラスに出てしまいます。すると、もう一方の塔の方から音もなく歩いてくる人影が……大変、フロロに見つかってしまった! ……ああ、そんな場所に、自分が実際にのぼれるなんて……まあ、フィクションなんですが……(汗)。
鐘エマニュエルと筆者
とはいうものの、テラスに行くには全部で387段もある階段をのぼらなくてはなりません。歩きやすい靴で来て正解! 意を決して狭い螺旋階段をぐんぐん踏みしめること数分、まずは鐘楼を見学します。鎮座するのは最も大きく古い鐘エマニュエルと、最も新しい小ぶりの鐘マリー。鐘には昔から、それぞれ名前がついています。
小説でも、カジモドは大きさも音色も異なる6つの鐘を名前で呼び、次から次へと素早く飛び移りながら自在に揺らします。楽器を奏でるように鳴らす躍動的な描写が忘れられません。
鳥の目 そしてついに両塔をつなぐテラスに到着! この日は晴天にも恵まれ、光あふれる青空の下、パリの中心から町を一望できるすがすがしさは、まるで王様にでもなったような気分。思わず、物語の一節を思い出しました。
「巨大な鐘楼の影は、屋根から屋根をつたい、大都市の端から端へと移っていく」「セーヌの水は、多くの橋弧にひだを寄せ、島々の尖端にも金色の縁模様をつけ」「この時、ちょうど太陽が全部の顔を出し、ものすごい量の光線が地平線の上にあふれた。尖塔も、煙突も、切妻屋根も、いわばパリのすべての突端が、一斉に火を噴いたかのようだ!」(*1)
ガーゴイルが見下ろすパリの町
鳥瞰図を広げるようなロングショットから、ある一点をクローズアップしていくユゴーの筆致は、まるで映画を観るような臨場感です。中世のパリは、大きな建物といえば、教会くらいしかなかったでしょう。ノートルダムの塔の上は、人間であっても鳥の目を持つことができる、特別な場所であった。ここに立てば、実感できます。
欄干にはガーゴイル(魔物)の像。ディズニーアニメでは、塔の上で暮らすカジモドの良き話し相手として、自由に動ける陽気な存在でしたが、頬杖をついて町を見下ろすガーゴイル像の背中は、孤独なカジモドのそれにも重なって見えました。カジモドにとって、パリはいくら美しくても自分には手の届かない、遠い憧れのようなものだったのかもしれません。
運命のグレーヴ広場 前述した光景は、物語の終盤、フロロがグレーヴ広場で処刑されるエスメラルダを見届けようと、日の出直前に塔の上までのぼっていった時の描写です。グレーヴ広場はシテ島にあるノートルダムと、セーヌを挟んで目と鼻の先。そもそも、フロロは大聖堂にあって、小窓から聞こえるタンバリンの音にふと視線を向けると、グレーヴ広場の真ん中で踊るエスメラルダを見て魂を射抜かれたのでした。
そして物語の最後、エスメラルダはその広場で、今度は絞首刑になるのです。ジプシーの踊りも公開処刑も、民衆にとってはどちらも「娯楽」でありました。
グレーヴ広場(現・パリ市庁舎広場)
私が確かめたかったのは、「本当に、ノートルダムからグレーヴ広場が見えるのか?」の一点。テラスからは、一方の塔が広場の方向を遮っていて残念ながら確認できませんでした。諦められず、後日私はグレーヴ広場にも行ってみました。
グレーヴ広場は、今は「オテル・ド・ヴィル(パリ市庁舎)広場」と名を変えていますが、大道芸をやったり、カルーセル(回転木馬)が置いてあったりで、昔と変わらず庶民の憩いの場であることに変わりはありません。かくしてパリ市庁舎を正面にセーヌ川の方を向くと……見えるじゃないですか、堂々たるノートルダムの姿が!
自動車も発動機もない中世。素朴な町の喧騒とともに、タンバリンの音は風に乗り、間違いなくフロロの耳に届いたはずです。そして塔の上からは……広場の真ん中に設えられた処刑台と、白衣を纏った死刑囚エスメラルダが、はっきりと見えたことでしょう。
建物に刻まれた時代と人生を解き放つ ユゴー(1797~1885)は、1789年のフランス革命に始まった、共和制と王政を繰り返す19世紀を生きた人です。七月革命、二月革命と、同国人同士、何万人もの人が血で血を洗った激動のパリ。その中で翻弄される人々の、心の闇と悲劇をいやというほど見せつけられた彼は、聖職者も政治家も王族も、また民衆に対しても、一切の容赦がありません。
絶対に正しいものなどあるはずがない。しかし人間は醜さを越えて愛すべき生き物。それがユゴーの描く世界なのです。民衆を殺していく権力者も許さず、しかし「貴族のものは全部壊せ」と言わんばかりの無教養にも、また疑義を唱えます。
彼は、「1831年に荒廃したノートルダム大聖堂を訪れると、見る影もなく荒廃し、古い壁に「ANAГKH」(*2)という文字が刻まれていた」というところから、この物語を始めました。
「司祭が塗り替え、建築家が削り、そして民衆が襲い、壊したのだ。かくして謎の言葉(*2)については、私がここに献じるささやかな記憶の他、何も残ってはいない。誰も知らない“運命(さだめ)”についても。壁に文字を刻んだ者は消え去ってしまった。今度はその文字が教会の壁から消え、そのうち教会そのものが、この地球から消えてしまうのだろう」(*1)
地面に落ちるノートルダム大聖堂の影
小説『ノートルダム・ド・パリ』は、先人が魂を込めて作り上げた文化遺産の価値を世に知らしめ、寺院修復の気運を高めました。その後、ユゴーは『93年』という小説でモン・サン・ミシェル修道院にも光を当て、こちらも大改修に至らしめています。現在のフランスの二大観光地は、ユゴーによってもたらされたようなものですね。
パリのノートルダム大聖堂に行くときは、ぜひ時間に余裕をもって塔にのぼり、『ノートルダム・ド・パリ』の世界を味わってみてください。(ただし、大聖堂はその後大規模に改修されていますので、「謎の文字」は探しても見つからないと思いますよ!)
(*1)『Notre-Dame de Paris』(GF-Flammarion、1998版)訳=仲野マリ、一部略してあります。
(*2)「ANAГKH(アナルキア)」とは、ギリシャ語で「運命」という意味。(写真提供:仲野マリ)
【仲野マリ公式サイト「エンタメ水先案内人」】
http://www.nakanomari.net
※WEB連載原稿に加筆してまとめた単行本
『恋と歌舞伎と女の事情』が(発行:東海教育研究所、発売:東海大学出版部)が好評発売中です。
※WEB連載「恋と歌舞伎と女の事情」は
コチラをご覧ください。
※新刊発売を記念して開かれた著者・仲野マリさんとイラストレーター・いずみ朔庵さんのトークショーの模様は
コチラをご覧ください。
【電子書籍のご案内】
本連載を加筆修正した電子書籍『40年ぶりのパリ、文学紀行』が、2022年5月14日に著者・仲野マリさんから発行されました。詳細はコチラをご覧ください。