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かもめアカデミー
パリ、40年ぶりの文学紀行 エンタメ水先案内人
仲野マリ
第1回(上) カジモドが見たパリの空 
 大学生のとき、たった1週間だけ訪れたパリ。それから40年の時を経て憧れの地を再訪し、1カ月もの長逗留をしたエンタメ水先案内人の仲野マリさんが、プルーストやユゴーなどの名作の舞台をエッセイと写真で案内する全4回の新連載。好評発売中の著書『恋と歌舞伎と女の事情』とは、ひと味違った仲野さんの素顔が満載です。

【作品】『ノートルダム・ド・パリ』/ヴィクトル・ユゴー
【場所】ノートルダム大聖堂



ノートルダム大聖堂から見たセーヌ川

 旅をする楽しみの一つに、好きな作品の舞台となった土地に足を運ぶ「聖地巡礼」があります。私は歌舞伎を好きになってから、前にも増してさまざまな土地に出かけるようになりました。
 実際に描かれた通りの光景を現地で目にするや、たちまちタイムスリップしてしまいます。自分が物語の一部になったようで、高揚感に身を震わすこともしばしば。逆に、町の地理や建物の内部を知ってからもう一度作品に立ち返ると、歩いた通りや寺社、山河、街道が、立体となってむくむくと立ちのぼってくるから、楽しくて仕方がありません。

ノートルダム大聖堂の正面

 そんな私にとって、記念すべき1回目の「聖地巡礼」は、実はフランスです。40年前、当時大学でフランス文学を専攻し、マルセル・プルースト『失われた時を求めて』について卒論を書こうとしていました。その小説に出てくる「レオニ―叔母の家」のモデルが、パリからそれほど遠くないシャルトルのあたりにあると知ったとき、どうしても行きたくなってしまったのです。
 パリ6泊8日の一人旅、それも自分にとって初めての海外旅行は、今のようにインターネットもなく緊張の連続でしたが、なんとか目的を達成。おそらくその感動が、今の「聖地巡礼」好きにつながっているのだと思います。

 それから40年の間に、私はプルーストだけでなく、ヴィクトル・ユゴーやバルザック、あるいはさまざまな歴史物語を読みました。パリを描いた舞台もたくさん見ました。
 今なら、もっとパリを楽しめる。いつかまた行ってみたい!……ようやくその願いがかなった2018年4月、フィクションの描写を実際の地で答え合わせをするべく、私は40年ぶりのパリに赴きました。最初に向かったのは、ノートルダム大聖堂です


カジモドを育てた人はどんな人?
 ヴィクトル・ユゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』に興味を持ったきっかけは、ディズニーのアニメ『ノードルダムの鐘』でした。生まれつき身体的ハンディを負っているため「怪物」とあだ名されるカジモドは、心のきれいな鐘つき男。彼は、唯一優しく接してくれた美しい女性エスメラルダに、淡い恋心を抱きます。
 しかし、このジプシーの踊り子は、正義と民衆を愛するイケメン兵士・フィーバスと恋仲に。カジモドは、判事フロロの魔の手に落ちたエスメラルダをフィーバスと力を合わせ救い出す……というのが、ディズニー版『ノードルダムの鐘』のあらすじ。

大聖堂脇の門。赤ん坊のカジモドを拾い上げ、フロロは赤い門から教会に入っていく

 この判事には以前ジプシーたちを追い立てるうち、包みをもって逃げる女をノートルダム大聖堂の前まで追いつめ、馬で蹴殺した過去がありました。女が守ろうとした包みは、乳飲み子でした。彼はその子の衝撃的な容姿を一目見るなり戦慄し、井戸の中に放り投げようとします。それを見とがめたノートルダム大聖堂の神父は、「これ以上罪を犯すのか」「その子を育てよ」と命じます。その子こそが、カジモドでした。

 判事フロロは一体、どんな気持ちでカジモドを育てたのでしょう。神父の命令で仕方なく鐘楼に閉じ込め育てたことになっていますが、赤ん坊は一人では生きてゆけません。妻帯もせず、自分の子を育てた経験もなく、その上カジモドは障害児。ノーマライゼーションやバリアフリーといった概念もなかった15世紀、その子育てには想像を絶する苦労があったはず。でも彼は、カジモドを立派に成人させたのです。

 20年近く子育てをすれば、2人の間には単なる主従関係、隷属関係以上のものが生まれたに違いない。フロロはカジモドの唯一の保護者であり、理解者であったのではないか? 私は2人の年月をもっと知りたくなり、原作に手を伸ばしました。
 

原作は違った
 原作を読むと、その始まりから結末まで、ディズニーの物語とは全く違っていました。まず、フロロは判事ではなく、彼こそがノートルダム大聖堂の副司教、つまり聖職者だったのです。「政治家は冷酷無慈悲、宗教家は常に正しく慈悲深い」といったよくある図式は、ユゴー原作にはみじんもありません。

ノートルダム大聖堂のらせん階段

 フロロは神学生のとき、ペスト流行で幼い弟以外の家族をすべて失いました。大聖堂の門前に捨てられた哀れなカジモドを、ほかの修道女たちが「怪物だ」「悪魔だ」と顔をしかめ立ち去ろうとするところ、「弟も一歩間違えばこういう運命だった」と心を決め、自分の子として育てることにしたのです。
 それほどまっすぐで誠実な聖職者が、ある日エスメラルダという美女に心を奪われ、神への愛に揺らぎを覚えます。そして彼女とフィーバスとの濡れ場を覗き見て逆上し、嫉妬にかられてフィーバスに刃を向けます。

 そのフィーバス、正義漢どころか、貴族の令嬢との逆玉を狙う計算高い輩。遊びでエスメラルダをモノにしようとする最低の二股男です。エスメラルダも世間知らずで、彼の甘い言葉に酔いしれ魂を奪われ、裏が見抜けません。しっかりした考えを持っているわけでもなく、その場の感情でカジモドに優しくしたかと思えば、間近に彼を見て気味悪がり、思わず顔をそむけてしまうような娘なのです。
 一方、カジモドは長年の鐘撞きで耳が不自由になり、周囲の情報を正確につかむことができません。「父」であるフロロと心をすれ違えたまま、最後は怒りにかられて塔の上から彼を突き落としてしまいます。フィーバスは婚約者との元鞘におさまり、エスメラルダの処刑を屋敷の窓から見物するという非道!

 エスメラルダは処刑の直前、2人がこれ見よがしにキスするのを目撃し、絶望の中で死んでいきます。――人間の二面性をとことんえぐり出す、オソロシイ話。一筋縄では理解できない複層的なユゴーの物語に、私はのめり込んでいきました。(つづく)

(写真提供:仲野マリ)


【仲野マリ公式サイト「エンタメ水先案内人」】
http://www.nakanomari.net

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【なかの・まり】
1958年東京都生まれ、早稲田大学第一文学部卒。演劇、映画ライター。歌舞伎・文楽をはじめ、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど年100本以上の舞台を観劇、歌舞伎俳優や宝塚トップ、舞踊家、演出家、落語家、ピアニストほかアーティストのインタビューや劇評を書く。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視したわかりやすい劇評に定評がある。2013年12月よりGINZA楽・学倶楽部で歌舞伎講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」を開始。ほかに松竹シネマ歌舞伎の上映前解説など、歌舞伎を身近なエンタメとして楽しむためのビギナーズ向け講座多数。
 2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)「同性愛の至福と絶望-AMP版『白鳥の湖』をプルースト世界から読み解く」で佳作入賞。日本劇作家協会会員。『歌舞伎彩歌』(衛星劇場での歌舞伎放送に合わせた作品紹介コラムhttp://www.eigeki.com/special/column/kabukisaika_n01)、雑誌『月刊スカパー!』でコラム「舞台のミカタ」をそれぞれ連載中。
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