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食べるしあわせ
種を継ぎ、いのちをつなぐ 種継ぎ農家×二期倶楽部シェフ
田村和大×富岡良一
第2回 「種継ぎ百姓」と「食いしん坊」
 種を採ることから野菜作りを始める田村和大さんと、その野菜を料理する富岡良一シェフ。今回は、2人がそれぞれ野菜や料理を“作る人”になって、出会うまでを紹介します。
 まずは、自称「種継ぎ百姓」の田村さんから。


このままでは頭も体も退化する!

ゆっくりとやってくる岩手の春。待ちに待った畑の季節が始まる
(撮影:奥山淳志)
 「もともとは東京で会社勤めをしていたんですよ。銀行系のシステム作る仕事で、朝10時から深夜1時ごろまで毎日働いて、太陽にあたらない生活を5、6年続けました」
 都会でのサラリーマン時代を、田村さんはそう振り返る。

 岩手県の兼業農家の次男。田植えや稲刈り、りんごの摘果(余分な果実,蕾,花を間引くこと)など、忙しい時期だけ農作業を手伝っていた。高校卒業後、都内の専門学校を経てIT関連企業に就職。以後、ひたすらパソコンに向かう日々を送る。会社ではほとんど無言。目の前に座っているスタッフとも、メッセンジャーやEメールで“会話”していた。
 「漢字も書けなくなるし、計算もできなくなる。このままでは頭も身体も退化するという不安がありました。こういう仕事は長く続かないなと思っていたところ、過労で倒れてしまったんです。目の前が真っ白になり、何も見えなくなって……」

ニンジンの種まき。畑の土はホクホクだ
(撮影:奥山淳志)
療養中に目覚めた食の大切さ
 原因がわからず、あちこちの病院を回った結果、最終的に下された病名は自律神経失調症。数カ月の休養を余儀なくされた。
 「療養中に、すべての感覚がリセットされたように感じました。つらい時期だったのですが、家族にも支えられ、今になってみると健康的に生きるすべをもらったように思います。味覚が戻ったのか、食べることが楽しくなりました。それまでは単に“おなかを満たすため”の食事だったのですが、『ああ、おいしいな』とか、『どういう野菜なんだろう』『どんな栄養なんだろう』と考えるようになって、食の大切さに目覚めたんですね」 


 「農業をやろう。野菜を作ろう――」。こうして田村さんは準備を始める。野菜の栽培法などを学び、岩手県の実家に戻ったのが2011年3月1日。いざ、始めようと思った矢先に東日本大震災がおきた。物流がストップし、注文していた種や農業資材が届かない。「このままではいけない。身の回りにあるものでできる農業を考えなければ……」。この経験が種の自家採取へと向かわせた。
 以後、近隣の農家を回って地元の野菜について学び、土と自然と格闘する毎日。そのかたわらイベントや講演会で全国を回り、種の自家採取や自然栽培について自らの経験や考えを伝える活動を続けてきた。


 一方、自称「食いしん坊」の富岡良一シェフ。「料理人は“裏方”だから、話すのは得意じゃない」と言いながら、実はお話も楽しくて“おいしい”。

自分で作った料理のほうがウマい!

ワークショップ後のランチでお客さまと料理談義
 「小さいころから食べることが大好きで、小学校の低学年のころから包丁を握っていました。『おふくろよりも自分が作った料理のほうがおいしいんじゃないか』と思って(笑)。田舎ですからそれほど多くの食材があったわけではないけれど、カレーライスや野菜炒めを作って食べて、楽しいなあと思っていました」

 高校卒業と同時に迷わず料理人の道へ。東京・台東区の老舗レストラン「上野精養軒」で、フランス料理の基本を学んだ。しかし、結婚式や宴会が中心の店では大量調理が主流。「自分は、こういう料理をやりたいんじゃない」と、4年で辞めて、以後さまざまな町場のレストランで修業を積む。

一番おいしい方法で調理する

 最も影響を受けたのは、東京・六本木のフレンチレストラン「ヴァンサン」だった。
 「野菜や肉、魚など、いろいろな食材をどうやったら一番おいしく調理できるのかを、オーナーシェフの城悦男さんからしっかりと教えてもらいました。そのとき学んだことを、今も心に刻んで料理をしています」

 東京・青山の「エスカイヤクラブ」、新宿の「DINING BAR HOTARU」などのシェフを経て、2005年に二期倶楽部東館「ガーデンレストラン」のシェフに就任。以後、同ホテルのレストラン「ラ・ブリーズ」、バンケットルーム「観季館」のシェフを歴任する。生産者と語り合いながら素材を一つひとつ吟味し、より自然で健康な「食」を追求し続ける日々だ。

種づくりから始める農業に共感
 2人が出会ったのは3年ほど前のこと。田村さんの「種採りワークショップ」に富岡シェフが参加したことが始まりだ。

料理人として常に食の安全について考えていた富岡シェフは、種から野菜作りを見直し、固定種や在来種の野菜を普及させようとする田村さんに共感。そして田村さんも、「体によい食べもの」を追求し続ける富岡シェフの姿勢に心を動かされた。
 これを機に互いの「仕事場」を行き来しながら交流を深め、生産者と料理人の立場から農業と食について学び合い、今日に至る。


 「体によい野菜」をめぐって意気投合した2人。次回は、固定種・在来種の野菜に対するそれぞれの思いを語ってもらいます。

(構成・川島省子)

※この記事は、2015年6月8日に栃木県那須高原山麓・横沢地区で開催された「山のシューレ」(主催:NPO法人アート・ビオトープ)の、「食といのちのワークショップ」の内容を再構成したものです。
◇山のシューレ http://www.schuleimberg.com/
◇NPO法人アート・ビオトープ http://www.artbiotop.jp/ 
◇田村和大さんが代表を務める「Cosmic Seed」
 (種を自家採取する任意団体)
 http://cosmicseed.org/index.html
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【たむら・かずひろ×とみおか・りょういち】
【田村和大】1980年岩手県生まれ。 東京都内の企業に就職するも、過労のため退社。療養中に食の大切さに目覚め、2011年に帰郷して農業を始める。固定種の種を自家採取して自然栽培で野菜を育てる傍ら、「Cosmic Seed」を立ち上げてその普及活動に取り組んでいる。
【富岡良一】1966年福島県生まれ。高校卒業後、東京の老舗会館「上野精養軒」で修業。六本木のフレンチレストラン「ヴァンサン」などを経て2005年7月に栃木県那須町のリゾートホテル二期倶楽部のシェフに就任。素材を吟味し、より自然で健康な「食」を追求し続けている。
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