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食べるしあわせ
白い豆腐の多彩な世界 豆腐マイスター
工藤詩織
第3回 変わりゆく豆腐屋の風景
昭和の時代には、街のあちらこちらにあった豆腐店。けれど今、その数は大きく減り続けています。そんな現実に驚き、「もっと豆腐の魅力を伝えたい」と活動を始めたのが工藤さんの原点です。第3回では、“街の豆腐屋さん”が変わり始めた背景とともに、新しい価値を模索しながら個性ある豆腐作りに挑む職人たちの姿について語ってもらいます。

豆腐に“個性”が生まれる背景
――第1回で、国産大豆にさまざまな種類があることに驚かされました。一方で、豆腐のパッケージには大豆の品種が書かれているのはあまり見ないように思います。

佐賀県産大豆と塩田にがりを使った、豊かな豆の風味が特徴の豆腐(東京・西荻窪、壽屋豆腐店)

 豆腐は、昔から庶民的な食べ物だったので、“どんな大豆を使うか”よりも“安定して作ること”が大切にされてきました。地域の組合から同じ大豆を仕入れることも多く、昔の東京では、豆腐に使う大豆のことを「組合大豆」と呼んでいたほどです。お米だと銘柄を選んで買う人が多いと思いますが、豆腐の場合、長い間、“大豆の違いを楽しむ”という文化がほとんどなかったのです。最近になって、遠方から大豆を取り寄せたり、産地の違う大豆を混ぜて“ハウスブレンド”を作ったりして、 “その店ならではの豆腐”を作ろうとする職人さんたちが増えています。

――なぜ、そうした個性ある豆腐を作る職人が増えてきたのでしょうか。

 背景には“街の豆腐屋さん”がどんどん減ってしまったことがあると思います。昭和初期には全国に5万軒あった豆腐製造業者が、令和5年のデータでは4,272軒まで減っています。昭和30年代には今のコンビニエンスストア数と同じくらい豆腐店があり、豆腐は“近所で買うもの”でした。組合があったので、地域のどのお店で買っても、豆腐の大きさや値段はほとんど同じでした。だから、どの店がおいしいか比べることもなく、店側も他店との差別化するより、毎日きちんと豆腐を作り続けることがいちばん大切だったのです。
 けれども昭和後期になると、スーパーマーケットが台頭してきます。消費者も専門店ではなくスーパーで豆腐を買うことが増えていきました。さらに、衛生基準も厳しくなり、昔のように桶を持参して豆腐を買うことも難しくなっていきます。一方で、“豆腐は安い食べ物”というイメージは、ずっと残っているため、価格で競争すればスーパーにはかないません。原料大豆の高騰、設備投資の負担や後継者不足もあり、多くの店が閉店していきました。

昭和初期、日本各地で見られた豆腐の行商風景(提供:全国豆腐連合会)


――厳しい現実の中で新しい豆腐作りに取り組む職人さんたちが現れたのですね。

 代替わりした若い世代を中心に、「これからは新しい価値を生み出していかないといけない」と考える職人さんが増えてきました。今は、通信販売で全国から豆腐を取り寄せられる時代です。だからこそ“選ばれる理由”が必要になります。組合にしばられず自由に競争し、「スーパーの豆腐とは違うんですよ」と伝えるために、大豆や製法にこだわり、その店ならではの豆腐を作ろうとしています。
 豆腐1丁が400円しても、「おいしいからこの豆腐を買う」と思ってもらわなければいけません。例えば、パン店ならば、国産小麦や製法にこだわるなどして「高くても、その店だから買いたい」という価値を作っています。豆腐店も同じです。工夫を重ねながら、“価格”ではなく“おいしさ”や“個性”で選んでもらおうとしているのです。そういう意識は、豆腐業界の中で高まっていると思います。

受け継ぎながら、変わっていく
――豆腐店というと、朝から晩まで働き続ける大変な仕事、というイメージがあります。

 醤油や味噌づくりがうらやましいなと思うのは、寝かせる時間があることです。豆腐は生鮮食品なので、毎日作らなければいけません。どんなにおいしい豆腐を作っても、その魅力を発信する時間がなかなか取れないのです。豆腐職人さんたちの集まりに参加すると、それをすごく実感します。飲み会があっても、夜8時くらいになると、皆さん時計を気にし始めるんです。「そろそろ豆を水につけないと」って、皆そわそわし始めるんですよ(笑)。

――そんな働き方も、少しずつ変わってきているのでしょうか。

引き売りを現代も行う「豆富司みしまや」。出来たての豆腐を家庭に届ける

 最近では、“昔ながらの豆腐屋の働き方”を見直す店も増えてきています。例えば、午後から営業する店や、お客さんがたくさん来る時間に合わせて油揚げなどの揚げ物を作る店、仕事帰りの人を対象にした店などもあります。従来のスケジュールを見直して、経営が成り立つように工夫しているのです。
 また、飲食店など他の事業と豆腐店を組み合わせるケースもあります。例えば、神奈川県湯河原町の「十二庵」さんは「出来たての豆腐のおいしさを知ってもらいたい」という思いから、イートインスペースを併設しています。ユニークな例では、東京都大田区にある「豆富司みしまや」さん。店舗販売のほかに週1度、昔ながらの引き売り(行商)を復活させています。

――豆腐店が減ってきた原因に、日本人そのものが豆腐を食べなくなった、ということはないのでしょうか。

 豆腐の需要自体は、大きく減ってはいないと思います。コロナ禍では、むしろ若干増えたぐらいでした。とはいえ、今はスーパーだけでなく、コンビニやドラッグストアでも豆腐が買えます。しかも、“まずい!”と思うような豆腐って、ほとんどありませんよね。わざわざ専門店に豆腐を買いに行く理由が弱くなっているのだと思います。飲食店も同じです。肉や魚はブランドにこだわっても、個性ある店から豆腐を仕入れようとはなかなかなりません。こだわりの豆腐を使っていても、よほどの高級店でない限り、白和えを1,000円で販売するのは難しいでしょう。

――その中で、豆腐店は新しい価値を模索しているのですね。

 その一つとして、「ニッポン豆腐屋サミット」(主催:全国豆腐連合会)というイベントがあります。全国の豆腐職人や業界関係者が集まり、豆腐作りの技術や取り組みについて勉強会や情報交換が活発に行われるイベントです。
 今は“競争”より“共創”。「いい大豆があるよ」と情報を共有したり、「今年はこの大豆が手に入らない、どうしよう」という相談に、「じゃあ、こっちはどう?」とほかの人がアドバイスしたり。豆腐店だけでなく、大豆問屋やディーラーも加わって、皆で知恵を出し合っているのです。豆腐店が大きく減ってしまったからこそ、競い合うより、皆で力を合わせよう、一緒に支え合おうというつながりが強くなっているのかもしれません。(つづく)

工藤さんが取材に訪れた豆腐職人たち。令和の新しい“豆腐屋”の姿を模索している


―― 朝早くから店を開けて、高齢の店主が黙々と豆腐を作る――。そんな昔ながらのイメージを払拭するような新しい豆腐店が少しずつ生まれている、と工藤さんは話します。豆腐店に足を運ぶことは、どこか懐かしい体験であると同時に、“新しいおいしさ”と出会う楽しみに変わりつつあるのかもしれません。次回(最終回)では、2025年大阪・関西万博での取り組みを通して見えてきた、豆腐の未来図を届けます。

(写真提供:工藤詩織、構成:小田中雅子)

★工藤詩織さんの公式instagramはコチラ⇒https://www.instagram.com/tofu_a_day
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【くどう・しおり】
1990年群馬県生まれ。豆腐マイスター、豆腐マイスター認定座学講師、食育豆腐インストラクター。幼少から豆中心の食生活を送り、豆腐がいつも暮らしの中心にある無類の豆腐好き。大学院で日本語教師を目指して勉強する過程で、食文化としての豆腐の魅力に目覚め、「豆腐マイスター」を取得。国内外で手作り豆腐ワークショップや食育イベントを実施して経験を積む。豆腐関連のイベント企画・メディア出演などを通して、各地で豆腐文化の啓蒙活動を行っている。著書に『まいにち豆腐レシピ』(池田書店)
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