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子どものこれから
「なぜ?」から未来が広がる 東京大学Kavli IPMU機構長
村山 斉
最終回 人生は可能性に満ちている!
 日本を代表する物理学者の村山斉教授から、理科や数学が好きな子どもを育てる極意を学ぶインタビュー。最終回では、アメリカ・カリフォルニア大学バークレー校の教授としても教鞭をとり、学会や会議で世界中を飛び回る村山教授の目に映る、現在の日本社会とそこで生きる子どもたちについてうかがいます。

――11歳から14歳までの多感な時期をドイツで過ごした村山教授は、国際基督教大学高等学校時代に受けたユニークな授業がきっかけで物理学に興味を持ち、研究者の道を選んだという。けれど、そういう目的を持てないまま受験システムに巻き込まれてしまう子どもは少なくない。どうすれば「学びたいもの」を見つけることができるのだろう。

 日本はアメリカに比べて平均して教育水準が高く、学習内容も充実していると感じます。一方、アメリカの学校教育で特に重視されるのは、「理論的に物事を考える力をつける」ということです。たとえば歴史の授業。アメリカの学校で学んでいる息子の様子を見ると、一つの歴史的事実の説明を受けた後に、クラスで議論をしたりしています。なぜ、こういうことが起こったのか、ほかの選択の可能性はあったのかなどを、生徒同士が話し合う。ある意味、本人がその歴史を追体験しているような感覚で、とても面白いのではないかと思います。

 教育の役割というのは、実はそういうものではないでしょうか。今やっている勉強そのもの、その行為が目的ではなく、それを通じて何らかの力を育てる。それが、その人の将来を形づくったり、生きるための役に立つ道具になる。

 それでも、高校3年のころはまだ「自分はこれがやりたい」とはっきりしたものがないのが普通だと思います。アメリカの場合、大学の教育システムに融通性があります。入学時には専攻を決めない「リベラルアーツ」の課程が2年間あり、そこで学問の基礎を学ぶ。さまざまな授業を体験し、興味のある分野を探した後で専攻を選ぶことができるのです。けれど、日本では大学受験の段階で「○○学部」と専門性が決められてしまい、途中での変更がなかなか難しい。あれは確かに酷だなと思います。

 日本の今のシステムの中ではなかなか難しいのかもしれませんが、たとえば入学後の転部や転籍などの可能性も含め、やりたいことを選べる余地のある大学という視点で進路を決めるのも一つのやり方ではないでしょうか。

――確かに自分の適性の判断は10代では難しいかもしれない。大学受験が見えてくるころになると理系か文系か決めて、そこからの進路変更は本当に大変だ。親も“将来がこれで決まる!”とばかりに一生懸命サポートし、拍車をかける。でも、それっていいことなのだろうか。

 アメリカに住んでいると、日本との違いがよく見えます。日本は全体として「やり直しがきかない社会」のイメージがあります。レールを敷いてまず道を決め、そこに乗っているうちはいいのだけれど、少し外れると落伍者になってしまいやすい。そして、一度そうなると立て直すのが非常に難しい印象があります。

 アメリカでは大学での専攻と全く違う分野に進むことはよくあります。物理学のドクターを修了後に金融業界で活躍する人などもたくさんいる。人生にいろいろな可能性があって、「一度選んだ道を一生歩かなきゃならない」という感覚はあまりないんです。

――帰国子女だった村山教授は帰国後、日本の大学の雰囲気に戸惑ったと聞いたが、同じように海外で育つ経験をした子どもたちも、やはりギャップを感じているのかもしれない。

 卒業した高校の保護者会に招かれて講演したとき、保護者の話に驚いたことがありました。
 帰国子女の大学生の娘さんが就職活動を始めるのでデパートにスーツを買いに行った。そして本人が気に入ったものに決めようとしたら、販売員に志望業種を聞かれ「その業界は、このデザインのスーツではとてもダメです」と言われたというんです。そして上から下まで販売員の“お勧め”があるというんですね。

 この経験を通してその大学生が受け取ったメッセージは何かというと、「自分は日本の社会の考え方が理解できていない人間なんだ」ということです。適応できない、なじめない自分がうしろめたい、アウトサイダーだという意識を強く持ってしまう。
 けれど私が後にその業種で活躍する人物に尋ねたところ、「スーツのデザインで入社試験の合否を判断することなど絶対にない」。むしろ、自分らしさやこれまでの経験から作られた個性をアピールしてくれることは大歓迎だというんです。

 つまり社会が勝手な憶測で“その人らしさ”を「消さなきゃいけない」と思わせている。柔軟性がないんですね。そうした風潮が、なかなか適性を見極めにくい要因にもなっているのではないでしょうか。
 ですから就職活動の段階でも、ぼんやりとした社会的偏見に惑わされずに、希望業種の個人的な知り合いにリサーチしたり、自分なりに業界研究を重ねることが大切だと思います。

――ご指摘のとおり、日本では「これはこうあるべき」「こういうときはこうすべき」という建前がはっきりとあり、そこから“常識”がつくられていることもしばしばある。たとえば、女性は理数系に弱い、というのも当たり前のように言われていたりするけれど……?

 最近は優秀な女性科学者が増えています。ヒッグス粒子を発見するための「ATLAS実験」で、世界から集まった3000人の物理学者を率いていたのは、ファビオラ・ジャノッティという女性の物理学者です。彼女はもともと文系の人で、ミラノ音楽院で学んだ経歴の持ち主でもありますが、「はっきり真実で白黒つけられる物理学を学びたい」と、大学から物理を専攻したそうです。

 このように、女性が理数に向かないなんてことは全くない。数学の試験結果などの統計で見ても、女性の理数系能力が劣るという証拠はありません。むしろ女性のほうができるということも多いくらいです。

 勝手な憶測にとらわれず、教育システムだけでなく社会全体がもっと柔軟になってくれれば、若い世代が自分の適性に合った生き方を見つけやすくなるのではないかと思います。

Kavli IPMUの開放的な交流スペースの吹き抜け。大きな柱には、「L’UNIVERSO É SCRITTO IN LINGUA MATEMATICA」と刻まれている。ラテン語で、「宇宙は数学という言葉で書かれている」という意味。かのガリレオ・ガリレイが残したというこの言葉は、そのまま宇宙の謎という大きな疑問に立ち向かう、この研究所の戦略を端的に示唆している

――そう言いながら村山教授はすっとパソコンの前に行き、すぐにジャノッティさんの記事をプリントアウトしてくれた。小さなことのようだが、こういう行動力が世界の卓抜した数学者や物理学者を束ねる機構長としてのリーダーシップにもつながっているのかもしれない。人生も宇宙も限りない可能性に満ちている……。インタビューを終えて外に出ると、雨上がりの空に宵の明星が輝いていた。
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【むらやま・ひとし】
1964年東京都生まれ。東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構(Kavli IPMU)機構長、特任教授。カリフォルニア大学バークレー校物理学科教授。91年東京大学大学院理学系研究科物理学専博士課程修了。理学博士。専門は素粒子論・宇宙論。素粒子理論におけるリーダーとして日本を代表する物理学者の一人。ベストセラーとなった『宇宙は何でできているのか』(幻冬舎)をはじめ、多数の著作で宇宙理論の最前線をわかりやすく解説している。
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