心惹かれる光景や生き物の姿に出会うたび、その瞬間にしかない命の物語をキャンバスに描き、記録してきた永沢さん。片や今は誰でもすぐにスマートフォンで写真が撮れる時代。永沢さんにとって、記憶や記録を絵として残す意味はどこにあるのでしょうか。――記録というと文字や写真を思い浮かべる人も多いと思います。絵だからこそ残せるものとは、どんなことだと考えていますか? 
永沢碧衣さん
記憶や記録に残す方法はいろいろありますよね。私も写真はたくさん撮ります。文章にすることもありますし、人と会話してその人の記憶に残してもらったり、逆に私も人の話を聞いて覚えたり。そういう意味では必ずしも絵にこだわりはありません。
それでも、絵には“温度感”を残せる力があるように思います。書き味や筆圧、筆跡まで含めて、いろいろな形で表現できる。何年経っても色あせない情報として、当時の感情も呼び起こしてくれる。それ自体が効力を持ち続ける媒体になってくれる。自分以外の誰かがそれを見てポロっと発した言葉で、新しい心の引き出しが開くこともあります。「今度はこういうふうに山を歩いてみよう」「こういう人に会いに行ってみよう」と次へ進むエネルギーが湧いてきたりします。ですから、言葉として書き出せないもの、写真でも収まらないものを絵としてアウトプットし、アーカイブしていくことは、私にとって一番良い方法かなと思っています。
最近になって、絵として残すことは “供養”でもあるかもしれないと感じるようになりました。アニミズム的に「ものにも精神が宿る」と考えたときに、その生き物が絵の画面に立ち現れる感覚があるのです。そう思うと、自分が向き合った生き物の一番いい表情――「かっこいいな、美しいな」と目を奪われた、その命が一番輝いて見えた瞬間を切り取りたいという気持ちになります。それに、そうした気持ちで描いていたほうが、自分以外の人にも愛してもらえる、残したいと思ってもらえる媒体になる気もしています。
――命はいつなくなるのかわからない。だからこそ残したい。そんな感覚でしょうか。 自分や出会った相手が、いつまで今の状態でいるかわからない、という感覚は常にあります。「記憶」や「記録」を意識して絵を描くようになったのも、身近に生死を感じた出来事がきっかけでした。大学在学中、父が病気で倒れて生死の境をさまよった時期があったのです。それまで私は「人を幸せにしたい」という気持ちで絵を描いていたのですが、自分の絵は病床の父の支えにはなりませんでした。
「一番近くにいる人が大変な時に、幸せを届けることができないんだな」と、ある種の限界を知った瞬間でした。同時に「自分にもいつか最後の絵を描くときがくる」という思いも芽生えました。それ以降、人に期待したり依存したりするものづくりではなく、自分にとって後悔のない絵を一枚一枚描いていきたいと考えるようになったのです。
描いた動物や植物が来年もそこにいる保証はないし、自分自身がいなくなっている可能性だってある。そこにもの悲しさを感じると同時に、出会いや、生きていたこと、心惹かれた輝かしい命をなかったことにはしたくない。ですから、作品によっては号泣しながら描くこともあるのです。
思い出深い作品のひとつが『還る者』です。モデルは秋田市の動物園にいた「鳥海」というイヌワシで、ヒナのころに鳥海山で保護され、2017年に国内最高齢の47歳で生涯を終えました。『還る者』は私が大学生だったころ、まだ存命だった鳥海を見て、その佇まいに惹かれ、それから数年後に描いた作品です。

『還る者』(2020年)/写真提供:永沢碧衣
この絵の持ち主になってくれたのは、秋田県に住む高齢男性でした。アートが好きで、作家と対話したうえで気に入った作品を購入されているとのことで、『還る者』も「床の間に飾って毎日拝んでいるよ」というほど愛してくれました。自分のコレクションで小さな展示会を開いて町の人と一緒に楽しむのも好きな方で、私の作品展も開きたいと言ってくれていたのですが、残念ながら実現する前にお亡くなりになりました。私の作品を購入してくださった方が亡くなられるのは、それが初めてでした。
でも、その後も作品はご自宅に飾られていて、ご家族が大切に見てくださっています。作品はある種の象徴として残り続けるし、時には持ち主よりも、私よりも長生きする可能性がある。そう考えたとき、あらためて「出会った命の生きざまをしっかりと形に残したい」と思うようになりました。
――作品は、いつかは必ず消えてしまう命を、その先の未来まで届けてくれる存在なのですね。今年(2025年)の夏にも、過去と未来をつなぐような作品が新しく誕生しました。
参加型の作品制作を行った西馬音内のアートプロジェクト/写真提供:永沢碧衣
今年6~8月にかけて、秋田県・羽後町の西馬音内(にしもない)地域で、伝統の盆踊りをテーマにした作品制作を行いました。
西馬音内盆踊りは、編み笠や頭巾で顔を隠した踊り手の姿がどこかミステリアスで、「亡者踊り」とも呼ばれています。絹布をパッチワークのように縫い合わせた端縫いと、藍染めの2種類の衣装があることも特徴的です。
今でこそ華やかな端縫い衣装が有名ですが、地元の方に話を聞くと、端縫い衣装は踊りが上手な方や、代々衣装を受け継いでいる家の方しか着ることのできないものだったそうです。昔の祭りの様子について「かがり火が照らす夜の通りに、藍染め浴衣と頭巾をまとった踊り手がひしめく中、ぽっとあかりが灯るように端縫い衣装の踊り手が現れて……」と記憶の中の光景を語ってくれた方もいました。そうした時代を覚えている方は、踊りの手の動きなどもやっぱり違うのですよね。
独自の文化を受け継いできた町の人たちの想いや精神性を、作品を通して表現できたらと思い、制作には地元の人や町を訪れた人にも参加を依頼。着物や藍染めの端切れをキャンバスに縫い込むなど、新しい表現方法にも挑戦しました。
――これまで描いてきた自然の風景や生き物とはまた違ったテーマで、たくさんの想いを残す作品になりましたね。今回お話を伺って、作品として記憶にとどめること、記録として残すことは、生きた証しでもあるのだと感じました。 命の正体、命の行方のようなものを探りたいのかもしれません。その旅の道中でたくさんの人と出会って、対話をして、いろいろな場所に身を置きながら絵を描くことで、足跡のように作品が残っていくんですよね。足跡は私自身のものでもあり、描いた生き物のものでもあります。そういう意味で、命の旅はつながっているように思います。(おわり)
2025年8月1日に完成した西馬音内盆踊りのアート作品『廻流』は、ハレとケと、その間にあるあわいの空間がまるで宇宙のよう。踊り手の手には地域に伝わるお囃子の歌詞の世界が描かれ、力強くも繊細な手指の動きが、祭りの夜に満ちる人々のエネルギーや祈りの心を感じさせます。この世に生きるものたちへ、深く優しいまなざしを向ける永沢さん。はかなくもまぶしい命の輝きを記憶にとどめ、記録に残そうとする作品は、命あるものへの愛情の証しであるかのようです。永沢さんがこれからどのような足跡を残していくのか、旅の行方から目が離せません。
『廻流』(2025年)/写真提供:永沢碧衣
(構成:寺崎靖子)