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美しいくらし
キャンバスに描くいのちの記録 絵画作家
永沢碧衣
第1回 心を動かす景色の理由
 深緑の山をまとうクマ、木の根と一体になり躍動するイワナ――。秋田県を拠点に自然や生き物をテーマにした絵画作品を手がける永沢碧衣さんは、9月13日から開幕する国際芸術祭「あいち2025」に参加するなど、その活動が注目される絵画作家です。創作の源とするのは、その土地に深く入り込むフィールドワーク。狩猟免許を持ち、マタギとしても活動しながら、命の現場での出会いや体験を絵の中に反映させていきます。そんな作品制作を「記憶や記録のための媒体を生み出す行為」と表現する永沢さんに、3回にわたりインタビュー。第1回では、永沢さんがなぜ自然や生き物を描くのか、その理由に迫ります。

――山や森に分け入り、五感で触れた風景や生き物たちを絵に描く永沢さん。中でも作品によく登場するのが、クマとイワナです。

永沢碧衣さん

 クマとイワナは、私にとって作品づくりの両軸といえる存在です。とくに、イワナをはじめとする魚は子どものころから大好きな生き物でした。生まれ育った山内地区(秋田県横手市)は自然豊かな環境で、父に連れられて渓流釣りにもよく出かけました。そんな記憶もあって、無意識に水辺の風景や生き物に惹かれるのです。イワナは川の源流域に生息する渓流魚で、山の上の冷たく清浄な水の中で暮らしています。生息地域によって、体にある斑点模様の大きさや色が異なるのも特徴です。その土地を映すような魚といえるかもしれません。そうした固有の生き方や、そこに連なる人々の暮らしなど、全てに心惹かれます。

――たしかに初期の作品には、水辺や魚の絵が多いですね。クマを描くようになったのはいつごろからですか?

初めてクマを描いた作品『背負う者』(2018年)

『宿る者』(2022年)

 美大生だった10年ほど前、マタギと出会ってからですね。マタギにとってクマは特別な存在です。山の神でもあり、狩猟でクマを得ることは「獲る」ではなく「授かる」と言います。今は私も狩猟者になり、クマと人間との切っても切れない縁や、隣人のような関係性を感じています。「怖い」という感覚はもちろんあります。でも、1年を通して心身の距離感や見え方がこんなに変わる動物もあまりいないと思うのです。イワナ釣りをするときには「クマに会わないように」と遠ざけるのに、狩猟となるとその距離を一気に縮めることになる。毎年毎年、その時の感じ方でクマを描くたびに、絵も変わっていきます。

 例えば『背負う者』は、私が初めて描いたクマの絵です。まだ狩猟免許は持っていなかったころで、恐ろしげなイメージが強く出ていますよね。狩猟を始めて数年後に描いた『宿る者』は、クマの巣穴調査での体験をもとに、ある種の想像のクマを描きました。クマが去った“空き家”の巣穴を見て感じた寂しさに、そこで冬眠していたクマが春を待ちわびながら見たであろう夢や、空っぽの巣穴を抱く木の気持ちなど、さまざまな視点や記憶を重ねています。

――マタギという立場での自然との関わりが、永沢さんの作品にとりわけ大きな影響を与えているのですね。この2枚の絵からもよくわかりました。でも、どんなきっかけでマタギになろうと思ったのですか?

冬山での狩猟の様子/写真提供:永沢碧衣

 マタギとの出会いは偶然でした。美大の作品制作の一環で、魚の生態を調べるフィールドワークをしていたときのこと。サケやマスを追って川を遡上していたら、たどり着いた場所がマタギの里、北秋田市・阿仁地区 だったのです。そこで川漁に携わっているマタギの方に話を聞かせてもらい、山や自然と真摯に向き合うマタギの暮らしを知りました。その姿に憧れて阿仁地区に通うようになり、5年ほど前に狩猟免許を取得しました。

 私は横手の猟友会に所属しているので、普段は市内の農作物を荒らす有害鳥獣の駆除に従事しています。秋から冬にかけての猟期には、駆除目的ではない一般狩猟を行えるため、山内や阿仁を中心に県内各地の山に入ります。最近は、勉強のために県外の猟に同行させてもらうこともあります。まだまだ学ぶことばかりで、見習いマタギという感じですが、「何かあったときに自分のことに自分で責任を持つ」という心構えはできた気がしています。

――マタギの世界と出会って、山や自然の見方はどのように変わりましたか?

 マタギの人たちは、山にあるあらゆるものに、自らの記憶と体験を刻んでいます。木一本とっても「あのときクマがこうやって登っていった」といった記憶とひもづいていて、落ちているフンは「ここは動物の通り道だ」と推測するヒントになります。葉っぱの湿り具合で、今さっき動物が通ったばかりだということも見抜きます。人間が見ることのできない、獣たちの世界を見る目を会得している。それこそフィールドワーカーの極みのようだと感じます。

 以前は、例えば紅葉している山を見て「きれいだなあ、これを絵に描こう」という感覚で景色を捉えていました。しかしマタギの目線を通じて、景色の中にあるものにより深く目を向けるようになりました。なぜこうした景色が生まれてくるのだろう、ここではどんな魚や動物が暮らしているのだろう、この景色はどんな人たちに支えられているのだろう……と、景色を構成する要素を知りたくなります。水の中にいる生き物について知ると、水辺を描く絵も変わってくる。水の中の視点を持って山を見ると、山の見え方もまた変わってくる。どんどんつながりが見えてきて、「だからこの景色に惹かれるんだ」と、心が動く理由を発見できました。

写真提供:永沢碧衣


――景色の中にある、生き物の暮らしや営みに面白さを感じているのですね。

 そのことも、マタギと出会ってから気がつきました。もともと美大時代から、気になった土地について調べたり、実際に訪ねたり、地元の人に話を聞いたりすることが好きで、授業以外でもフィールドワークのようなことをしていたのですが、根底には命の営みへの興味があったのだと思います。狩猟に関わる中で、それをはっきりと意識するようになりました。

 2023年に制作した『流転』は、狩猟でクマの死に立ち会ったときに感じた、命の連鎖を描いた作品です。横手の猟友会には昔のマタギの風習がまだ残っていて、たとえ有害駆除であっても、クマを解体するときには「ケボカイ」という儀式を行います。授かった(仕留めた)クマを川の上流に連れて行って、きれいな水で血を洗い流し、山やクマへの感謝を伝えてから解体作業を行うのです。このときふと頭に浮かんだのは、「洗い流したクマの血を、誰が一番はじめに口にするのだろう?」ということでした。そして「それはきっとイワナだな」と思ったのです。多くの命を糧にして森に生きたクマの命が、イワナという別の命へと受け継がれていく。そんなイメージを絵にしました。(つづく)

『流転』(2023年)


 美しくも厳しい自然の中で日々営まれる生き物たちの物語。次回は、幼いころから惹かれ続けた野山や川の記憶を、巡りゆく命の記憶とつなげて描き出す永沢さんの作品世界を訪ねます。

(構成:寺崎靖子)
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【ながさわ・あおい】
1994年秋田県平鹿郡山内村(現・横手市山内)生まれ。絵画作家。2017年 秋田公立美術大学 アーツ&ルーツ専攻卒業。狩猟免許を取得し、主に東北の狩猟やマタギ文化に関わりながら、「人と生物と自然」の関係性をテーマにしたアート作品を制作している。近年は横手市と北秋田市 の二拠点生活を送りつつ、県内外での作品展示や滞在制作など、活動の場を広げている。23年「VOCA展2023」VOCA賞受賞。24年「第9回東山魁夷記念日経日本画大賞」入選。同年、個展「永沢碧衣展 彼方の眼に映るもの」開催。25年「Reborn-いのちを織りなすアーティストたち-」展、国際芸術祭「あいち2025」などに参加。
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