2024年に誕生した『NIPPON防災資産』には、全国から100件を超える応募が寄せられ、そのうち22件が優良認定および認定案件として選定されました。選ばれた取り組みにはどのようなものがあるのでしょうか。第2回では、優良認定となった2つの伝承活動を紹介してもらいます。――佐藤先生がまず紹介したい防災資産として挙げるのが、新潟県関川村の「えちごせきかわ 大したもん蛇まつり」です。どのような活動か教えてください。 大したもん蛇まつりは1988年に始まった祭りで、村に伝わる大蛇伝説と、かつて村に甚大な被害をもたらした「昭和42年8月羽越水害」の記憶を重ね、竹と藁で作った巨大な蛇を担いで村中を練り歩きます。私は新潟出身という縁もあり、2018年ごろから大したもん蛇まつりを研究しているのですが、なにより興味をひかれたのは、この祭りが50年以上も昔の災害の記憶を伝え続けているという事実でした。そこには東日本大震災の教訓を30年後、50年後へと伝えていくための知恵が必ずあると思ったのです。実際に、祭りには災害伝承のさまざまなヒントが詰まっていました。

ギネスにも認定された全長82.8メートル、重さ約2トンの大蛇は迫力満点。祭りの日
には人口5000人の村に1~2万人の観光客がやってくる(写真提供:佐藤翔輔)
まず1つ目は「わかりやすいシンボルの存在」です。祭りで担ぐ大蛇の長さは82.8メートル。これは羽越水害が発生した8月28日に由来します。水害の発生やその時期が、自然と記憶に残るように工夫されているのです。2つ目は「メンテナンスが必要なこと」。竹と藁でできた大蛇は数年おきに作り直す必要があり、これが祭りの持続可能性を高めています。村民の共同作業による大蛇制作で、地域のコミュニティーも強化されます。
3つ目は「学校教育に組み込まれていること」。これは10年ほど前からの取り組みで、地元の中学生が大蛇の担ぎ手として祭りに参加します。村で育った人は必ず水害について学ぶことになるわけです。4つ目は「村外の人の参加」です。関川村も高齢化が進み、村民だけで祭りを継続するのは難しくなってきました。そんな村を助けたのが『IVUSA』という大学生ボランティア団体です。毎年祭りの季節になると団体を経由して大勢の大学生がやってきて、村民と一緒になって祭りを盛り上げてくれるのです。

佐藤翔輔先生
最後の5つ目は、実はこの祭りは「災害伝承のために始まったわけではない」ということ。私はこれを、災害の伝承にとって非常に大切な点だと考えています。ではもともとの祭りの目的は何かというと、村の地域づくりを担う人材育成なのだそうです。そこから「全村民が参加する楽しい祭りを作ろう」という企画が生まれ、村に伝わる大蛇伝説をモチーフにすることになり、そこへ水害の記憶も盛り込むことになったのです。災害や防災というのは、どうしても前向きな話になりにくい。それゆえ、必要だと思いながらもなかなか続かないのですよね。災害伝承以外の要素があることは、活動を継続していくモチベーションになるのです。
――意図したもの、意図しないものを含め、さまざまな工夫が村の水害の歴史を伝え続けることにつながったのですね。
関川村では、近年の水害で50年以上にわたる伝承の成果が発揮されることになりました。2022年に「令和4年8月豪雨」が発生した際、村では羽越水害を超える雨量が観測され、多くの建物や道路が被害を受けましたが、幸いにも犠牲者は一人もいませんでした。被災エリアには温泉旅館もありましたが、宿泊客を含め全員が安全な場所へ避難していたのです。村には「おそらく大丈夫だろう」と楽観的に考える人はおらず、皆が迅速に避難行動をとっていました。祭りをはじめとする日ごろの防災活動によって「ここは水害が発生する地域だ」という意識が浸透していたためと考えられます。
実はその後、もっと驚いたことがありました。前述したボランティア団体の大学生たちが、毎年祭りを手伝ってきた関川村の被災を知り、水害の復旧ボランティアとしても活躍してくれたのです。作業スピードが格段に上がったのはもちろん、若者が村に来てくれるだけで村のおじいちゃん、おばあちゃんは元気になったそうです。伝承活動が人命を救うだけでなく、復旧・復興まで早めるとは思いもよらないことでした。
――一つの防災資産にこれほど多様な学びがあることも驚きです。続いて、高知県黒潮町の「黒潮町の防災ツーリズム」も注目したい防災資産とのこと。こちらはどのような活動ですか? 黒潮町の防災ツーリズムは、想定南海トラフ地震に向けた同町の防災対策を見学・体験しながら、自然が持つ恵みと災いの二面性を理解し、自然と上手に付き合うための文化や知恵を学ぶプログラムを提供しています。多くの災害伝承は、当然ながら過去の災害の経験を伝えることを主とします。対して黒潮町の取り組みは、来たる南海トラフ地震という未来の災害を対象にしている点が特徴的です。もちろん南海トラフ地震には、想定南海トラフ地震があれば、過去に起きた南海トラフ地震もあります。黒潮町のケースは、過去を踏まえながら、切迫性の高い具体的な災害リスクを予見する活動である点が高く評価されました。
黒潮町が防災に力を入れるきっかけとなったのが、2012年に内閣府が公表した南海トラフ地震における被害想定です。同町には34.4メートルという日本最大級の津波想定が出され、マスコミにも大きく取り上げられました。このとき町の人たちはどのような状況だったと思いますか? パニックに陥るかと思いきや、実際はその逆。町には高齢の方が多く、皆さん「そんな大津波が来たらもう無理だ」と諦めてしまったのです。このときの津波想定には、それだけのインパクトがありました。危機感を抱いた町は、「避難をすれば助かる」という意識改革を目指し、さまざまな取り組みをスタートします。行政と民間が連携して防災ワークショップを繰り返しながら、浸水区域内の住民一人ひとりの避難カルテを作成。それに基づく避難道や津波避難タワーを建設し、定期的な避難訓練を続けました。
こうした取り組みをもとに生まれたのが、防災ツーリズムです。今や黒潮町は、国内外から多くの視察が訪れる防災先進地になりました。この取り組みは、災害への備えと同時に、“最悪の津波想定”を逆手に取って町をブランド化するという、地域おこしの取り組みともいえます。関川村と同様に、地域の防災対策にとどまらない活動によって、結果的に災害への備えが持続・発展するという好循環が見られます。
このように防災資産には、災害の記憶や、命を守る備えや知恵を未来へつないでいくための工夫が詰まっています。自分が暮らす地域や自治体で全く同じことをするのは難しくても、個々の要素のうち1つでも2つでも取り入れることに意味があります。また、長い目で見れば、今はうまく継承されていても、いつかは現状の形を維持できなくなる活動もあるでしょう。その意味では、「時代に合わせて形を変えられること」も持続可能性を高める要素といえるかもしれません。(つづく)
――地域に浸透する伝承には、「命を守る」という強い意志と、変化をいとわない柔軟な姿勢があるようです。柔軟さといえば、若い世代の得意とするところ。佐藤先生は中高生による東日本大震災の伝承活動もサポートしています。震災の記憶がほとんどない世代が伝承施設でガイドをする理由は「防災の大切さを伝えたい」というのはもちろん、「博物館の学芸員になるのが夢だから」「来場者と会話するのが好きだから」など実にさまざまなのだそう。そんな間口の広さも、伝承を絶やさない秘訣なのかもしれません。最終回では、佐藤先生が災害伝承を研究するようになったきっかけや、防災を自分事化するためのヒントを教えてもらいます。
みやぎ東日本大震災津波伝承館で開催された、県内の伝承施設でガイドを務める中高生による研
修会の様子。ワークショップでは現在の解説活動やこれからの震災伝承について意見を交わした
(構成:寺崎靖子)