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美しいくらし
直径9センチに込めた技と情熱 陶芸家
ブルーノ・ピーフル
第2回 山あり谷あり! メダルプロジェクト誕生の道のり
 『東北復興メダルプロジェクト』では、東北の工芸家たちの手によって61個の贈呈メダルが作られました。メダルを発案した山形在住のフランス人陶芸家・ブルーノさんには、当初さらなる壮大な構想もあったとか。インタビュー第2回では、メダルプロジェクトの誕生秘話と実現までの道のりに迫ります。

金銀銅……だけじゃない。工芸メダルに込めた願い


ブルーノ・ピーフルさん(写真:編集部)

 「伝統工芸の技でメダルを作る」。ブルーノさんがこのアイデアを初めて思いついたのは2013年、東京2020オリンピック開催が決まった年のことでした。「金銀銅のメダルを手にできない選手たちも、たくさんの努力をしてきたことに変わりはない。それなら選手全員に、日本でのオリンピック参加を記念する特別なメダルを贈りたい」。そんな気持ちを抱いたと言います。

 オリンピック、パラリンピックの全選手となれば、必要なメダルの数は約1万5000個。とてつもない数に思えますが、「どうってことはないよ」とブルーノさん。当然一人では無理ですが、日本全国でものづくりをしている人が何人いるか? と考えれば、その数は選手数の何倍にもなるからです。ある調査によると、伝統的工芸品の生産に携わる人は現在約5万人。うち半数でも1人1個のメダルを作ってもらえれば、必ずしも無謀な数ではありません。

 一方で、5万人という数字は、伝統的なものづくりが消えつつある日本の今を示します。その数は最盛期の5分の1以下で、1980年ごろを境に工芸品の生産は下降の一途をたどっているそうです。「多彩な工芸の技で作ったメダルは、日本の工芸の魅力を世界に伝えるきっかけになるはず」。メダルプロジェクトには、日本のものづくりを元気にしたいとの願いも込められているのです。

仲間の協力でついに動き出したプロジェクト


 とはいえ、オリンピックは国家レベルの巨大イベント。関連プロジェクトを実施するハードルは非常に高く、あらゆる方面に声をかけても話はなかなか進展しません。孤軍奮闘を続けるも、ただただ月日が過ぎていくばかりでした。

 転機が訪れたのは、それから4~5年がたったころ。東京造形大学名誉教授の玉田俊郎さんと、山形県長井市の漆工芸家・江口忠博さんが計画に加わってくれることになったのです。かねて交流があった2人には、創作メダルのアイデアについて当初から話をしていたそう。「玉田先生が海外赴任から帰国したタイミングで改めてプロジェクトについて話したら、『まだ諦めてなかったの?』と驚かれて。思わず『いや諦めてないよ!』と返したよ」とブルーノさんは笑います。

震災直後から被災地に寄せられた世界中からの支援


 心強い仲間を得て、メダルプロジェクトはようやく動き始めます。休みのたびに3人で山形市内に集まり、話し合いを重ねた結果、“東北”を軸に計画を再構築することに。「それならば震災時の支援に対する感謝を伝えたい」とテーマが決定。東北6県の工芸家にメダルづくりの協力を募ることになります。

東北の工芸家一人ひとりに熱烈なアプローチ


 大変なのはここからでした。当時、他地域の工芸家との交流はほとんどなく、人集めはゼロからのスタート。まずは各県の県庁に問い合わせ、県の工芸品のパンフレットを送ってもらうと、一人ひとりに電話をかけてアプローチを開始します。
 「協力者を探すのはいちばん大変だったね。朝から晩まで電話をかけた時期もあります。『面白いね』とすぐに賛同してくれる方もいれば、そうではない方もいました。ものづくりってみんな本当にいっぱいいっぱいなんです。工芸品が売れない時代で、生活が苦しい中、ボランティアでものを作る余裕はない。5分10分では説得できないから、1時間以上話したり、何度も何度も電話をしたり。しつこさに負けて参加してくれた方もいましたよ」

 ブルーノさんもまた、ものづくりをなりわいとする厳しさを肌で感じる一人です。日本に移り住んだ1980年代は、伝統的なものづくりが衰退に転じた転換期。大量生産の安価な商品が流通するようになり、「とてもやっていけないから」と辞めていく仲間を何人も見てきました。だからこそ何かせずにはいられない。一度失われた技術は二度と返ってこないのだから。そんな思いがブルーノさんを奮い立たせたのかもしれません。電話をかける手は止まることなく、声をかけた工芸家の数は100人を優に超えました。

 こうして少しずつ仲間を増やしながら、並行してメダルの制作もスタート。協力してくれる工芸家に向けた制作規定の案内や、完成品の受け取りに保管・管理、その他さまざまな事務手続きなどは玉田さんと江口さんに任せたそう。「私の得意でないところは全て玉田先生と江口さんが進めてくれました。最後は私がいらなかったくらい(笑)。2人がいなければ、プロジェクトが実現することはありませんでした」

 その後、新型コロナウイルスの流行で大幅な計画変更に迫られながらも、2020年には全てのメダルが完成。最終的に協力してくれた工芸家は総勢70名にのぼりました。(つづく)

仕事の合間に集まり、プロジェクトの打ち合わせをする皆さん

メダル展示会での玉田俊郎さん(左)とブルーノさん


――壁にぶつかりながらも、決して諦めないブルーノさんの信念と行動力には驚くばかり。「生活に苦労している作り手が大勢いるのにこんな企画を生み出して、余計なお世話ではあったんだけど」と話しますが、誕生した美しいメダルの数々を見れば、その“おせっかい”に感謝したくなってしまいます。支えてくれた仲間の存在もプロジェクト実現には欠かせないものでした。最終回では、ものづくりの多様な魅力が詰まったメダルたちを紹介します。

(写真提供:玉田俊郎、構成:寺崎靖子)
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【ブルーノ・ピーフル】
1957年フランス西部のル・マンに生まれる。陶芸の道を志し、76年からシャルトルのPoteries du Maraisで修業したのち、80年に来日。栃木県益子町の島岡達三氏に師事する。82年には銀座たくみにて卒業展を、84年にはパリで個展を開催。以降、国内各地で個展を開催する。85年に山形県大石田町に移り住み独立。創作活動のほか、地元小中学校で陶芸教室を開催するなど、地域の陶芸文化育成に取り組んでいる。
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