国立科学博物館の田島木綿子先生に、海の哺乳類である海獣(カイジュウ)について教えてもらうインタビューの2回目。20年余りにわたる研究者生活の中で、これまでに調査解剖したクジラは2000頭以上! 今回は、そんな田島先生が多彩な海獣の中でもこよなく愛するクジラたちにクローズアップして話を聞きます。
――前回のお話しでは、鯨類は90種類もいて、その中にはイルカやシャチも含まれると知って驚きました。

ヒゲクジラに分類されるニタリクジラ。ブラシのように見えるのがヒゲ板
鯨類は、生物学的に「ハクジラ類」と「ヒゲクジラ類」に大別されます。その名のとおり、歯があるのがハクジラで、口の中にプランクトンを漉しとる時に使う「ヒゲ板(クジラヒゲ)」が上あごに生えているのがヒゲクジラです。ヒゲといっても人間の髭とは全くの別もの。一見、巨大なブラシのような感じです。
鋭い歯をもつシャチはハクジラの一種で、皆さんよくご存じのザトウクジラはヒゲクジラに属します。地球上最大の動物である体長30mのシロナガスクジラもヒゲクジラの一種。ヒゲクジラは概して体が大きいのですが、オキアミや動物プランクトンなど小さな生物しか食べないのに、なぜ、あんなに大きくなれるのか? それは、一度に大量のエサ生物を食べるとき、そこで消費されるエネルギーが得られるエネルギーよりも少ないため、小さなエサ生物でもどんどん栄養源として取り入れられること、さらに、水中生活に適応した結果、重力から解放され、自重を自身で支える必要がなくなったことなどの理由により、あんなに大きくなることができました。
昔から人智を超えた自然の象徴として、人びとから畏敬の念を抱かれてきた大きな種をクジラと呼び、それに対して、愛くるしく可愛い4m以下の種をイルカと呼んでいます。しかし、クジラとイルカに生物学的な違いはなく、ヒト社会の慣習や風習から、そう区別されるようになりました。学術の世界では生物学的にどちらも鯨類です。
――日本人にとってクジラは昔、身近な存在だったように思います。それがだんだん遠くなってきたように感じるのですが……。
ヒトとクジラの関係が変わってきたことに要因の1つがあるのかもしれません。かつて、捕鯨全盛期時代、クジラを食糧と捉えていた世代の人たちにとっては、世界的な動向も重なり、クジラを食用として入手することは難しくなり、以前より遠い存在になってしまったのかもしれません。一方、クジラを生物と捉え、可愛い、格好良いと思う人たちも増え、彼らを守りたい、共に生きたいと活動している人も増えました。今はちょうど、このギャップを埋める時期にあり、ある世代では遠く感じ、ある世代には新鮮な動物として映っているのかもしれません。

アラスカシャチ。シャチはハクジラ類に分類される
クジラの仲間で私が一番好きなのは、この世界に入る気持ちを奮い立たせてくれたシャチ。学部生時代、シャチの本を読んだことをきっかけに、野生のシャチが生息するカナダのバンクーバーを訪れ、初めてシャチを見ました。シャチの英名は「キラーホエール(クジラ殺し)」、漢字でもサカナへんにトラの「鯱」と書く。これらの名前が示すように、同種でも殺して食べる、ただただ獰猛なクジラだと思っていました。一方で、複数個体で母系社会を形成し、その中でビッグママを中心にお姉さんや伯母さん、子どもたちがいて、群れのみんなで子育てや助け合いをして生きている。「ふーん、人間と似た社会構造なのか……」と感動しました。そこからはどんどん彼らの魅力に引き込まれていったのです。
――群れの全員で子どもたちを育てるなんて、彼らは活発にコミュニケーションをとっているんですね。
そうなんです! クジラの中でもザトウクジラの「ソング」は有名です。短いターンの音をいくつか連ねて、その連なりを繰り返し発するので、「ソング」と呼ばれています。3000kmも遠くまで届くといわれるほどで、水の中は音がよく通るとはいえ、遠くまで届く鳴音なんですね。

ドーム状の白いものがザトウクジラの耳の骨(撮影:編集部)
頭骨腹側の後ろの方には、ドーム状の白い耳の骨が左右に1つずつあります。人間の場合、大気の振動を鼓膜が感知して神経に伝えていますが、海の中では水圧の影響で、鼓膜を使うよりもこの耳の骨を大きくし、いわば楽器のホルンのように入ってきた音を中で共鳴させて、内耳の神経に伝えるようになりました。こうした進化も、海で生きるために適応した結果なのでしょう。
同じくクジラの頭骨を観察してみると、吻(動物の口先)側に長く伸びる三角形状の骨があります。実はこの部分は、私たちの鼻の下、つまり鼻下から上唇に至るわずかな部分で、前上顎骨と上顎骨です。この伸びた部分には、ハクジラではエコロケーション(音響定位)に関与するメロンと呼ばれる音響脂肪が存在します。ヒゲクジラではメロンはありませんが、摂餌器官であるヒゲ板が、口の中で生え揃うための長い上あご部分に相当します。
鼻の孔は、頭のてっぺんである頭頂部に移動しました。この結果、クジラたちは頭頂部に移動した鼻の穴から息つぎし、それと同時に、目では水中を探索しています。この動作は、何かに似ていると思いませんか? 海でのシュノーケリングです! 我われもシュノーケルを付ければ、呼吸のために顔を上げずとも、息づきしながら水中探索が可能です。この原理を、イルカ・クジラは自身の頭骨で完結してしまったのです。
このように、海獣と私たちの体は基本的に同じパーツで構成されていますが、生活環境に適応するためにその形や数を変化させ、実に巧みに進化してきた証しを見ると、素直に感動してしまいます。(つづく)

ザトウクジラの頭骨について説明する田島先生(撮影:編集部)
――田島先生の話を聞くうちに、海獣たちが神々しく感じられるようになってきました。クジラのことを何も知らずに、小学校の給食では鯨肉の竜田揚げが好物で、大人になってからは「日本酒なら酔鯨でしょ」なんて言ってる自分が恥ずかしい……。次回は、巨大なクジラの骨格標本の作り方など、「博物館の仕事」を中心に聞きます。(写真提供:田島木綿子、構成:白田敦子)