江戸時代に爆発的な大ブームを巻き起こしたとされる串団子。なぜ江戸っ子たちに受け入れられたのでしょうか? 時代背景や串団子にまつわる言い伝えをもとに、串の刺し方や玉数の不思議をひも解きます。
――供物から庶民の食べ物へと時代とともにその役割が変化してきたお団子。江戸時代では串団子ブームに火が付いたといわれています。 串に刺すお団子は鎌倉・室町時代からあったのですが、江戸の庶民には、忙しい合間にすぐ食べられるフィンガーフードの串団子が受け入れられました。町にはお団子を提供する茶店や屋台が立ち並び、籠を棒で担いで商売する棒手振(ぼてふり)が、お団子を売り歩いたといいます。
――串団子といえば、気になるのが串に刺したお団子の数。いくつ刺しているのが一般的だったのでしょうか? 価格は1串5文、1玉1文の計算で5玉だったようです。語呂がいいから団子の数を5玉にしたとか、季節の花見団子だけ3玉にしたという説もあります。その後、支払いに便利なワンコインの四文銭が発行されてからは1串4文になり、団子の数も4玉に減ったそうで、名残なのか関東では今でも4玉が多いですね。
――では、関西は? 1串5玉の傾向が強いですね。みたらし団子の発祥の地とされる京都の「加茂みたらし茶屋」の串団子が5玉であることも関係していると思います。面白いことに東北になると、あまり串を刺さないんです。容器にお団子を並べて、タレを上からかけるスタイルをよく目にします。
――ブームに沸いた江戸のお団子はどんな味だったのでしょう。
加茂みたらし茶屋のお団子
砂糖はかなりの希少品だったので、現在のような甘味はほぼ期待できません。当初は醤油をかけただけやデンプンでとろみをつけるくらいのシンプルなものが主流でした。一方、カラフルな花見団子や、きな粉をかけた草団子、砂糖の代わりにクルミを潰してからめる“おしゃれ団子”が登場したのも江戸時代。町の発展とともに食べ方の多様化が進みました。
かさを増したり、香りや色を楽しんだりするほか、薬効のために、その土地で手に入るソバやヨモギ、イモなどを入れる工夫は、江戸時代以前からされていたようです。今も全国各地で多彩な味わいが存在しているのも、そうした地域性が影響しています。
串の刺し方やお団子の形状にもそれぞれ特徴があります。先ほど紹介した京都の串団子は、1つ目とほかの4つの団子の間を空けて刺して、人間に見立てているのが名物です。このほか、願いが叶うようにと、串が団子から飛び出たものもあれば、弓型や真ん中を凹ませたへそ型のお団子も。串団子一つにも古くからの言い伝えや郷土色が残っているので、いろいろなお団子に出会うたびにその地域の歴史を学びたくなります。(つづく)
次回(最終回)は、「お団子のことをまだまだ知りたい!」という人に送る特別編。おいしいだけに留まらないお団子の真の魅力に迫ります。〇〇〇— おだんご先生おすすめのお団子を紹介!〇〇〇—
全国500店もの食べ歩きの中から特に印象に残ったお団子屋さんを毎回紹介してもらいます。
【住吉団子本舗本店】
住所:大阪市西区新町2-19-23
「モチっとした弾力とそれに絡むタレの濃さがちょうどいい。熱々のみたらしダレをたっぷりかけてくれるので、温かいままを楽しめます」
(写真提供・芝崎本実、構成・狭間由恵)
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