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ビートルズ~アートの視点から読み解く4人の奇跡 東海大学国際文化学部教授
石塚耕一
第2回 『ウィズ・ザ・ビートルズ』

※このWEB連載原稿に加筆してまとめた単行本『ビートルズのデザイン地図』が絶賛発売中です(発行:東海教育研究所、発売:東海大学出版部)。


 ビートルズ結成前夜、若き日のジョン・レノンはリヴァプール・カレッジ・オブ・アートに入学し、スチュワート・サトクリフと出会いました。スチュアートは画家としての才能に恵まれ、2人は意気投合し共同生活をするようになります。ジョンにとって、音楽のパートナーがポール・マッカートニーであるとするならば、アートのパートナーはスチュワートであったとも言えます。「Beatles」というグループ名もジョンとスチュアートが考え出した造語で、音楽の「Beat」とカブトムシの「beetle」を掛け合わせたものです。スチュアートは、ジョンの勧めでベーシストとしてビートルズに加入し、1960年のドイツ・ハンブルグ巡業に同行します。そこで写真家を目指していたドイツ人女性のアストリッド・キルヘルと出会ったのです。

 アストリッドはハンブルグで生まれ、美術学校で写真を学んでいました。恋人でミュージシャンのクラウス・フォアマンに連れて行かれたビートルズのライブで、スチュアートと知り合い恋に落ちます。以後アストリッドはスチュアートとビートルズの写真を撮影し始めます。ビートルズにしてみると、メジャーデビューする前から撮られることを意識する機会を得ていたことになりますし、それを通して写真の持つ魅力に触れることになったのです。アストリッドは遊園地のトラックなどを背景にビートルズが楽器を抱えた写真などを撮影します。ジョンやポールを近景に配置し、スチュアートを遠景にしてぼかすという写真にはアストリッドの才能が感じられますし、「ハーフシャドウ」と呼ばれる顔の半分に光を当てる手法はビートルズのお気に入りでもありました。ちなみに、アストリッドと恋に落ちたスチュアートはビートルズを離れ、画家としての道を歩むことを決意したのです。

(C)Koichi Ishizuka
 『ウィズ・ザ・ビートルズ』のアルバム・ジャケットの作成にあたっては、そのアストリッドの「ハーフシャドウ」のようにしたいというのがビートルズの考えでした。ジョンは階下に住んでいたロバート・フリーマンという若手写真家を引っ張り出して撮影を依頼します。ロバートはビートルズの意見を聞きながらその撮影に取り組むことになります。場所はパレス・コート・ホテルの食堂で、カーテンを使い、窓から入る光で撮影しました。美術学校を出たばかりのロバートにとって、人気急上昇中のビートルズを撮影できたことは大きなチャンスであったに違いありません。こうして、ロバートはビートルズが求めたイメージを実現させるのです。

 その魅力はモノクロ写真による4人の顔の強調にありました。「ハーフシャドウ」を採用したことによりアーティスティックなイメージをもたらすことができました。当時のアルバム・ジャケットはカラーが一般的であり、人気急上昇中のバンドには相応しくないとの意見もあったようですが、その革新性がビートルズらしさでもありました。同時に、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』で知ることができなかった一人ひとりの個性を肖像画のように印象づけることに成功しています。ビートルズが提案したアートワークということもあり、4人の表情からは自信のようなものが伝わってきます。

 撮影では4人が一列になったものや、リンゴ以外のメンバーが入れ替わったポジションにもチャレンジしています。最終的にはリンゴを右下に配置したものが採用されました。これはリンゴがポールの横にいると、全員の顔が小さくなり空間処理が難しくなることやピントの問題を解決するためと考えられます。完成したジャケットは、一人ひとりの顔を大きく見せたい、ピントをそろえたい、4人を均等な「ハーフシャドウ」にしたいなど、試行錯誤の末に生まれた結果ではないでしょうか。構図的には少しバランスが崩れていますが、この不安定な要素こそが画面に動きを与え、4人の存在を際立たせることにつながっています。

(C)Koichi Ishizuka
 『プリーズ・プリーズ・ミー』が緻密に計算されたジャケットであるのなら、『ウィズ・ザ・ビートルズ』は現場で模索しながら生まれた偶然の産物のようなものなのです。その創造性がビートルズらしさであり、世界で最も有名なアルバム・ジャケットの1枚にしてしまったのです。元ロード・マネージャーだったニール・アスピノールは、「あれ以来、ビートルズはアルバムのアートワークのあらゆる面にかかわるようになった」と述べています。ビートルズは音楽同様に、その顔とでも言うべきジャケットにこだわるようになったのです。

 ビートルズの登場はそれまでのレコード業界の常識を覆すことばかりでした。演奏がエネルギッシュであること、作詞作曲を自前でこなすこと、全員がボーカルを担当すること、カバー曲なのにオリジナルを超えていること、爆発的なセールスを記録したこと、ファションにまで影響を与えたことなどきりがありません。その火付け役となったのが、ラジオ、雑誌、新聞などの存在でした。しかし、巨大なビートルズ・ムーブメントを生み出す原動力なったのはこのジャケットのインパクトでもありました。実は、アメリカや日本などで編集されたデビュー・アルバムにはこの写真が採用されることになったのです。こうしてこのジャケット、世界中で有名になり多くのパロディを生み出すことになりました。

 『ウィズ・ザ・ビートルズ』は1曲目の『イット・ウォント・ビー・ロング 』から最後の『マネー 』まで、まるでビートルズのライブに参加しているかのようなみずみずしさがあります。前作よりもハーモニー、ボーカル、演奏技術などが向上し、当時ヒットしていたシングル曲を入れなくてもビートルズの魅力が伝わります。それだけの創造力をこの時点から持っていたということでしょう。ポールの『オール・マイ・ラヴィング 』にはメロディーメーカとしての天性の才能が感じられますし、ジョンの『マネー』でのボーカルは圧倒的な存在感を示しています。ジャケット、音楽ともにビートルズの存在感を定着させることになったアルバムと言えるでしょう。


THE BEATLES『with the beatles』(ユニバーサル・ミュージック)
デビューから約1年後の1963年11月に発売されたビートルズ2枚目のオリジナル・アルバム。前作『PLEASE PLEASE ME』以降に発表されたシングル『From Me To You』や『She Loves You』などのヒット作を収録しなかったにもかかわらず、発売直後に30週にわたって1位を守ってきた『PLEASE PLEASE ME』に取って代わり、ヒットチャートのトップに輝いた。アルバム・ジャケットの写真は、アメリカでの実質的なデビュー・アルバム『Meet The Beatles』や日本でのデビュー・アルバム『ビートルズ!』でも使用された。写真は2009年にデジタル・マスター使用で発売された紙ジャケット版

※石塚耕一先生のブログ「学びの森」はこちらから
http://manabinomo.exblog.jp/
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【いしづか・こういち】
1955年北海道生まれ。北海道教育大学卒業。北海道おといねっぷ美術工芸高校や北海道松前高校などで校長を務め、2013年より東海大学国際文化学部デザイン文化学科教授。アート、デザイン研究と同時に絵画や映像などの制作にも取り組み、北海道内を中心に数々の個展を開催。おといねっぷ高の生徒たちの成長を描いた著書『奇跡の学校 おといねっぷの森から』(光村図書・2010年)は、韓国でも翻訳版が出版されている。
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