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美しいくらし
プロヴァンスの香りを風にのせて TELEMMe研究所 客員研究員
安達未菜
第1回 よみがえる中世の民衆世界
南仏プロヴァンスの詩人フレデリック・ミストラルの生涯や作品、その精神を受け継ぐ人々を追った、安達未菜さんによる好評連載「ミストラルの面影を探して」。安達さんは、2026年8月から約8カ月間の予定でエクス=アン=プロヴァンス(以下、エクス)に滞在し、エクス=マルセイユ大学の研究所を拠点に調査を進めながら、各地の祭りを訪ね、現地の人々との交流を重ねています。新連載では、長期滞在だからこそ出会えたプロヴァンスの風景や文化、暮らしの中での発見を、現地から綴ってもらいます。

ル・ピュイ=アン=ヴレで行われた「鳥の王の祭典」でのビニウ(Biniou、バグパイプ)
と太鼓による演奏


心配していた長期滞在用の査証は、受け入れ先の所長の一筆のおかげで難なく発給され、いよいよフランスに飛び立つぞ!と、飛行機に乗ったのも束の間。なんと2時間遅れでの羽田空港からの離陸。管制塔の指示待ちで、飛び立ったのは日付を超えた深夜遅くでした。

トゥーロン駅のホームで見守る星の王子

15時間のフライトを経て、早朝のシャルル・ド・ゴール空港到着からTGV(高速列車)乗車までは、2時間の空きを確保していました。今回はさすがに間に合わないだろうと思いヒヤリとしたのですが、離陸後はスムーズに事が進み、乗り継ぎのアヴィニョンまで直行できました。ところがその矢先、今度は見慣れた駅の姿に安心しきって、何と別の電車に間違って飛び乗ってしまいました。電車は地中海に面する都市トゥーロンまでノンストップ。むなしく戻りのホームで星の王子に見送られ、マルセイユ経由でようやく目的地のエクスに着いたのは、すでに夕方の4時過ぎ。機内で眠れなかった私は、時間を感じさせない太陽光の下、ホテルに着くやそのままベッドで横になりました。そして翌日、研究者用のゲストハウスに無事落ち着くことができたのです。

ということで、出発当初からあれこれあったので、どんな滞在になるやらと恐れていたのですが、到着から1ヶ月が過ぎ、この記事を執筆している今は、大過なく過ごしています。この間、濃密な時間を過ごし、客員研究員として受け入れていただいた南欧・地中海圏総合文化研究所(略称テレム、TELEMMe)では、ありがたいことに研究室を一室用意していただきました。

研究所内のメディアテック

研究所付属のメディアテックには、なんとおよそ300万冊もの文献が揃っています。プロヴァンス史関連の史資料を見つけて大興奮! 早速数冊借りて、研究室に持ち帰りました。研究所のスタッフ全員が揃った会議の場での自己紹介スピーチは、少し緊張しましたが、無事に終え、今は研究に奮闘する日々です。

教会階上席(階廊席)から、祭典でのミサの様子

いつも私を迎えてくれるマイヤンヌ(フレデリック・ミストラルの故郷)。今年も9月初めにミストラル祭が開催され、早速参加しました。今回は、マイヤンヌの元副市長ユージェニー氏のご招待で教会階上席(階廊席)からミサに立ち会うことができました。ほかにも、週末になると各地に足を運び、紹介したい話が山ほどあります。

最初の訪問地で心に残っているのは、大学で知り合った友人の誕生日に訪れたマルセイユのイフ島です。沖合に位置するこの孤島には堅固な城塞シャトー・ディフ(château d’if)がそびえ立っています。宗教改革時代のカトリック国王フランソワ1世の治世下の1524年に建設され、1545年から200年以上にわたり、敵対するプロテスタント信徒を幽閉する牢獄として使われていました。ところが、アレクサンドル=デュマの長編小説『モンテクリスト伯』の中で物語の舞台の一つとして取り上げられたことがきっかけで注目を浴び、今ではマルセイユを代表する人気観光スポットの一つになっています。

小説中の牢獄は、主人公の若き船長ダンテスが晴れの結婚式当日、恋敵や彼の昇進をねたむ男爵らによって濡れ衣を着せられて監禁された、薄気味悪く狭い部屋という設定でした。あいにく私が訪れた日は、波が高くてフェリーは欠航でしたが、別に運航していた水上バスで行くことができました(約20分)。城塞の中に入ると、ぐるりと林立する牢獄部屋に、歴史や文学作品を説明するパネルなどが設置されていて、その中には山内義雄の邦訳(岩波文庫)の第1巻も展示されていました。屋上にはマルセイユを眺望するカモメの姿が! 人が近づいても微動だにせず、じっと海を眺める姿はまるで監視塔の衛兵カモメ。今もイフ島のてっぺんから港町のパノラマを眺めているのでしょうか。

孤島の城塞シャトー・ディフ

イフ島てっぺんにたたずむカモメ


先週の日曜日には、「鳥の王の祭典」(Fêtes Renaissance du Roi de l'Oiseau)に行ってきました。お祭りが行われたル・ピュイ=アン=ヴレ(Le Puy-en-Velay)はオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地方にあり、リヨンから列車で片道2時間半ほどです。ル・ピュイは、ローマ、イェルサレムと並ぶ中世の三大巡礼地の一つであったスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの出発地でした。

ノートルダム・デュ・ピュイ大聖堂の内部には11-13世紀のフレスコ画があります。中央には、拷問器具の一つである突刺輪に括り付けられた王族出身の賢く美しき聖女カタリナ(Sainte Catherine d'Alexandrie)と、その傍に車輪を砕く天使たちが描かれています。左下で肘を付いて見上げているのは、キリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝(在位306-337年)の宿敵であるマクセンティウス。中世ロマネスク美術史の高名な研究者フォション(Henri Focillon)が、かつて「枠組みの法則」の理論構築において重要視したフレスコ画の一つで、皇帝により今にも処刑されそうになっている少女カタリナの殉教の場面です。
修士課程在学中に授業で学んではいたのですが、間近では見たことがなかったので、前々から楽しみにしていたのです。彩色豊かなこの壁画について、主題である聖女カタリナの奇跡を大胆で自由に描き、副次的な内容を脇に描いたと解釈するのか、それとも赤いラインで縁取られた枠組みが構図に決定的な影響を与えたと読み込むのか――。皆さんは、どちらの印象をもつでしょうか。彼女を通じて改心した人々の視線は、画家自身の心と一致しているように見えます。きっとその心のままに目一杯に聖女のイメージを表象したのではないでしょうか。

ノートルダム・デュ・ピュイ大聖堂のフレスコ画


大聖堂は、祭りの最中はプロセッションと呼ばれる祈祷行列のルートの出発点になっています。庶民、商人、騎士、貴族など各身分に扮した地元の人々が、街中を練り歩きます。狩人、漁師、大道芸人さながらの芸人や手品師の色とりどりのコスプレ、それになんと魚売りが放つ腐った魚の強烈な臭いまで忠実に再現するのです。私自身も、移動式風呂屋のオジサンに頭から石鹸水をかけられました! まさに16世紀のネーデルランドの画家ブリューゲルが描き出した素朴な民衆たちが、まるでキャンバスを抜け出して21世紀のル・ピュイの街角に飛び出してきたよう。「鳥の王」に扮装した人まで登場し、遠い中世の世界を身近なものとして想起させる仕掛けがたくさんありました。
私にとって興味深かったのは、なんといっても中世のジョングルール(旅芸人)の歌が流れたこと! ビニウ(Biniou)と呼ばれるバグパイプと太鼓が奏でる音楽に合わせて踊る人々。当時の民衆の日常生活を彷彿とさせるさまざまな工夫に感銘を受けました。

祈祷行列で「鳥の王」などに扮装した人々


ここから西に200キロ弱離れたところに、もう一つの〝ル・ピュイ〟、すなわちル・ピュイ=サント=マリー(Le Puy-Sainte-Marie)があります。ル・ピュイ=サント=マリーの宮廷では、トゥールーズ伯レイモン6世(在位1194-1222年)の時代に、吟遊詩人のトルバドゥールたちが宮廷風恋愛や騎士道精神を自由かつ高らかに歌い上げた、オック語の華やかな文学世界が最盛期を謳歌していたのです。ル・ピュイ=アン=ヴレ出身の吟遊詩人もいたので、宮廷にも出入りするジョングルールたちも、その故郷の街をにぎやかに闊歩していたのではないでしょうか。

さて、祭りの後は、小道具を袋に詰めて家に持ち帰ってから、地元の人々は疲れをねぎらって外でにぎやかに一杯やっていました。ハレの日の祭りの短いひとときと、平穏な日常生活の合間を、人と人との絆で結びつけるように。(つづく)
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【あだち・みな】
1990年、東京都生まれ。神奈川県育ち。エクス=マルセイユ大学付属南欧・地中海圏総合文化研究所(略称テレム、TELEMMe)客員研究員。東海大学文学部ヨーロッパ文明学科を経て、博士課程前期・後期を同文学研究科文明研究専攻にて修学し、2021年に博士(文学)を取得。専門分野はフランス近現代史、文明学、社会言語学。研究対象は近現代の地中海地域圏に拡がる汎ラテン主義思想。地域主義団体「フェリブリージュ」とその交流関係から、ラテン民族を紐帯とする超国家的な地域主義者の連帯という新たな思想水脈、あるいはその社会構想の試みについて研究している。
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