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かもめアカデミー
展覧会を創る・伝える・育む【全3回】 読売新聞東京本社文化事業部
津屋式子
第1回「メディアが牽引する展覧会」
 数多くの企画展が開催されている“展覧会王国”日本。それを支えているのが新聞社やテレビ局などのメディアであることは、あまり知られていません。アートと社会の架け橋として展覧会事業を牽引しているのが、新聞社やテレビ局などのメディアに所属する展覧会プロデューサー。今回は読売新聞東京本社事業局文化事業部の津屋式子さんに、展覧会企画制作の最前線についてお話しいただきます。

プロデューサーの仕事は、「商業的に」イベントを成功させること
 新聞社やテレビ局にはイベントを企画するセクションがあることをご存じでしょうか? これらのチームは、文化、スポーツ、教育など多彩なイベントを開催しています。私は読売新聞東京本社事業局文化事業部の企画担当者のひとりとして、展覧会の企画制作に携わっています。ここではわかりやすく、“プロデューサー”ということにしましょう。プロデューサーの仕事とは、イベントなどを企画し、予算やスケジュールを管理して最終的に収支の責任を負うこと、つまり内容やクオリティはもとより、「商業的にも」その事業を成功させることです。

日本は展覧会王国~充実している日本の展覧会事情
 さて、皆さんは日本で開催されている展覧会についてどのような印象を持っていますか? 私は2度の海外留学により、日本の展覧会を「外側」から見る機会を得ました。最初はベルリンの壁が崩壊した1989年。アメリカ・ロードアイランド州にあるブラウン大学への留学を機に、欧米の美術館に頻繁に行くようになったのです。このときの印象は「なんと日本と違うのだろう」というものでした。単純に、美術館の建物の豪華さや貴重な作品群に圧倒され、そこでゆったりと過ごす人々の姿に感心してしまったのです。
 2回目は2008年でした。本格的に展覧会の企画制作を担当するようになっていましたが、美術を専門に学んだことがなかったので一念発起して会社の留学制度に応募。ロンドンのサザビーズ・インスティテュート・オブ・アートに約1年留学し、展覧会業界の問題、プロデューサーとしての自分の課題などについて考えながら、西洋美術史やアートビジネスのコースを専攻しました。
 このときに感じたのは、「日本の美術展は悪くない。むしろ素晴らしいのではないか」ということでした。日本、特に東京では、週末ごとに出かけても全部観ることができないほど数多くの、質の高い展覧会が開催されています。また、企画や運営、宣伝方法なども時代に合わせて変化し続けています。こういう環境は世界でも群を抜いています。東京は展覧会という「現場」を勉強できる恵まれた場所ですから、皆さんにはできるだけ美術館に足を運んでほしいと思います。

メディアが牽引する日本の展覧会
 読売新聞が戦後、最初に主催した大規模な展覧会は戦後間もない1951年、東京国立博物館での「マティス展」でした。また、戦後から数十年間は国立の美術館だけでなく、メディアと百貨店が協力し、店内や付設の美術館で本格的な展覧会を盛んに開催している時代でもありました。しかし景気の低迷や時代の変化により、百貨店での展覧会は徐々に縮小してしまいます。そうした中でも読売新聞は時代の変化に適応しつつ、「展覧会プロデュース」というビジネスを途切れることなく続けてきました。今では、大規模展は国公立の美術館または企業が展開する本格的な私立美術館を会場に、メディアが美術館と共催で開催し、場合によっては企画を東京だけでなく地方都市にも巡回させるスタイルが主流となっています。
 意外に思われるかもしれませんが、大規模展覧会の多くはメディア側が企画して美術館に提案しています。もちろん、学術的なこと、専門的なことは学芸員や美術史家の先生方の力を借りますが、所蔵者との交渉や契約、資金の手当てから作品輸送、展示、会場運営まで、ほとんどあらゆる実務をメディア主催者が行います。プロデューサーの仕事は魅力ある企画を立案して現実のものとすることですから、長い時間と大きな労力をかけて「自分のやりたい企画を実現できる」という意味で、「クリエイティブ」な仕事と言ってよいのかもしれません。

記憶に残る展覧会
 「展覧会の企画」といってもさまざまな切り口があります。私が担当してきた展覧会をいくつかご紹介しましょう。

作品を1点だけ展示する
「踊るサテュロス展」 2005年、東京国立博物館・表慶館ほか  

 シチリア沖の海底で奇跡的に発見された2000年前のブロンズ像「踊るサテュロス」を日本初公開しました。もともと愛知万博のイタリア館での公開が計画されていたところ、「せっかく日本に持っていくのだから、まずはぜひ東京でも展示したい」というイタリア側からの急な要請を受ける形で、この1点だけを展示する展覧会でした。

一国の文化を紹介する
「スリランカ文化遺産展」 2008年、東京国立博物館ほか 

 スリランカの仏像や工芸品など約140点をはじめ、世界遺産登録されている遺跡や自然などを紹介する展覧会を開催しました。このような展覧会は、自国の文化を日本に紹介したい、という大使館や関係者などからの相談から企画が始まることが多いのですが、所蔵品を借りる相手はたいてい、初めて付き合う博物館や所蔵者です。そのため国外に作品を貸し出す経験が少なかったり、メディアが展覧会を開催するという、日本独自のスタイルに慣れていなかったりするため、地道に一からのコミュニケーションを積み重ねて信頼関係を築かねばなりません。また日本でほとんど知られていない文化や展示内容で集客するには、広報宣伝にもさまざまな工夫が必要でした。

一般にはなじみの薄い宝物の真の価値を伝える
「妙心寺展」 2010年、東京国立博物館ほか 

 京都市右京区にある臨済宗妙心寺の、開山無相大師650年遠忌を記念して、本山をはじめ全国の妙心寺派寺院から多数の貴重な宝物をお借りして集めて展示しました。関係者の方々にとっては、単なる美術品でなく、信仰の対象ともなる貴重な品も多いのですが、一見して華やかなものばかりではないので、広報宣伝にも展示構成にも、一般の方にもわかりやすく、よりよく理解していただくための工夫が必要でした。近年人気が高まっている日本美術、仏教美術の貴重な宝物の多くは、寺院で長年大切に伝えられていることが多く、私も仕事で寺院を訪問させていただいたり、僧侶の方々と素晴らしいお仕事をさせていただいたりして、日本のお寺の素晴らしさを知るようになりました。

現存する作家の作品を紹介する
「アンドレアス・グルスキー展」 2013年、国立新美術館

 ドイツ現代写真の代表的な作家、アンドレアス・グルスキーによる日本初の大規模個展を開催し、本人が展覧会のためにセレクトした約65点を展示しました。近年、読売新聞では、積極的に現代作家や写真の展覧会も企画するようになりました。展示方法やコンセプトなどを作家と直接話し合いながら展覧会を構成するのは、急な変更や難しい注文にも応えなければならず、苦労も多いのですが、これまで多く手がけた古典絵画や印象派の展覧会の現場とはまた違った、「生」の面白さがあり、作家本人から学ぶことも多くありました。
※「アンドレアス・グルスキー展」は大阪市北区の国立国際美術館で5月11日まで開催中です。
http://gursky.jp/outline_osaka.html

複数の国内美術館からコレクションを集める
「国立西洋美術館×ポーラ美術館
モネ、風景をみる眼―19世紀フランス風景画の革新」 2013年、国立西洋美術館ほか

 ポーラ美術館と国立西洋美術館が所蔵するモネ作品35点を含む約100点を展示しました。同じテーマや年代の作品を並べるなど、構成も面白く、国内に素晴らしいモネのコレクションがあることをあらためて知ることができる企画となりました。国内の複数のコレクションを集めて、西洋美術の意義深い展覧会ができる好例といえるでしょう。
※「国立西洋美術館×ポーラ美術館 モネ、風景をみる眼―19世紀フランス風景画の革新」は東京・上野の国立西洋美術館で3月9日まで開催中です。
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2013monet.html 

※次回のテーマは「展覧会を創る」。さまざまな分野のプロフェッショナルが協働する展覧会の現場を紹介します。なお、この記事は2013年12月21日、東海大学湘南キャンパスで「キュレターの“たまご”プロジェクト」の一環として開催された公開講座(主催:東海大学課程資格教育センター)の内容を再構成したものです。
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【つや・しきこ】
1966年東京都生まれ。93年、慶応義塾大学文学研究科英米文学専攻修士課程修了(言語学)。同年、読売新聞東京本社に入社。事業開発部で文化、教育などのイベントを担当。2004年より文化事業部で展覧会企画担当者として活躍。08年から09年、イギリス・ロンドンのサザビーズ・インスティテュート・オブ・アートに留学し、西洋美術史、アート&ビジネスコースを修了。
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